逃避行
「はぁ~、おいしかった!」
トーマイヤーが、食べ終えたようだ。リユナはろくに食べられなくて、半分以上残っていたが、
「食べ終わったんなら、出ましょうか!」
またトーマイヤーの背中を押して、店を出ていく。
「え? ……ああ」
なんだかよく分からないまま、押されて出て行くトーマイヤー。
(どこに行っても、目立っちゃうみたいなのよね~、ってゆーか、あたし、なにやってんだろ?)
ふとそんな疑問がよぎるが、通りに出るとまたトーマイヤーが、
「わあ~、あれは、電化製品の店だね!」
と無邪気に歓声をあげ、そちらへどんどん向かっていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ、トーマくん!」
(電化製品が、そんなに珍しいのかな? やっぱり、なんか変わってるわ……)
トーマイヤーが向かっている電機店はいわゆる家電量販店で、6階建てくらいはある大きなビルだった。
電機店の前までくると、その日の目玉商品が店先にまでディスプレイされている。
「すごい。わが国の製品も、たくさんあるようだな!」
トーマイヤーが独りでつぶやく。
(はあ?……トーマくんって、どこかの家電メーカーの御曹司か何かなのかしら……?)
トーマイヤーは、なにやら浮かれ気分で、店の中へ入って行く。リユナも、後をついて入る。
店内は、かなり広くなっていて、ずっと奥の方まで電化製品がずらりと並べられていた。店を入ってすぐは掃除機や炊飯器、電子レンジなどの家電が並んでいて、その奥にはテレビやオーディオ機器のコーナーがあった。
トーマイヤーは目を輝かせながら、それらの家電製品を面白そうに眺めながら、どんどん奥へと進んでいく。
(こんなところに食いつくなんて、やっぱり、トーマくんちって、家電メーカーか何か??)
そんなトーマイヤーの様子に少々、呆れながらも、後をついていくリユナ。
そして、ディスプレイされている、大型の液晶テレビの前まで来たときだった。
テレビから流れてきたニュースが、リユナの耳を捉えた。
「……さきほど入りましたニュースによりますと、隣国であるテレスタルの王子が、失踪した模様です。テレスタル王室官房長官の発表によりますと、今日午後5時40分頃、王子の行方が分からなくなり、至急、テレスタル国防軍が捜索に当たったところ、国境を越えてレイクロノマ国内に入ったらしい、とのことです。なお、テレスタル国防軍では、レイクロノマ警察へ協力を要請し、さらに捜索を続行するとのことです……」
「へぇ~、テレスタル、って、隣りの国じゃん。王子様が失踪したのかぁ。しかも、あたしたちの国に来てるのね。はは、その辺にいたりして!」
リユナがそう言った瞬間、テレスタルの王子の写真がテレビに大きく映った。
「は!?」
リユナは、思わず目を大きく見開いて画面に見入ってしまった。
少し左右にはねた茶色い髪。宝石のように青く澄んだ瞳。よく整った美しい顔立ち……。
そこに映っている姿は、どこからどう見ても、いま目の前にいる、トーマイヤーその人に他ならなかった。着ている服まで、まったく、寸分違わず同じであった。
トーマイヤー本人は、自分がニュースに映っているとも知らずに、今はもうオーディオ機器コーナーの方へ行ってしまっている。リユナは、一瞬にして思考をめぐらせた。
(と、トーマくんが、隣りの国の王子様……しかも、失踪、って……はっ、まさか! そう、そうよ……さっき、トーマくんは、誰かに追われている、って言ってたわ。きっと、そう、きっと、誰かに誘拐されたのに違いないわ!! そして、危ないところをどうにか逃げ出してきて、そして、今でもまだ誘拐犯に追われているのよ! そうだわ、間違いない……うん、うん)
と、そのとき。
リユナがふと、お店の入り口付近へ目をやると。
店内に、真っ黒なスーツに黒いサングラスをかけた、見るからに怪しげな風体の男が二人、入ってきたところだった。しかも店員に何やら話しかけている。店員は、なんだか店の奥の方、リユナたちがいる方を指さして、黒服の男たちに何か話している素振りだった。
リユナは、瞬時に思った。
(誘拐犯だ!)
