転校生
そして今日もいつものように、聖クラベリナ学園の一日が始まろうとしていた。
「おはよう、リユナ!」
「あっ、おはよー、トナちゃん!」
小高い丘の上にある学園へと続く坂道を登る途中、リユナに話しかけてきたトナは、髪の毛を後ろでひとつにしばった、快活そうな少女であった。
「リユナさー、きのう、ブログ更新しなかったでしょ?」
「あ……忘れてたぁ」
「どうしたのかと思って、メールしたんだよ。それなのに、返信もしてくれないし」
「えっ……ご、ごめん。ちょっと、気づかなくてぇ……」
「ふつー、気づかないかなー……」
「え、えへへへ……」
「なーんか、怪しいなー……」
「うっ……」
トナは、リユナをじろじろと見つめた。そして、話題を変えた。
「昨日、サユカたちとオケ部の買い物行ったんでしょ」
「うん! そうなのよ」
リユナは、助かった、とでも言いたげな様子でにこやかに笑顔で答えた。
「どうだったの? ってメールしたのよ。昨日の夜に」
「ああ! それがね、たいへんだったんだ~。あたし、オケ部のカードを家に忘れてきちゃってぇ、それで結局、買えなくてさ。サユカが怒っちゃって、あたし逃げるのに必死で!」
「ふ~ん……でも、それと、わたしのメールに返信しない、ってのは、関係なくない?」
「ぐっ……」
リユナは、返答に詰まった。
「まさか、真夜中までサユカから逃げてた、っていうワケじゃないんでしょ。ちゃんと、家に帰ったんだよね?」
「う……うん、それは、そうよね」
「そうよね、って、他人事みたいに言ってんじゃないわよー。まあ、何があったかは、知らないけどさ」
「あ、あはは……まあ、その、いろいろと……」
「まあいいわ」
トナは、ちょっと言葉を切った。そして、おもむろに言った。
「リユナってさー」
「うん?」
「友だちと、男と、どっちをとるか、ってなったら、平気で男をとるタイプだよねー」
「へっ?」
リユナは、思わず固まった。
それから、大慌てで付け加えた。
「えっと……トナちゃん、なに言ってるのかな~。ぜ~んぜん、そんなこと、ないのになぁ~。あは、あははははは……」
最後の笑い声が、むなしく空に消えていく。
トナはそんなリユナを、ため息まじりに見つめてから、言った。
「はあ~。まさか、ここまで分かりやすい人だとは、思ってなかったわ。なるほど、そういうことだったの。あ~、心配して損したわ。はいはい」
「え、な、なに、違うよ、違うってば……そんなんじゃないんだって~!」
「そんなんじゃなければ、じゃあどんなんだ、っていうのよ。あ~あ、これだから、やってらんないわ、っつーの、もー」
「だから、違う、って……」
トナが若干、呆れ顔でそっぽを向いてしまったので、それ以上弁明もできず、困惑顔で校門をくぐるリユナであった。
朝のホームルーム。
担任の先生が教室に入ってきた。ちょっと茶色がかったふさふさの髪と、豊かにたくわえたあごひげと口ひげが渋い中年である。一部の、おじさん好みの女子の間では秘かに人気が高い。
「えー、急な話だが、転校生が来た。それじゃ、入ってください」
教壇に立つなり、何の前置きもなしにそう宣言する。遅れて、廊下に控えていた人物が教室内に姿を現した。
「へっ……?」
リユナは、その人物を見て、思わず固まった。男子制服――女子のより色味を落としたダークレッドと黒のチェック柄になったズボン、黒を基調として襟と袖に白のラインで装飾が施されたブレザー、ズボンと同じ柄のネクタイ――に身を包んだその人物には、ものすごく、見覚えがあった。
そして、女子たちがやたらざわざわと色めき立ち始めた。
「ちょっと、まじカッコよくない?」
「STORMのマツミヤくん?」
「でも、目が青いよ」
「あ、そうか。わたし、マツミヤくんが来たかと思ったわ」
「ンなわけないじゃ~ん」
