第79章 反応
リンは動かなかった。この腐敗臭はあたり一面に立ち込めており、おそらく付近にはかなりの量の魚の死体があるのだろう。それはむしろ、リヴァイアサンと輸送者が身を隠すのに都合がよかった。
身を潜めているあいだに、リンは脚のなかの損傷した細胞を素早く修復し、いくつかの構造変更を施した。主には、活動しながら滞りなく修復できるようにし、疲労をなくし、同時に速度を上げるなどである。
陸の上では、多くのことがまるで変わってしまうものだな……
海のなかにいたときは、最大のダンクルオステウスを相手にしようとも、リンに恐れなど何もなかった。相手のことを理解しており、リヴァイアサンの兵種も十分に強力だったからだ。海のなかには脅威と呼べるものなど何もなかったと言っていい。だが、陸の上ではまるで話が別だった。
リヴァイアサンの兵種は陸上では作動させられない。リンには新たな兵種を創造する時間もほとんどないまま、次から次へと奇怪な生物に出くわしてしまった。
巨大な蠕虫、暗夜の怪物、この次には何が現れるのか?
だが、陸の上でこれほど狼狽を重ねたのは、あるいは単に一時の不適応の問題だけではなかったのかもしれない。
「狼狽」とは何だろう? なんだかとても悲惨なことを形容するものらしいな。
リンはもう一つ、ある問題に気づいていた。自分は緑の絨毯を作るようになってから、いくぶん温順になったのだ。この「温順」も、新しい言葉のように思える。
他の種に直面したとき、リンはかつてのように相手を食い尽くしたり殺したりしようとは思わず、ただ研究してみたいか、あるいはまるで興味が湧かないかだった。
この習慣は水のなかでは別に問題なかったが、見知らぬ陸の上に持ち込むのはよくなかった。脅威に直面したとき、リンには反撃したいという考えよりも、立ち去りたいという考えのほうが勝っていた。
蠕虫に直面したあのときは、たしかに逃げるほうが良かったが、あの小さな節足類どもに対しても逃げたとなると、それはいくらなんでも臆しすぎではなかったか。
なかなか面白い言葉を見つけてしまったようだ。だが、リンはもっと価値あることに気づいていた。
そうだ、陸へ上がってからは、いたずらに緑の絨毯を敷く場所を探し回るべきではない。輸送者の養分を直接転化させ、一支の強力な部隊に改造し、ここの生物を直接に掠奪し殺して養分を得るほうが速い。やつらのことを完全に理解し、生命が脅かされなくなったときになって、ゆっくりと緑の絨毯を敷いても遅くはないのだ。
そういうことだ! 最強となった後に、生物の進化の類をゆっくり研究すればよい。
リンは自分の決断にきわめて満足した。もっとも、今の輸送者は残り一匹だから、そいつはやはり緑の絨毯を作るのに使おう。改造する必要があるのは、主にリヴァイアサン体内のさまざまな兵種のほうだった。
リンは他の生物への掠奪を開始すると決めたとはいえ、それでも白昼になってから行動すべきだった。物の見えない暗夜には、何をするにも厄介だし、蠕虫の類の恐ろしい生物が現れないとも限らない。
今はただ、白昼を待つしかなかった。
あたりに死体の匂いが立ち込めてはいたが、リンはそれ以上の危険に出くわすことなく、安全に白昼へとたどり着いた。
リヴァイアサンの体内の改造もだいたい終わっていた。ほとんどの兵種が陸用に改造され、水のなかで発揮していた実力を保証するため、体型などの各方面にいくつかの変更があったが、全体としてはそれほど大きな隔たりはない。
リンの計算の下、水力を利用した強力な節足を研究し出していた。それによって体内が水で満ちていても素早く移動できる。水のなかの生活に慣れきっていたために、リンは陸の上では水に対してかなりの執着を持つようになっており、どうあっても少しの水分も捨てて重さを減らそうとはしなかった。だが、やはりより良い方法を見つけ出し、ただ力をうまく運用しさえすれば、あの体重など無視できたのだ。