リユナは、素早い身のこなしでトーマイヤーに近づくと、小声で口走った。
「トーマくん、追手が来たわよ! 逃げてっ!」
「えっ!?」
トーマイヤーの返事も待たず、リユナは彼の腕をつかむと、一目散に店のさらに奥へと駆けこんでいった。奥には、店から出る裏口があるのだった。
猛烈なスピードで裏口に到達して、ちょっとだけ後ろをチラ見すると、黒服の男たちが何か叫びながら、こちらを追いかけて来ようとしているところだった。
「マズいわ、見つかった! 急ぎましょう!」
トーマイヤーの腕をつかんだまま、リユナは猛然と裏口から店を出る。
裏口から出ると、そこは道幅がさほど広くない裏通りで、カラオケ店やネットカフェ、パチンコ店などが立ち並んでいた。そして、そう遠くないところに、古着屋があるのが目に入った。
「あそこねっ!」
リユナは判断も素早く、その古着屋へ猛ダッシュした。
トーマイヤーは、きょとん、とした顔で、腕をつかまれたまま、ただ連れて行かれている。
リユナは古着屋に入ると、速攻でトーマイヤーをフィッティングルームに押し込んで カーテンを閉めた。
「ここに隠れててねっ!」
言うなり、店内をすごいスピードで物色したかと思うと、ジーンズとTシャツと、パーカーとスニーカーをつかんできて、フィッティングルームの中へ突っ込んだ。
「これに着替えてっ!」
そして、はあ、はあ、と息をきらせて額の汗をぬぐう。
「ふぅ~」
だが、休んでいるヒマはなかった。
バタバタと足音が聞こえてきて、さきほどの黒服の男の一人が、古着屋の前まで走ってきたのだった。
はっ、として、並んでいる古着の陰に身を潜め、様子をうかがうリユナ。
黒服の男は、しきりにあちこち見回して、独りごとを言った。
「くそっ、これじゃ、どこの店に入ったか分かりゃしねぇな。一軒ずつ探すしかねぇか……?」
ちょっと左右を見回してから、よし決めた、といった風で古着屋に入って来ようとした。
「……!!」
これはヤバい、とばかりに体を硬くするリユナ。
そのとき、遠くから別の黒服の声が聞こえてきた。
「お~い!こっちだ~!!」
「なにっ、すぐ行く!」
古着屋に入ろうとした黒服は、どこかへ走って行ってしまった。
はあ~っ、とため息をつく、リユナ。
そして、ちょうど着替え終わったトーマイヤーが、カーテンをさっ、と開けてフィッティングルームから出て来た。
明るい青のジーンズに、ロゴ入りの白Tシャツ、そしてリユナの制服みたいな赤地に黒白のチェック柄のパーカーを着ていた。
それはそれで、とてもよく似合っていた。
(はぁ~、カッコいい人は、やっぱなに着てもカッコいいわ~)
リユナは思わず、みとれてしまう。
トーマイヤーは、自分の身に着けている服が、自分に似合っているかどうか、ということには大して興味などない様子で、ただにこっ、とほほ笑んだだけだった。
リユナは、ハッとわれに返って、
「そうだ、帽子も必要ね」
手近にあった野球帽型の帽子を手にとると、そのままレジにトーマイヤーを連れて行って、
「あっ、これ、着ちゃったんですけど~、あとこの帽子も!」
と言って、トーマイヤーに帽子をかぶせつつ、携帯電話を店員さんに差し出した。
「いらっしゃいませ」
店員さんは愛想よく挨拶すると、リユナの携帯電話から電子マネーで決済した。
返された携帯電話を見て、リユナがつぶやく。
「う~、マジでヤバい。もうほとんどすっからかん状態だわ……」
もう電子マネーが、わずかしか残っていないらしい。
「ありがとうございましたー」
店から出ようと、ちょっと通りに首だけ出して黒服の男が走って行った方を見てみると。
少し離れた路上に、黒服の男が二人いて、誰かにしきりに尋問している様子だった。よく見ると、その尋問されている相手は、なんとリユナを追っていたはずのサユカだった。
「ちょっと、無礼にもほどがありますわよ! このわたくしが、なにをしたとおっしゃるの!王子? そんな方、存じません、と何度言ったらおわかりになるの! ええい、もう、放しなさい! 大声を出しますわよ!?」