「あーん、でもあたし、マツミヤくんよりこっちの方がいいかも~」
なんだか、浮足立っている。
一方で、男子の方からは、マジかよ、とか、あ~うぜぇ~、とか、どちらかというと落胆とか脱力をにおわせる単語が口をついて飛び出してきていた。
「あ~、みなさん、静かに。今日からこのクラスに転入することになった、え~と」
先生は、手元の出席簿にちょっと目を落としてから、続けた。
「ラシュキール・ドレハユスタス・トーマイヤーくんだ。彼は、隣国であるテレスタルの王子であられるそうだ」
その途端、また女子たちがざわつき出した。
「王子様だってよ!」
「いきなり、ウチのクラスに王子様⁉」
「ちょっと、どーしよー?」
「やーん、玉の輿狙っちゃお~」
「そんな簡単に狙えるわけなくね?」
そんなざわめきの中、トナが隣りの席のリユナに話しかけた。
「ねえねえ、王子様だってよ、すごくない? 信じらんないわ~」
「えっ? ……あ、ああ、そ、そうね、そうよね……」
上の空でトーマイヤーの顔ばかり見つめていたリユナは、煮え切らない返事をした。
「……なんか、あんまり驚いてないみたいね」
「えぇっ? そ、そんなことないよ! いやぁ~、どびっくり!」
ぜんぜん、びっくりしてそうに見えない。
「あんた、まさか知ってたんじゃあ……」
「し、知ってるわけないじゃん! まさか、トーマくんがいきなり転校してくるなんて、夢にも思ってなかったわよ! ……そりゃあ、夢に見るくらいは、したかもしれないけどさ」
最後の方は、聞こえないくらい小さく口の中で呟いた。
トナは、リユナをぎろり、と睨みつけた。
「はっ、はあ~ん。やっぱり、知ってたのね。さては、昨日、あたしにメールくれなかった、っていうのも……」
「ええーっ!? トナちゃん、なに言ってくれちゃってるのかな~、昨日は何もしてないってば!」
「何もしてなくて、なんであの王子様のこと、知ってるのよ」
「え、知ってるなんて、一言も言ってないよ?」
トナは、額に手をあてて顔を伏せ、呆れたような仕草をした。
「あんたのそういうトコ、嫌いじゃないけどさ……」
そこで、先生が教室を一喝した。
「静かに!! みんな静かに!! ……それじゃ、自己紹介してください」
教室が、しん、と静かになった。隣国からやってきた王子様が、どんなことを話すのか、女子は期待に満ちて、男子はその手の裡を探るかのように、みなが王子の言葉を待った。
トーマイヤーは、こほん、とひとつ、軽く咳払いをすると、晴れやかな笑顔を見せて、自己紹介を始めた。
「皆の者! 今日はお集まりいただき、大義である!」
学校だから、集まるのは当たり前だ、と心の中でつっこんだ者は多かった。
「ぼくは、テレスタルの正統にして唯一の王位継承権者たる、ラシュキール・ドレハユスタス・トーマイヤーである。王宮での何不自由ない暮らしを捨て、こうして下々の学び舎にて勉学に勤しむこととしたのには、大きな理由がある。それは、諸君らのような下々の者と交流することを通じて、下々の生活、心の有りよう、ものの考え方などを深く知り、いずれぼくが王位を継いだときに、治世に役立つようにと考えてのことだ。皆の者、身分の違いなど気にせず、普段通りのやり方で接してほしい! よろしくお願い申し上げる次第である!」
そう、元気よく、締めくくった。
男子の多くが、表情をひきつらせて、ひいていた。
女子は、まあ王子様だし、仕方ないわよね、的に好意的に見る向きもあったが、中には、「下々、下々って、失礼すぎじゃね?」とか、「何あの上から目線は?」などと反感を抱く者も数名、出始めていたのはどうすることもできなかった。
トーマイヤーは、そうした雰囲気には気づかず、得意げな笑顔でクラスを見回していた。
リユナは、頭を抱えて一人、つぶやかずにはいられなかった。