白昼の光が針柱の林地を照らし出した。視界が戻ったとき、リンはあたりの腐った死体の匂いの原因を目にした。それはおおむね何匹かの甲冑魚と肉鰭魚の死体で、どれも基本的には食い荒らされた痕があった。ほんの少しだけ食べられたものもあれば、すでに齧られて骨格だけになったものもある。
「骨格」もまた新しい言葉だ。いくつかの生物の体内甲殻を形容するのに使われる。体内甲殻は魚類のあいだでかなり流行しているが、リンはどちらかといえばこの形を好まなかった。蠍のように体外に甲殻を覆うほうが好みで、そうすれば水圧系統の作動もよりよく保証できる。だから一般に、節足類のほうが他の生物よりはるかに力が強いのだ。
リンはまだ比較的多くの肉が残っている死体を一つに集め、それからリヴァイアサンに収集者を放出させてそれを食わせた。
陸用の収集者は水のなかのものとよく似ており、つまり一本の触手の形をしている。やつらの口のなかには多くの逆鉤の歯が生えており、骨の上から肉を削ぎ取り、岩の上から植物を削ぎ取って、体内へと押し込みむことができる。
リンは「吐き気」などという感覚を持つ生物ではない。収集者の体内にはただ強酸があるだけでなく、さらに一種の硬化細胞でできた内壁があり、いかなる腐生菌であろうと完全に粉末にすり潰して吸収でき、同時にそれ自体が強力な毒素分離能力を備えているから、あの腐生菌の放出する毒素などは無視できるのだった。
生物の骨格はあまり役に立たなかった。今は甲質物が十分にあったから、すべての肉を食い尽くした後、リンは収集者を体内へと回収し、あたりを見回しはじめた。
暗夜のなか、ここはあれほどうるさかったのに、今はとても静かで、どんな生物もいない。
夜のあの小型節足類もまた、光をひどく怖がるらしい。提灯の光には大した傷つける力もないのに、やつらを怯えさせて近寄らせないとは、ここには明らかに何か問題がある。
もしかすると……北の大陸の生物は、紫外線がなお強烈だったころに陸へと這い上がり、そして黑夜に出没し、白昼は隠れ潜む生活を送り、この習慣がずっと保たれてきたので、あれほど光を怖がるのではなかろうか?
ただの推測にすぎない。ともあれ、今はやつらを見つけられないから、狩ることはできなかった。
リヴァイアサンは一本の針柱の下へと歩み寄り、触手を伸ばし、吸盤の鋸歯でその上から緑色の植物の砕屑をいくらか削り取った。緑色を削がれた箇所からは、一面の灰色の岩壁が露わになった。
これはどうやら「苔蘚」と呼ばれるものらしい。リンは収集者を放ち、苔蘚の砕屑をその口のなかへと放り込むと、収集者は体を蠕動させ、砕屑を体内へと送ってすり潰した。
これらのものはたしかに、多くの緑細胞で構成された植物であり、尖柱の上に貼りついて生きている。そして尖柱そのものは岩石に似た成分だが、なぜこれらの石が尖柱の形で、それもこれほど大量にここに広がっているのかはわからなかった。
それなら、ここに緑の絨毯を造ろう。
狩るというなら、植物も当然、狩りの範囲内だ。
リンは輸送者を尖柱にもたれかからせて緑の絨毯を製造させた。これらの緑の絨毯は、リンがついには殻を持たない方式を採用したものだ。水分を閉じ込めるための、ごく薄い硬化壁が数層あるだけだった。緑の絨毯が延伸するとき、それはまず大量の尖った糸を製造する。これらの尖った糸は苔蘚の細胞のなかへと突き刺さり、それを吸い食い分解し終えると、さらに上へ上へと生長を続け、ついには苔蘚に代わって尖柱全体を覆い尽くす。
なかなか良い方法のように思える。これには何か面白い言葉があったな。なんだったか、「喧賓奪主」か? それとも「雀占鳩巣」か?