すでに、かなりの大声でしゃべってるじゃない、とリユナは心の中でつっこんだ。
どうやら、リユナと同じ制服を着ていたので、王子といっしょにいた女と勘違いされて、尋問されているらしかった。
「サユカも、あたしを追ってここまで来たのかしら? なんにしても、かえって助かったわ」
リユナは、そーっ、とトーマイヤーの手を引いて古着屋を出ると、反対方向へ何食わぬ顔で歩き出した。さもふつうの通行人であるかのように装いつつ。
周りは、そんなに多くはないがまだちらほらと他の通行人が歩いている。そのまばらな人の流れに、紛れ込もうという魂胆だった。
幸い、トーマイヤーの服を着替えたので、それほど目立たずに黒服たちから離れることができたようだった。
しかし、目立つのはリユナの制服も同じこと。
ためしにちょっと後ろを振り返ってみると、遠くの方からあの黒服の男たちが、どうやらこちらに気づいた様子で、サユカをほったらかしにしてこちらへ向かって走ってくるところだった。トーマイヤーの服を着替えたことくらいは、すぐにバレていたようだった。
「うわっ、ヤバっ」
慌てて、すぐ近くの狭い路地へ曲がる。路地を一気に駆け抜けて、向こうの通りに出た。通りを少し走って、また別の路地に入って行く。
そうやって、何度か角を曲がってどんどん追手をまいて行った。
リユナは駆け足には自信があったのだが、トーマイヤーはそうでもなかったようで、さすがにもう追手は来ないだろう、という辺りまで来たとき。
「はあ、はあ。リユナ、ちょっと待ってよ」
トーマイヤーが息を切らせて、リユナを呼び止めた。
「もう、誰も追ってきてないよ。はあ、はあ」
「あっ……ごめんなさい。つい……」
「はあ、はあ、あー、疲れた」
トーマイヤーは、苦しそうに体を付近の壁にもたせ掛けた。そして、なぜか、笑い出した。
「……ど、どうしたの?」
「いや、なんだか、楽しいな、と思ってさ」
「楽しい? ……えっ、トーマくん、誘拐犯に、狙われてるんじゃ、ないの?」
リユナが、真剣な表情をして、尋ねた。
「誘拐……犯?」
トーマイヤーが、きょとん、とした表情で聞き返す。
「え、えっと、その、つまりですね……」
リユナは、トーマイヤーが実は隣国、テレスタルの王子であると、自分が知ってしまったことを、本人に言うべきかどうか、迷った。
「あ、あのっ、トーマくん?」
「なんだい?」
そのときだった。
突然、バラバラバラバラ、と轟音を響かせて、二人の頭上に黒々とした無骨なデザインのヘリコプターが現れた。そして、真っ白なサーチライトで二人を皓々と照らしだした。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
まぶしくて、目がくらむ二人。
ヘリの内部では、通信が交わされていた。
「発見しました。殿下に間違いありません。これより、保護します」
「了解。本機も、ただちにそちらへ向かう」
そして、リユナとトーマイヤーの方へは、拡声器を使って声が発せられた。
「そこの二人、動かないで!」
ヘリからハシゴが下ろされた。そこには、あの黒服にサングラスの男がぶら下がっていた。
リユナはそれを見ると、
「あっ、誘拐犯!」
そう叫んで、またトーマイヤーの手をひいて、ヘリとは反対の方向へ駈け出した。
ヘリの拡声器が、声を張る。
「あっ、こら、どこへ行く! 止まりなさい!」
すごい脚力でどんどん遠ざかっていく、リユナとトーマイヤー。
それを、泡を食って慌てて追いかけようとする、軍用ヘリコプター。あまりにも急発進したので、ハシゴにぶら下がっていた黒服の男は振り落とされそうになって、わあーとわめいていた。リユナたちが向こうの角を曲がっていったのを追って、ヘリも急旋回すると、ハシゴにぶらさがっていた男は遠心力で吹っ飛ばされ、店舗の看板に激突して地面に落下した。