「……あっちゃ~。トーマくん、やっちゃったわ……」
それを見て、横からトナが顔を近づけてきて、耳元でささやいた。
「また、えらいのが来たわね。あんた、知り合いなんだから、責任持ってどうにかしなさいよ」
「え、知り合い、って。昨日会ったばかりで、そんな知り合い、ってほどじゃ……」
「やっぱり、昨日会ってたのね」
「うっ、しまった!」
「あのね。とっくにバレてるの」
「そ、そうだった? あは、あはははは」
そのとき、
「リユナ!」
トーマイヤーが、いきなりリユナに声を掛けた。
「また会ったね!」
教室中が、おおー、とか、なにー、とか、大きなどよめきに包まれた。
視線が、一気にリユナに集まる。
「なになに、どういうこと?」
「あいつ、王子様の知り合いがいたの?」
「え~っ!? なんであたしじゃなくてリユナなの? なんかショック……」
「いつの間に、王子様と……」
などと、口ぐちに勝手なことを言い合っている。
リユナは、顔を赤くして縮こまっているしかなかった。トナは、それを心配するような、呆れたような、微妙な顔で見て、
「あんたも、これから大変そうね……」
とため息をついた。
「あー。静かに。静かに!!」
先生が、手をパンパンと叩いてみんなの注意をひきながら、声を張った。そして、尋ねた。
「王子は、ユズノハをご存じなんですか」
「はい」
「じゃあ、席はユズノハの隣りがいいですね」
そう言って、あらかじめ用意してあった机をリユナの隣りに設置させた。
「おっ、もう一時間目が始まっちまうな。それじゃみんな、王子に粗相のないようにな!」
先生は、それだけ言い残して、教室を出て行ってしまった。仲良く、とかそういう言葉が一切ないというのは、どうなんだろう、などとつっこむ者は、誰もいなかった。
リユナの隣りに座ったトーマイヤーは、リユナの方へ顔を向けて、そして白い歯をみせてキラリーン、と笑ってみせた。
教室中の視線が痛いリユナだったが、一応愛想笑いでそれに応えて、一時間目の準備を始めた。心の中で、サユカが別のクラスでよかったかも、などと考えた。相変わらず、教室のあちこちから、リユナとトーマイヤーについてひそひそ、ごそごそと噂する声が漏れ聞こえてくる。
そのうちチャイムが鳴って、一時間目の先生が教室に入ってきた。授業は、物理だった。
物理担当のイチイシ先生は、白髪に白ひげの老人で、とっくに定年してそうな年齢に見えるのに、なんで高校の教師などしているのか、謎な人物であった。
授業が始まると、生徒たちは一斉にノートパソコンを開く。この学校では生徒ひとりひとりに学習専用のパソコンが支給されていて、ライティング等の一部を除いて大半の授業はこのパソコンを使用して行われている。授業中はひとクラス全部がローカルネットワークで接続され、教師の用意した資料や生徒の発表などが瞬時に教室全体で共有される仕組みになっていた。当然ながら、学習専用のため、メールやインターネットブラウザ、ゲームなどのソフトをインストールすることは禁止である。
朝から物理というハードなスケジュールのため、イチイシ先生もその辺は生徒の事情を汲んで(?)、無駄話で終わることも多かった。この日も、PDFの教科書はさらりと流して、いつもの脱線が始まった。タイムマシンの話だった。
物理に造詣の深いイチイシ先生は、時空のある場所と、それから遠く離れた別な場所とをつなぐ異空間、すなわちワームホールと呼ばれるトンネルをくぐり抜ければ、何万光年も離れた遠くの星や銀河への宇宙旅行が可能となり、さらには時間を遡ってタイムトラベルも出来るかもしれない、という話をした。
多くの生徒は、何を言っているのかよく分からないため、話半分になんとなく聞き流しているか、または寝ているかのどちらかであった。
