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HAPPY CLOVER  作者: 北館由麻
学園祭に恋して
43/43

43

 焦げているといってもいいくらいに焼けた顔が3つ、ぬっと私たちの前に現れた。


「ねぇ、君たちかわいいね。名前、教えて?」


 3人揃って短髪なのだが、同じ店で、同じタイミングに切ってきたのか、と思うほどにそっくりな髪型だ。野球部かな、と私は勝手に想像する。


「あ、野獣は足りてますので、結構です」


「え?」


 目の前の3人が、私の隣に座る高梨さんを同時に見た。


「はい、野獣3名様入ります〜」


 パンパンと手を2回叩き、高梨さんは威勢よく言い放った。奥のほうで男子が「うぃ〜」と応じる。フランス語というよりは酔っ払いに近い声だ。


 唖然としながらも野獣男子3人組は入り口の黒のれんをくぐっていく。


「あれはM高かな。いやT工業かな」


「T工業だね。同じ中学だったヤツ、いた」


 背後で男子の声がしたので、私はぎょっとして振り向いた。涼しい目をした堀内くんが高梨さんの後ろに当然という顔で立っていた。


「オイッス。ああいうのは、まゆみに任せておけば大丈夫。ちゃんと追い払ってくれるから」


 堀内くんは私に向かってそう言った。私は口を半開きのまま固まっている。


「ちょっと、なによ。私だってかよわき乙女なんですけど」


 高梨さんが堀内くんに向かって軽くパンチを繰り出した。


 それを苦笑しながらよけると、堀内くんは「まゆみは……」と腕組みをしながら口を開く。


「俺がいるから大丈夫でしょ?」


 私は即座に前を向き、目を閉じる。


 なにも見ていませんでした。なにも聞いていませんでした! ――呪文のように胸の中で繰り返す。


 心臓に悪いやり取りだ。そういうことは私のような部外者のいないところでするべきじゃないか、と内心で憤る私の横から、呆れたような高梨さんの声がする。


「アンタの場合、私をダシにして、ここで他校の女子をウォッチしてるんでしょ。……どう? かわいい子いた?」


「うーん。イマイチ」


「ほらね」


 高梨さんが肩をすくめる。


「俺、最近、理想が高くなっちゃって、全然ときめかないんだ。まゆみと比べると……どうしても、ね」


 うわー、うわー! 耳を塞ぎたいです、先生!


 これはいったい、なんの罰ゲームなんだろう。ふたりが仲良しなのはよくわかった。ホント頼むから、続きは私のいないところでやってください。


 しかしこの場で照れているのは部外者の私だけだった。高梨さんはシニカルな笑いを漏らすと小さくため息をつく。


「かわいい子なんていっぱいいるよ。ほら、ここにも!」


 突然指を差された私は、渋々高梨さんのほうを向いた。私はかわいいと言われるような容姿ではない。困った顔を見せると、堀内くんがフッと笑う。


「清水、怒らせたら怖いし」


「だねぇ。……はい、次にお待ちの方、ご案内しまーす!」


 高梨さんが進行係の合図を見て、受付の仕事を再開する。私は慌てて集計表に目を戻した。ぼけっとしていると高梨さんが受付係の仕事をすべてこなしてしまうので、強引に仕事を奪うようにしている。


 午後のお化け屋敷は一時的に20名ほど並んだけれども、どうやらピークは過ぎたようだ。


 1時間の受付担当はあっという間に終わり、私は高梨さんと堀内くんと別れて、ひとりでぶらぶらすることにした。


 ちなみに清水くんは私と入れ替わりで呼び込み係をしている。清水くんが廊下にいると、女性客が急増するから、ある意味彼にぴったりの係だと思う。そりゃ私としては複雑な気持ちだけど。