「ヘリまで出てくるなんて、トーマくん、あなたを誘拐したヤツらって、すっごく大きな組織なの!? あっ、もしかして、テロ組織とか‼ そうよ、そうよね?」
「いや、ははは……」
走りながら、話しかけるリユナ。
トーマイヤーは、何とも答えられない様子だった。
後ろからは、バラバラバラバラ、とヘリが追いかけてくる。そういつまでも、逃げ続けることはできない。
ふと見ると、前方に地下鉄へ下りる階段がある。
「よしっ! あそこだわっ!!」
リユナはトーマイヤーの手をひいて、地下鉄への階段へ飛び込んだ。そしてそのまま、階段を数段ずつ飛ばして降りていく。トーマイヤーも、手を引っ張られるままに上手についていった。妙に、二人の息は合っていた。
階段を下りた先はちょっとした地下街になっていて、パン屋や喫茶店、ラーメン店などの飲食店のほか、雑貨屋や土産物店、それに衣料品店なども並んでいた。
それらの店舗の間の通路を、さっそうと駆け抜けてゆく二人。
さきほどまでよりはスピードを落としたが、いつまた背後からあの黒服が追ってくるか分からない。あまりのんびりもしていられなかった。
通行人が、何事か、とそんな二人を振り返る。
リユナはそのまま、地下鉄の駅の券売機の前まで来た。
そして、はっ、とした。
ずっと、トーマイヤーの手を握ったままだったのだ。
「あっ、えっと、その」
慌てて手を放して、ちょっと赤くなる。
トーマイヤーは、どうかしたの? とでも言いたげな表情で、そんなリユナを小首をかしげて見た。
リユナは、トーマイヤーがさほど気にしている風でもないので、気を取り直して、
「あたしは定期だけど、トーマくんは切符を買わなくちゃね……」
そう言いつつ、券売機に携帯電話をかざす。
すると、券売機からピーッという音がして、音声が流れた。
「残高不足です。チャージしてから、もう一度お買い求めください」
「あっちゃ~、もう切符を買うお金すら、残っていなかったか……」
「どうかしたのか?」
トーマイヤーが、心配そうに声を掛けた。
「あ、いやその、あはははは……なんでもないのよ」
「もしかして、電子マネーを遣いきってしまったのか?」
「え、あ、う~、うん、まあ……」
「そうか……ぼくのために、すまない」
トーマイヤーが、すまなそうにしょげた表情を見せた。
「あ、いいのよ。気にしないで♪ ……って!」
リユナが明るく返した、そのときだった。
後ろの方から、足音と声が聞こえてきた。
「いたぞっ、あそこだっ!」
振り返ると、例の黒服の男たちが数人、通路の向こうから走ってくるのが見えた。
「うわっ、来た!」
「リユナ!」
「う~、もう、迷ってるヒマは、ないわね!」
リユナはとっさに、トーマイヤーの背中に自分の体を押し付けて密着させた。そして、そのまま改札の方へ、トーマイヤーを押して行く。
「えっ?」
トーマイヤーは、いったい何? という顔でただ後ろから押されて行く。
そして二人はそのまま改札へ入っていき、リユナは素早く改札に自分の携帯電話――定期と一体になっている――を右手でかざして、改札を通行可にした。改札のゲートに、グリーンのランプが灯る。リユナはトーマイヤーに体をますます密着させて、まるで二人ではなくて一人の人間が通過しているかのようにして、足早に改札を通り抜けた。明らかに不正な通行だ。
改札を通過する間、リユナは秘かに思った。
(うっわ~、あたし、ちょっと大胆すぎかしら……ドキドキしてるのが、トーマくんに聞こえちゃうかも? ……で、でも、今は緊急事態だし、テロ組織にトーマくんが捕まっちゃったら、たいへんだし……仕方ないわよね! ……って、無理あるか……)
トーマイヤーも心なしか、ちょっと頬を赤らめているように見えた。
トーマイヤーの背中に自分の体を押し付けながら、リユナはふと気付いた。
(あれ? なんだか、トーマくんて、いいにおいがする。甘いような、香ばしいような……香水……でもないみたい?)
