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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
十六章 少女、千年を遡る(後編)
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32.ビューレイスト


 フリカの死とともに、鳥籠のなかにあった魔術の構造式が静かに光を失う。魔王ファールバウティにたいする呪いは、フリカの死とともに完成した。

 ビューレイストは静かにことの終わりを見届け、アリスに視線を向ける。


「・・・」


 アリスはフリカの体を抱きしめたまま、ぴくりとも動かない。だが、アリスの周囲を新たな魔術が囲む。


「え、な」


 アリスが気配に気づいて戸惑いの声を上げた。

 だがその魔術を拒む間もなく、六芒星の外縁を持つ魔術がアリスを包み込む。六芒星の外縁を持つそれはすでに魔族と人類の間では失われた、古代のものだ。そしてそれはノルンの泉の魔術が解除されることを意味していた。


「おまえは未来に帰れる」


 ビューレイストは、白銀の檻で事態を飲み込めず息絶えたフリカの傍で呆然とした面持ちのまま座り込んでいるアリスを見下ろす。


「で、でも、か、鏡は、もう」

「フリカが死んだ今、おまえをこの時代に縛り付ける契約はない」

「え?」

「おまえをこの時代に縛り付けていたのは、フリカと鏡の契約であって、鏡そのものじゃない」


 ノルンの泉という魔導具は起動すれば、莫大な魔力と引き換えに運命を変えることを約束する。魔導具それ自体は単純に扉の鍵を開ける役割を果たすだけで、扉を開いたその先には干渉しない。つまり鏡は起動時に必要なだけで、そのあとは古代の魔術による契約だ。

 フリカは鏡に意味のある死を迎えることを望み、莫大な魔力を対価に未来からそれをかなえるアリスを得た。そしてその目的がかなえられた今、契約は果たされた。だから、アリスをこの世界に留める意味は、もうない。


「そ、そんな、ビューレイスト、」


 アリスが不安げに六芒星の魔術から逃れようとする。だが、ビューレイストは白銀の鳥籠の扉を閉めた。


「ど、どうして」


 アリスが縋るようにビューレイストにその紫色の瞳を向けてくる。ビューレイストは鳥籠の格子を掴むアリスの小さな手に、自分の手を重ねた。


「安心しろ、俺たちのおまえに関する記憶は消える。未来は、なにも変わらない」


 アリスには、未来に帰れば未来での日常が待っている。アリスに関する記憶は奪われるので、アリスが戻る未来はこの過去の出来事になんの影響も受けない。


「でも、でも」


 アリスは縋るようにビューレイストにその眼差しを向ける。だがビューレイストは首を横に振った。


「おまえは、ここにいてはならない」

「ど、どうして?」

「今の俺では、おまえを守れない」


 今のビューレイストは何の力もない、せいぜい将来有望な一回の魔族で、確かに他の魔族に比べれば強いが、数千年を生きる将軍たちには手も足も出ない。そのなかで千年に一度の莫大な魔力を持つ、将軍にとって喉から手が出るほど美味しそうな食糧であるアリスを、守っていくことはできない。

 むしろ本当は、もっと早くアリスを未来に帰したかったくらいだ。


「わ、わたしは、今のビューレイストで十分なんだよ」


 アリスの言葉に、ビューレイストは小さく頷いた。


「わかっている」


 知っている。重ねた細い指先から伝わる熱は、いつも嘘をつかない。アリスはビューレイストに嘘をついたりはしない。だから本当に心から、こんなちっぽけで弱いビューレイストでも十分だと思っているのだろう。

 だが、不十分だ。それを感情の起伏に乏しいビューレイストは、感情的なアリスよりもずっと強く認識している。

 ビューレイストは、アリスの安全を保証できない。


「どうせ、未来にはおまえがいる」


 別に焦る必要はない。ビューレイストは幸い長命の魔族だ。

 弱い自分と歩むことでアリスが行動を制限されるくらいなら、自分が強くなるまで待ち、それからアリスを得た方が効率的だ。そうすれば今回のように母親のラウフェイに頼る必要もないし、好き勝手できる。


「それで、それでいいの?」


 アリスが表情を歪めた。だが、きっとそれでよくないのはアリスだろう。

 

「なんだ、小さい俺が良かったのか」


 ビューレイストは千年後、アリスにまた会える。だがアリスは今の年齢のビューレイストに会うことは、二度とできない。それが惜しいのだろうか。

 ビューレイストが尋ねれば、アリスが紫色の瞳を瞬く。

 

「ち、違う、よ。わたしは、ビューレイストなら」

「わかっている」


 アリスは未来でも過去でも、強くても弱くて、ビューレイストならばいいのだろう。だから帰ることだって嫌ではないはずだ。それでも躊躇う理由は、ビューレイストだけではない。


「アリス」


 ラウフェイが、アリスに声をかける。

 