 そういうわけでお化け屋敷の近くにいるともやもやするので、できるだけ遠くに行くぞ、と勇ましく階段をおりた。


 暇つぶしにまた体育館を覗こうと思い、1階の廊下を歩いていると、綾香先生がこちらへ向かってくるのが見えた。


「高橋さん、どこへ行くの?」


 綾香先生はニコニコしながら近づいてきた。


「暇なので体育館へ向かっているところです」


「今はなにもやっていないよ。この後、演劇部だから準備時間なんだね」


「あ、そうですか」


 じゃあどうしようか、と思いながら綾香先生の顔を見ると、先生は急に目を輝かせて言った。


「ねぇねぇ。一緒にお化け屋敷行こうよ!」


「え? でも……」


「高橋さんはお客として入ったことある?」


「いいえ、でも、私は……」


「じゃあ行こう!」


 綾香先生は私が渋っているのを無視して腕を絡ませてきたかと思うと、ぐいぐいと引っ張る。来た道を戻ることになった私は慌てて「ま、待ってください」と抵抗した。


 しかし綾香先生は私の腕を離そうとはしない。そしてちょっとふてくされたように言う。


「だってひとりだと入りにくいじゃない。でもみんなが頑張って作ったお化け屋敷を見たいんだ。私、今日で最後だから」


 その言葉にハッとした。そうだ。綾香先生の教育実習は今日が最終日なのだ。


 抵抗していた腕の力が勝手に抜ける。


 綾香先生が私を見て嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。いい思い出になるわ」


「……私も、です」


 ふふっと優しく笑う声が聞こえてきて、私の心もふわりと宙に浮く。


 階段をのぼり、お化け屋敷を目指して歩いていくと、廊下にいた清水くんが目ざとく私たちを発見した。


「あれ、綾香先生。お化け屋敷に入るつもりですか?」


「なんで意外そうな顔されるのかな?」


 綾香先生は不満そうに口を尖らせた。そんな顔をしてもかわいい。


 しかし対する清水くんは、私を見てますます目を細めて渋い顔をした。

 

「もしかして、ふたりで入るつもり?」


「ダメなの?」


「ダメ」


 驚くほどきっぱりとした否定だった。清水くんは綾香先生じゃなくて、私を見てそう言った。


「どうして?」


「いろいろと問題がありまして」


「どんな問題?」


「それは……」


 言葉が続かない。彼が明確な理由を言えないなんて珍しいことだ。綾香先生と私はひそかに視線を交わす。先生が悲しい表情で言い募った。


「ひどいなぁ。私、今日でみんなとお別れなんだよ? お化け屋敷に入りたい! 入らないと絶対後悔するもん」


 すると清水くんは険しい顔のまま思案に耽った。そして数秒後、深いため息をつくと、苦笑いを浮かべる。


「そこまで言われて断るわけにもいかないですね。わかりました。ではお気をつけて」


 綾香先生には愛想をふりまいたくせに、清水くんは後ろに続く私に対して冷たい視線を放ってきた。私はカチンときて、眉をひそめて無言で抗議するが、彼も負けじと睨み返してくる。


 いったいなんなんだ!? と憤りつつ、受付で大歓迎される綾香先生の背を追って、私もお化け屋敷の客となった。


 暗い通路を進んでいくと、足元からヒューという効果音が聞こえてくる。ここは主に日本のお化け地帯だ。


 通路を曲がると、壁際に髪の長い浴衣姿の女子がうつむき気味に突っ立っていて、下からライトを照らしてこちらへ1歩踏み出してくる。


「きゃっ!」


 かわいらしい声を上げたのは、もちろん私ではなく、綾香先生だった。


「えっ、もしかして、藤谷さん?」


「えへへ、うらめしや〜」


 前に長く垂らした髪の間から、藤谷さんのつぶらな瞳が見える。もともとかわいらしい人だから、メイクが映えて風情のある幽霊になっていた。


「がんばって!」


 綾香先生は小声でエールを送り、通路を歩き出した。私もその横をゆっくり進む。暗いのでどうしても慎重にならざるをえない。


 通路が盛り上がっている部分に気を取られていると、なにかが額をかすめて通り過ぎた。たぶんただの布切れだが、不意打ちを食らうとドキッとしてしまう。


 次の曲がり角には大きな水瓶のような張りぼてが置いてあった。なんだろうね、と無言で綾香先生と顔を見合わせる。先生がおそるおそる近づいて、覗き込んだ。


「うわっ……!」


 水瓶から飛びのいた先生を追いかけるように、かえるのおもちゃがぴょーんと飛び跳ねた。慌てて先生の背中を押さえる。まさかこれで腰を抜かすことはないと思うが、念のためだ。