幸い、駅員には見つからずに通り抜けることができたようだった。
二人とも改札を抜けきると、リユナはすぐにトーマイヤーから放れて、ちょっと顔をうつむけて照れくさそうに笑った。
「えへへ。無事に通れたね」
「……でも、今のは、不正通行なんじゃないのか……?」
トーマイヤーは、なんだかまだ頬を赤らめながら、いぶかしげに疑問を呈した。
「あ、あはははは。だって、今はそれどころじゃ、ないでしょ!」
言いつつ後ろを見ると、黒服の男たちが、今にも改札に到達しそうな距離まで迫っている。
わっ、とばかりに二人とも駈け出した。
通路を走りながら後ろをちょっと振り返ると、追ってきた黒服たちは切符も買わずに改札を通り抜けようとして、駅員に止められているではないか。駅員に止められた黒服たちは、しきりに事情を説明している様子だったが、なかなか理解してもらえそうにないので、駅員を押しのけて強行突破してこちらへ来ようとしている。
トーマイヤーはなんだか楽しそうに、リユナといっしょに走り続けていた。そして階段を下りてホームに着くと、ちょうど列車が到着したところだった。
「あっ、ちょうどよかった。あれに乗りましょ!」
二人とも、列車に乗り込んだ。車中からホームを見ていると、階段をバタバタと下りてくる黒服の姿が見える。
「あっちだっ!」
階段を下りきって、列車の方へ殺到してくる黒服たち。
しかし、必死に追いすがる黒服たちの目の前で、列車はドアを無情に閉じてしまった。そしてゆっくりと動き出した。しまった、という顔でホームに残された黒服に向かって、リユナはべーっと舌を出してやった。
列車内はそれほど混んではおらず、座席はあちこちに空きがあった。
「はーっ、追手はうまくまいたようね。とりあえず、座りましょうか」
開いている席に、二人で座る。
(え~と、う~んと……)
リユナは、いざ落ち着いてみるとなんとなく、何を話していいのか分からなくなって、しばし言葉を探しあぐねて押し黙ってしまった。
しかし、先に口を開いたのは、トーマイヤーだった。
「ところでリユナ」
「えっ、なに」
「これから、どこへ行くんだい?」
「あ、あ~……う~んと、とりあえずぅ、あたしの家くらいしか、行くところはないわね……あたしの定期じゃ、それ以上は行けないし。トーマくんは、どうする?」
「ぼく? うーん、それじゃあ、ぼくもリユナの家に行こうかな」
「えっ、あたしん家に⁉」
「なにか、まずいか?」
「えっ、だって、その、つまりですね……」
(どうしよう、いきなり王子様が家に来るなんて、そんなの聞いてないよ~、部屋かたづけとけばよかったかなぁ……ってそんな問題じゃなく!)