「ラウフェイお母様」


 ここ数ヶ月、ラウフェイは今まで力のないビューレイストにかわり、力でアリスを守った。

 ラウフェイはフリカに協力した。それは未来を視る先見の力を持っていたフリカに話を聞き、ビューレイストの将来の妃であるアリスを見定めようとしたからだ。優秀な子孫を残すことに執着するラウフェイは、莫大な魔力と優れた魔術の腕を持つアリスを、ビューレイストの未来を残す器として歓迎した。

 アリスが生きる千年後、ラウフェイはもういないという。ラウフェイは出産と流産を繰り返したことで肉体を劣化させた。魔族は本来魔力があれば肉体を再生できるので、特別な事情があるのだろう。子供の魔力を含め、出産がリスクであるのは魔族であれ人間であれ変わらない。

 そして、アリスはラウフェイと永遠に別れねばならない。


「おまえを捨てた実母よりは、悪くなかったか?」


 ラウフェイが淡く笑ってアリスに尋ねる。

 魔族は感情の起伏に乏しい生きもので、子供など大して愛さない。だがラウフェイは魔族として極めて頭が良い。人間は感情的な生きもので、感情的な慰撫が重要だと考え、それなりに人間の母としての役割を果たした方がいいと考えたのだろう。

 目的のために合理的だと考えればなんでもする。それはビューレイストも覚えのある、覚えのありすぎる判断基準だった。


「比べものにならないくらい、強くて、優しくて、素敵なお母様だよ」


 アリスが大きな紫色の瞳を潤ませた。

 人類は本来子供を大事にする生きものだが、アリスの実母は四歳でアリスを捨てたという。そんな母親と比べれば、魔族でもラウフェイはできた母親だったのだろう。


「そうか、それは幸いだ」


 ラウフェイは涼しい表情のままあっさりと答える。そしてその紺碧の瞳を細めた。


「死ぬまでは、おまえとの記憶を酒の肴にさせてもらうさ」

「え?」

「は?」


 アリスが首を傾げ、ビューレイストも意味がわからず、母親を振り返る。だがラウフェイは笑いながら肩をすくめる。


「別の魔導具に、記憶を記録している」


 ラウフェイは最初からアリスが未来に戻れば自分の記憶が鏡にとられる可能性を把握し、もともと別の魔導具に記憶を映しているらしい。


「ゲームはすべて調べ、手札を整えてからするものだ」


 事もなげに言う。ただその慎重さはビューレイストとまったく同じだった。

 強いくせに慎重で、容姿は金髪翡翠の瞳のビューレイストと亜麻色の髪に紺碧の瞳のラウフェイとはまったく違う。だが、アリスを守ってもらうため仕方なく母親と一緒にすごしてわかった。ビューレイストは母親に性格などが似ているのだ。

 だからこそ、ビューレイストと相性の良いアリスは、ラウフェイをことさらに好む。だが、もう時間だ。


「アリス、」


 檻の格子にあるアリスの手が透ける。


「っ」


 アリスが酷く狼狽えた顔をした。


「大丈夫だ」


 白銀の檻には魔族は入れない。檻からでた指先に触れ、おびえを見せるアリスを宥めるために声をかける。


「俺が、未来の俺が待ってる」


 この数ヶ月がどのように未来で反映されるのか、ビューレイストは知らない。でも、どういった形であってもアリスをそばから離したことを後悔しているはずだ。

 未来のビューレイストのために、アリスを帰さねばならない。それは、未来の自分自身だ。


「あの、ビューレイストっ」

 

 アリスは言葉が見つからないのか、その桃色の柔らかそうな唇を震わせている。その温もりをもう一度味わいたいと思った。いや、その下にある血肉もそうだ。なにもかも、ほしい。ほしくてたまらない。

 だが、どうせ未来に味わえるのだ。それだけを胸に、くすぶる不快感を抑えた。ただそれを記憶できたのは、アリスの姿が消えるまでだった。













「・・・?」


 ビューレイストは周囲を見回し、首を傾げた。

 眼前には白銀の檻と、その中に横たわるオーディンの妃。周囲には戦闘の痕が薄らぼんやり見える。自分は今まで何をしていたのだろう。ただ覚えていなかったとしてもこのままでは面倒ごとに巻き込まれるのは間違いない。

 ビューレイストはひとまず周囲から自分の魔力の気配を消すため、部屋中の自分の痕跡を魔術で綺麗に掃除し、その場を離れた。

 記憶が、自分の大切ななにかが抜け落ちている気がしたが、純血の魔族で感情の起伏に乏しいビューレイストは、わからないことを考えても仕方がないとあっさり気持ちを切り替えた。

 その記憶の欠片を思い返すことは二度となかった。

 心にぼっかりあいた空白に違和感を覚えたが、千年の長い間をかけて、ずっと自分が持ち続けている渇望だと思い込んだ。

 ただそこには平坦な日々が、あっただけだった。



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