しかし、トーマイヤーだけは違った。
彼だけは、その美しい青い目をキラキラと輝かせて先生の話に熱心に聞き入っている。
そして、あろうことか、途中でいきなり挙手して発言を求めたのであった。
「先生!」
「ん? ……えーと、きみは確か、転校してきたばかりの。トーマイヤーくん、といったかな」
「はい。先生、ちょっとよろしいでしょうか」
「はい、何かな」
「そのワームホールは、負のエネルギー密度を持った斥力、つまり重力とは反対の、互いに退け合う力によって支えられなければなりませんよね?」
「ん……その通りだが」
「しかし、斥力的な場は作り得るとしても、それを一定時間持続するためには、膨大なエネルギーを必要とします。ほんの一瞬だけならともかく、宇宙船やタイムマシンのような乗り物が通過する間、ずっと斥力場を維持するとなると天文学的数字のエネルギーを供給し続けなければならず、およそ現実的ではない、と考えますが、いかがでしょうか?」
教室中が、一瞬、凍りついた。
トナが、隣りのリユナに話しかけた。
「ねえねえ。何言ってんのか、よく分かんないわ。あんた、分かる?」
「……う、っと、その。なんつーか、凄いのかどうかさえ、判別不能な世界だわね……」
イチイシ先生は、そんなことを言われるとは予想だにしていなかったため、しばし呆気にとられて沈黙していたが、すぐに大声で笑いだした。
「わっはっはっはっはっ。その通りじゃ、まさか、そのような反論を受けようとは、まったく思いもよらんかった。しかし、そこまで分かっておるとは、嬉しく思うぞ。ジジィ、感激じゃ!」
その後は、イチイシ先生とトーマイヤーとの間で、他の生徒には全くもって何を言っているのか意味不明な、物理学についてのやたらと深遠な会話が延々と繰り返され、授業は終わりを迎えたのだった。大半が寝ていたことは、言うまでもない。
そして、休み時間。
パソコンを閉じると同時に、トーマイヤーはリユナに向き直って声を掛けてきた。
「やあ。昨日はいろいろと、楽しかったよ」
「あ、あはは……まさか、こんな急に転校してくるなんて」
やはりクラス中の視線が集まってくるのを感じつつ、リユナは応えた。
後ろから、トナがリユナの肩をつつきながら割り込んでくる。
「ねえねえ。紹介しなさいよ!」
「あっ、ああ……トーマくん、あたしの親友の、トナちゃん」
「ああ! 昨日言ってた。バセボー病の人だね。ぷっ、くくくく……」
トーマイヤーは、思い出し笑いをした。
「……ちょっと、リユナ。言ったわね~?」
「うっ、ご、ゴメン……」
「そういうリユナだって、こないだの英語の時間、She goes slowly を、『彼女はゴスロリ』って訳したじゃない!」
「うっ……そうだっけ?」
「ぶっ、あーっはっはっはっはっ」
トーマイヤーが爆笑した。
なんだか、楽しそうなほぐれた雰囲気になってきたので、積極的な女子たちが周りに集まってきて、質問を浴びせはじめた。
「ちょっと、リユナ。王子様とは、どういう知り合いなのよ!」
「そうよ、ずるいわよっ!」
「王子様ぁ~、初めましてぇ~」
などと口ぐちに勝手なことを言い出す。
リユナは、昨日たまたまショッピングモールで遭遇しただけで、それ以上のことはない、ということを説明した。トーマイヤーも、やたらと自己紹介してくる女子たちに、
「左様であるか。よく心に留めておくぞよ」
などと、あまり心がこもっているとも思われないような社交辞令を返していた。
そんな中……。
「……気に入らねぇな」
教室の窓際の隅っこに陣取った、金髪で目つきの悪い一人の男子生徒が、いかにも面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らしていたのに気付いた者は、いなかったのである。