「あの、トーマくんてぇ……」
「ん? なに?」
「あ……っ!」
(って、こんな電車の中で、あまりトーマくんが王子様だなんていう話したら、周りの人に聞こえちゃって、ヤバいか……)
列車内には、それなりに他の乗客がいる。
「えっと、いや、なんでもないの。へへ……」
「?」
トーマイヤーは、穏やかな表情で、軽く小首をかしげただけだった。そして、唐突に言った。
「そうだ、リユナ。高校のことを、もっと教えてくれないか」
「えっ、高校のこと? ……そうねぇ」
リユナはちょっと記憶を呼び起こして、
「ああ、こないだぁ、英語の時間にね」
「英語か、英語は、今や世界の共通語だからな。ぼくも勉強してるよ」
「へぇ、トーマくんも勉強してるんだぁ」
「それで、英語の時間に、どうしたの?」
「あ、それがね、トナちゃんがぁ、あっ、トナちゃんていうのは、あたしの親友なんだけど、トナちゃんが先生に指されて、英語を読んでたんだぁ」
「うん」
「でね、baseballってあるじゃない?」
「野球、だね」
「うん、それを、トナちゃんがいきなり、『バセボー』って読んじゃってぇ」
「……!?」
「先生が、『バセボーって、なに?』って聞き返したの。そしたらトナちゃん、『バセボー病』とか言っちゃって、先生が『それを言うなら、バセドー病だろ』ってつっこむから、あたしたちもう爆笑しちゃってさ~」
「ぷっ……」
トーマイヤーは、思わず笑ってしまって、くっくっ、と笑いをこらえていた。
「そしたら、先生は『なに笑ってるか~!』って怒りだしちゃって。『バセドー病の人に対して失礼だ』とか何とか、お説教が始まっちゃって、結局、授業はつぶれちゃったのよね~、まっ、ラッキーだったけどね」
トーマイヤーは、あまり大声は出さず、こらえながら笑い続けていた。
「あっ、あとね~、さっきトーマくんと会ったところ、あるじゃない?」
トーマイヤーは、苦しそうにしながらうなずいた。
「あそこ、ディオンレイクシティていう、大きなショッピングモールなんだけど、その中にパン屋さんがあるのね。そこに、トナちゃんと行ったんだぁ。そんで、パンの試食を食べてたの」
「試食?」
「うん、お試しで、自由に食べていいように、パンを小さく切って置いてあるの。そしたらね、トナちゃんが『あーっ、リユナぁ、これもすっごくおいしいよ!』って言って、なんか小さいパンをやたらと食べてるわけ。でもね、よく見たら、それ試食じゃなくて、ただ単に小さいだけの、売ってるパンだったの! あたしが『えっ、それ、ヤバいんじゃない?』って言ったら、店員さんが来て、『あの、こちら商品になっておりまして……』って言ってきてぇ」
「ぷーっ、あははははは」
トーマイヤーは、抑えきれずに大笑いしてしまった。列車内の他の乗客が、ちょっとこちらを不審そうに見たが、二人は盛り上がっていて気づかない。
「そんでぇ、トナちゃんたら、そのとき500イェネしかなくてぇ、食べたパンの代金払わなくちゃいけなくなって、お小遣いなくなっちゃったのよねー! あははははは」
二人が笑い転げているので、なんだかうるさい高校生がいるな、と言いたげな視線を送る乗客もいたが、そんなことはよくあることなので、それほど深く気に留めてもいないようだった。
「はー、はー。リユナって、面白いね」
ようやく笑いがおさまってきて、トーマイヤーが言った。
「え、あたし? そうかなあ。あたしは、そんなに面白くないよ~」
「そういえば、リユナは、なんていう高校に通ってるの?」
「あたし? あたしの高校はねぇ、聖クラベリナ学園、ていうのよ。いちおう、普通科の高校なんだけどぉ、なんでも音楽教育に力を入れてる、とかで、オーケストラ部があるの。あたしは、そこに入ってるんだ。さっきも、その買い物でね」