「あ、ありがとう。ちょっとびっくりした」


 私は綾香先生の青ざめた顔を見て(といっても暗がりだから本当に青ざめているかどうかは定かではない)、申し訳ないような気持ちになって、曖昧な笑みを浮かべた。


 まぁ、こんな仕掛けは子どもだましだ。それでもなぜかわくわくする。


 私の場合、最初のほうの仕掛けは、作成を手伝ったこともあって、先生ほどの新鮮な驚きはないのだけど、この先はなにが待ち構えているのか、実は私も知らない。ドキドキしながら暗い通路を覗き込むが、なにも仕掛けらしきものは見えなかった。


 気を取り直した綾香先生が「よし」と声を出した。


「進もう」


「はい。もうすぐ中間地点です」


 私がそう言うと、綾香先生は大きく頷いて、それから私の腕をガシッとつかんだ。


「よし、もう驚かないぞ!」


 言葉とは裏腹に、私の後ろに隠れるように身を縮めている。そんな綾香先生をかわいらしく思い、私は先生を守るようにして歩き出した。


 途中で私たちを押し潰すように塗り壁が倒れてきたが、ふたりともそれほど驚かなかった。


 これは楽勝だな、と思いながら中間地点の狭い通路を通り抜ける。ここは2教室の連結部分で、一応ベニヤ板で囲ってあるが、室内に比べると明るい空間だった。暗がりから急に電灯の光を浴びることになったので、まぶしさで目が眩む。


 新しい教室に足を踏み入れた私たちは、角材でできた檻の向こう側に囚人らしき男子の姿を見た。隣で綾香先生がクスッと笑う。お化け屋敷になぜ牢屋があるのかよくわからないけれども、それを眺めながら曲がり角を折れると、まず床が傾斜しているのが目に入った。


「坂になってるね」


 綾香先生が囁くように言う。すると牢屋があったほうの壁の向こうで、人が動く気配がした。複数の慌しい足音が聞こえ、綾香先生と私は眉をひそめる。


 坂を登りきって台地に到着した瞬間、壁からたくさんのなにかが飛び出してきた。


「ぎゃーっ!」


 綾香先生の絶叫が室内にこだまする。


 平らなはずの床が、ぐにゃりと沈んだ。そのせいで壁から生えたものから逃れるのが難しい。足元がおぼつかないところに、複数の人間の手が私たちの身体を触るために伸びてきたのだ。


「ちょっ……!」


「やめてーーーっ!」


 必死で前に進もうとしたが、壁から生えた手は私の制服をつかみ、力任せに壁側へ引き寄せようとする。それに前方にもたくさんの腕がなにかを求めてうごめいていた。


 邪な腕を払いのけつつ、これか、と私は思う。


 西さんが忌々しい表情で「あの仕掛け」と言ったのはこれのことで、屋敷内部に男子がたくさん配置されていたのは、この仕掛けのためだったのだ。


 思い出してみると、裏方だというのに男子はみんなやたらと張り切っていた。


 しかし考え事をしている間も、胸元に手が伸びてくるからむかつく。前を気にしていると、後ろからスカートの中に明確な意志を持った生き物が入り込み、やみくもにうごめいた。


