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二つの変化

 次の日、長瀬先輩のことが噂になっているんじゃないかとびくびくしながら登校した。誰にも見られていないはず、と魔法の呪文を繰り返しながら授業を受ける。


 えいちゃんに逆に不審だとからかわれながらも警戒心剥き出しで学校内を移動したのは、後から思い返すと自分でも気にしすぎだったと思う。でもそのときは疑心暗鬼になっていて、周りからどう見えるかなんて気にする余裕はなかったのだ。


 本当に誰にも見られていなかったようで、長瀬先輩の告白については何の噂も立たなかった。先輩について話題に上るのはいつもと変わらないことばかり。ちょっと怖いけどそこがカッコいいとか今日はお昼に学食でカレーラーメンを食べていたとか、平和な事柄すぎて午後には私も警戒するのが馬鹿らしくなってやめた。


 それでもしばらくは、ファンクラブの先輩女子とうっかり廊下ですれ違ったときなんかに寿命が縮むような思いをした。なるべく三年生の教室がある二階には近づかないように気をつけて、どうしても二階を通るときには顔を俯け早足で歩く。ファンクラブの人の姿を見かければ例え遠回りになっても回れ右。最初は気の毒そうにしていたえいちゃんも、指名手配の犯人みたいね、と呆れるほどに徹底した。


 そして私は気をつけるべきはファンクラブや学校の生徒ではなく、長瀬先輩自身だということに気がついた。


 これから頑張るという宣言通り、ことあるごとに先輩は私の前に現れた。私が目をつけられないように気を遣ってくれてはいるのか、いきなり教室に来たりすることはなかったけれど、さりげないアピールにはほとほと困ってしまう。


 例えば教室移動のときに、偶然長瀬先輩と先輩の友だちのグループとすれ違ったことがある。私も友だち五、六人と一緒にいたのでその中に隠れるように通り過ぎようとしたのだけれど、そこはそれ、長瀬先輩と出会ったということで友人たちは立ち止まってしまった。きゃあきゃあとはしゃぐ彼女たちの後ろで早く終われ、と念じながら耐え、やっと話し終わったかと思ったそのときに事件は起きた。


 別れ際に先輩がこちらへ向かって手を振ったのだ。それも笑顔で。


 先輩はファンクラブなんて持っているけど硬派な人として知られている。そんな先輩のまさかな行動に一際高い悲鳴が上がったのは言うまでもない。興奮気味に話す友人たちの後ろで、私は引きつる顔を教科書で隠した。事情を知っているえいちゃんは面白そうに私の横顔をにやにや眺めていた。


 長瀬先輩の新たな魅力についての噂が膨れ上がるにつれて、私の先輩に対する苦手意識も高まった。いつどこに先輩が現れるのか気が気じゃない。


 もしも一人のときに先輩に遭遇したら、と思うと教室を離れるときにはえいちゃんの側にぴったりくっついた。それをうっとうしがるでもなく受け入れてくれたえいちゃんは本当に頼りになる友人だ。そのにやにや笑いをやめてくれたらもっと好きになるんだけど。


 こうして学校内で落ち着かない日々を送るはめになった私だけど、唯一つだけ安心していられる居場所があった。長瀬先輩が絶対に来ることのない安全地帯、である。


 それが文芸部の部室だ。


 部活動時間中、先輩は体育館で練習している。私がそこに近づかない限り、先輩との遭遇確率はゼロ。おまけに先輩に関しては目聡く耳聡いファンクラブの人たちにも会うことがない。


 そして部員は川田くんと私だけだから、部活中に長瀬先輩の話になることもない。

 自然、部室は私が一番リラックスしていられる場所になった。


 そうやって肩の力が抜けたのがよかったのか、川田くんとも前よりずっと気楽に接することができるようになった。すると川田くんの方からも私に話しかけてくれるようになり、どこか構えていた印象だったのが少しずつ少しずつ先輩と後輩の関係を築くことができた。


 今では長瀬先輩のことを抜きにしても、部活の時間が待ち遠しくなっている。川田くんとのおしゃべりは楽しいし、軽口を言い合うのも、ここまでできるようになった道程を考えると嬉しいようなくすぐったいような気持ちになる。


 それに、リレー小説のこともある。うっかり長瀬先輩への鬱憤を小説の中で晴らしそうになるけれど、現実を離れて存分に空想できる時間はとっておきのリラックスタイムだ。……現実逃避とも言い換えられる。


 いつまでも長瀬先輩に対してうやむやにして逃げ続けるのは、きっとよくないことだ。先輩と付き合う気がこれっぽっちもないのに、期待を持たせてしまうようなことはしたくない。何より私がこれ以上びくびくして過ごしたくない。


 えいちゃんが言ったように、彼氏を作る――この人と付き合っているので先輩とは付き合えませんごめんなさい諦めてください――という策をとってもいいのかもしれない。それで解決するのかはわからないけれど、何もしないよりはましだ。何もしなければずっとこのまま先輩が卒業するまで逃げ回ることになる。


 問題は私に彼氏のできる当てがない、ということだ。えいちゃんは本物の彼氏じゃなくても、誰かに彼氏のフリをしてもらってそれを先輩に見せるなり知らせるなりすればいいと言っていた。でも彼氏の振りをしてくれるような男子に心当たりがない場合はどうしたらいいんでしょうか。


 私と付き合っていることにされてもいい、なんて男子がこの学校にいるんだろうか。そもそもどういう風に頼んだらいいのか想像がつかない。

 せっかくの解決策を授けてもらったけどなかなか前途多難そうだ、と大きく息を吐いたところで私は部室に帰ってきた。


 その中にいるのがちょうど都合がいい話がわかりそうな男子生徒だということに、私はまだ気付いていない。


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