「ふーん……オーケストラ部。リユナの楽器は、なに?」
「あたしはねぇ、ヴィオラをやってるんだ~、一応、トップなんだよ」
「へぇ、トップなのか。それじゃあ、かなりの腕前なんだね」
「いやぁ、そうでもないんだけど、オーケストラ部って言っても、全員が小さいころから習ってるわけじゃないから。たまたま、あたしは五歳くらいからヴァイオリンをやってて、でも腕前の方がちょっとイマイチだったんで、ヴィオラ担当になった、ってわけ」
「そうかぁ。一般に、ヴァイオリンよりもヴィオラの方が、楽器の扱いは易しいとされているからね」
「そうそう。それに、パートも簡単だしね!」
「でも、ヴィオラはヴァイオリンよりも少し楽器が大きいから、体に負担が掛からない?」
「うん、そうね。最初は、楽器が大きくて、ちょっとしんどかったな。左手も広げなきゃいけないし、右手もなんだか遠いし。でも慣れれば、どうってことないよ。って、トーマくん、ずいぶん楽器のこと詳しいのね」
「そうかな」
「そうよ。トーマくんも、なにか楽器やってるの?」
「ぼく? ぼくは……」
トーマイヤーは、自分のことをどこまで話してよいものか、迷う様子でちょっと口ごもった。
そのとき、二人を乗せた列車が、駅に到着した。
「あっ、着いた。ここで降りるんだ」
リユナは一応、例の黒服が待ち構えていたりしないか、外を確認してからホームに降りた。トーマイヤーも、それに続いて降りる。
「あいつらは、いないみたいね」
安心して、二人連れだって改札へ歩いて行く。
改札を出るときも、トーマイヤーは切符がないので、二人はちょっと恥ずかしそうに、でもこれは仕方ないことなんだ、と自分に言い聞かせつつ、駅員がこちらを見ていないことをよく確認してから、体を密着させて一気に改札を通り抜けた。改札を抜けた後でも、なんとなく気恥ずかしくて、お互いに顔を合わせることができない。
そうして会話が途切れたまま、エスカレーターに乗って地上へ出た。
地上へ出ると、そこはオフィス街で、とりあえず歩道を二人連れだって歩いて行くしかなかった。
歩きながら、リユナは一人でいろいろと考えていた。
(う~、まだちょっとドキドキしてる……っていうか、トーマくんが王子様だ、ってあたしが知ってること、そろそろ言っても大丈夫かな。いや、もっと通行人がいないところの方がいいか。それに、このままいきなりあたしの家に行く、っていうのも、滅茶苦茶緊張しちゃうし~!)
リユナは、自宅近くの公園の方へ歩いて行った。その公園の中を突っ切る方が、近道なのだ。トーマイヤーは特に疑うでもなく、穏やかそうな顔で、それについて行く。
公園は、けっこうな広さがあって木立やベンチ、屋根のついた東屋や噴水などがあり、ちょうどオフィス街と住宅街を隔てる位置にあった。辺りは暗く、もう街灯に明かりが入っている。
リユナは、ちょっとした広場になっているところのベンチまで来て、言った。
「ちょっと座らない?」
「うん? ああ……」
トーマイヤーは、なぜ今、座るんだろう? と言いたそうに小首をかしげた。
「あ、いや、いきなり家にトーマくんを連れてったら、うちのパパが卒倒しちゃうかもしれないんで!」
よく分からない言い訳をした。
「リユナの、父上が? それはいけないな。なにか、重い病を患っているのか」
「うっ……そうじゃないんだけど。あは、あははは。とりあえず、座りましょうよ」
ちょっと強引に、ベンチに座る。トーマイヤーも、よく分からないな、という顔をしながらも、いっしょにベンチに座った。