意味はわからなかったが、これらの言葉はなんだかすごいものらしい。
リンは輸送者をここに残してゆっくりと増やし広がらせ、一方リヴァイアサンはさらに針柱の林のあいだを彷徨い歩き、何か攻撃できる標的がないかどうかを探った。
針柱の林の空気中には大量の水滴が立ち込めているが、まだそれらは集まって視界を遮るほどの濃霧にはなっていなかった。これらの水滴はもともと海から来たものだろう。これはおそらく、ここの生物の水分の源だった。
暗夜のとき、空気中の水滴は風に吹き散らされる。つまり……ここの生物はおそらく、白昼のうちに水分を集めようとするはずだ。
水滴は温度が比較的低い状況では速度が遅くなり、また集まってより大きな水滴や、あるいは小さな水溜まりを形づくることもありうる。ならば、温度のより低い方角へ向かいさえすればいい……
リヴァイアサンは体の上の触角を振り動かし、空気中の温度を感じ取りながら、ゆっくりと、より低い方角へと歩いていった……
林のあいだをしばらく歩くと、リンの目の前の遠くないところに、小さな泥の窪みが現れた。窪みのなかは清く澄んだ水の溜まりでいっぱいで、一匹の生物がまさに窪みのふちに這いつくばって水を飲んでいた。
ついに、一戦交えられそうなやつに出会った。
この生物の体は全長が二メートルあまりあり、幅三十センチの円筒形で、全身が赤い甲羅で覆われ、体の下には大量の節足の脚が生えている。おそらく百対以上はあるだろう。
脚は多いが、どれもとても短い。リンはこいつが速くは走れまいと判断した。一方、リヴァイアサンの脚は改造を経て、今ではかつてとはまるで違っていた。
この生物には「馬陸」という名まえがあった。じつに奇怪だ。馬陸の頭部には数個の小さな眼球があり、眼球こそ小さいが視力はなかなか良いらしい。やつはリヴァイアサンを見ると、前半身をもたげ、身の下のずらりと並んだ小さな脚を振り動かした。
これが攻めかかりの構えなのか、それとも威嚇の構えなのかはわからない。いずれにせよ、先手を打って後手に回らぬようにせねば。リンはこのときすでに、リヴァイアサンの炸裂弾を発射口へと圧搾し終えていた。そして、「ボンッ」という音とともに、溶酸を満たした炸裂弾が、振り動いていた馬陸の頭部を打ち据えた。
シュー……
馬陸は一陣の怪声を発した。明らかに苦痛を受けている。リヴァイアサンはやつが何かをするのを待たず、ただちに脚部の水圧系統を駆動させてまっすぐに突っ込み、二本の触手で馬陸の体躯をしっかりと縛りつけ、さらに筋肉の力を増してその甲羅を圧し締めつけた。
リンは、馬陸の殻は海の生物の殻よりずっと脆いように感じた。馬陸の甲羅は触手の圧迫の下で大量の裂け目を生じた。
このとき、リンは一筋の奇怪な匂いが空気中に満ちるのを感じ取った。それはどうやら馬陸の体から噴き出されたものらしく、触手の上のいくつかの嗅覚細胞はすでに殺されていた。明らかに一種の毒気だ。リンはただちにリヴァイアサンの気孔を閉じさせた。リヴァイアサンは体内の気嚢が今なお存在しており、たとえ外界の酸素を吸収しなくとも、かなりの長時間を保つことができた。
毒気が無効である状況の下、馬陸はただ生きたままリヴァイアサンに体をねじ切られ、大量の細胞で構成された青い液体が断面からゆっくりと流れ出した……
なかなか簡単なものだな、大した役どころではなかったか。
リンは収集者を放った。やつらは毒素を分離したうえで、この馬陸を食べることができる。
リンがゆったりと食事をしているとき、それはふと前方の林のあいだから、別の生物が現れたのに気づいた。しかも相手もまたこちらへ向かってきており、どうやら水を探しに来たらしい。
よく来たものだ。さっきリヴァイアサン本体の実力を試し終えたところだ。今度は、いくつかの兵種の実力というものを試してみよう!