 魔の手から逃れるために身体をねじり、じりじりと移動をするものの、埒が明かない。


 綾香先生とぶつかった。先生は背を丸め、できるだけ壁から離れようとしている。


 しかし壁から生えた腕たちの勢いは一向に衰えないから厄介だ。むしろだんだん加熱しているようにも見える。


 私はここから抜け出すために先生の背を押したが、壁から突き出た腕の力が強くて、先生はその場から一歩動くのがやっとだった。


 壁の向こうでは男子の言い争うような声が大きくなっている。


 熱気は数秒後、狂気に変わった。


 ビリッという異音が聞こえたかと思うと、ミシミシという木が軋む音が続き、最後は「うおぉ!」という男子の叫び声が響いた。


 同時に腕の呪縛から解放され、私たちはほとんど這いつくばるようにして危険地帯を抜けた。


 振り返ってみると、綾香先生側の壁が通路側へ倒れ、腕を出していた男子たちは前につんのめる姿勢で折り重なっていた。


 その無様な格好を見て綾香先生はプッと噴き出す。


「あーあ、壊れちゃったよ」


 腕を出すためのダンボール紙部分は無残に破れ、壁のベニヤ板は途中から割れていた。


 この中でいち早く我に返った男子は田中くんだった。


「やべぇよ。清水に怒られる!」


 そう言いながら通路を逆走し、お化け屋敷全体に行き渡るような大声を上げた。




「すいません。壁が倒壊しました。お化け屋敷は一旦閉鎖します」




 私たちの後ろから来た客が、文句を言いながら入り口へ戻っていく。


 囚人のような格好をした男子たちは「お前が押したから」「いやお前が突っ込んできたんだろう」と小競り合いを繰り広げていた。


 そこへ冷静な足音が聞こえてきて、急にしんとなる。この足音には聞き覚えがあると思う間もなく、通路にその人の姿が現れた。


「最初にあれほど注意したはずだ」


 怒りを抑えたその声に、私の後頭部がぞくりと震えた。


 ひやりとしながら倒壊した壁の前にたたずむ男子たちを見ると、みんなまるで刑の執行を待つ囚人のような表情でうな垂れている。


 清水くんは事故現場へ歩み寄ると、割れたベニヤ板の破片を手に取った。


「今から直しても、閉会時間に間に合うかどうか……」


 深いため息が、清水くんの心情を雄弁に語る。裏方の男子は私がいたたまれなくなるほどにしょげていた。


 暗い現場が最悪の雰囲気になったところへ新たな足音が近づいてきた。


「こっち、こっち」


 どうやら田中くんが担任を連れてきたらしい。


「おお、ずいぶん派手に壊したな」


「すみません。私が悪いんです」


 突然綾香先生がすっくと立ち上がり、私たちをかばうように進み出た。担任は驚いたように綾香先生を見つめ、それから言った。


「誰が悪いということもないでしょう。強いて言えば設計ミス。だが、清水はこういう事態も想定して補強を入れていたわけだし、それでも壊れたのならもう仕方のないことだね」


 低く柔らかい声で淡々とそう言い切られると、誰もなにも言えなくなってしまった。立ちつくす綾香先生の背中が寂しそうだ。


 重苦しい空気の中「じゃあ、ちょっと早いけど店じまいするぞ」という担任の呼びかけが響いた。


 みんながのろのろと動き始めたのに、清水くんはひとりだけその場から動こうとしない。私は不安になって、彼の表情を確かめるために首を伸ばした。

 

 ――まさか、泣いてないよね?


 ドキドキしたけれども、清水くんは泣いてなどいなかった。でもやるせない表情で壊れたベニヤ板を凝視していて、その様子は私の心を一瞬でぺしゃんこにした。


「清水くん。私、直すよ」


 綾香先生が清水くんの前に立つ。


「いや、もういい……です」


 清水くんは頑なに視線をベニヤ板に落としたままだ。


 見知らぬ同級生のケンカのせいで、ひしゃげた私のロッカーの扉を直してくれた清水くんの姿が脳裏によみがえる。急に、なにかしなくてはならない、と思い立った。しかし直すという提案は却下されたばかり……。


 ――清水くん。


 結局私には落ち込む清水くんの背中を見つめることしかできなかった。






 午後4時、スピーカーから閉会宣言が聞こえてきた。


 私は窓を塞いでいた大きな黒い布を畳みながら、ひそかに清水くんの姿を探す。閉会宣言より1時間半前に営業を終了したお化け屋敷は、片付けが半分くらいまで進んでいた。


 通路の壁が男子の手で次々と教室の後ろへ運ばれる。その壁の集積所の横に、清水くんがいた。片付けを手伝いもせず、浮かない顔で窓の外を眺めている。それを咎める人はいない。


 なにを考えているのだろう。


 企画書は完璧だったはずだ。それが最後にこんなアクシデントで、閉会前に閉鎖しなくてはならなくなった。そのショックでプライドが粉々になってしまったのだろうか。


 こういう清水くんの姿を見るのは、なんだかつらい。


 どんなときも余裕で成功するのが当たり前という顔をしていてほしい。


 まぁ、それが癪にさわるときもあるけれども、今の彼はとにかく痛ましくて見ていられなかった。


 綾香先生は他の教育実習生が迎えに来たため、壁の崩壊から5分もしないうちにお化け屋敷を去った。私はあのおぞましい手の感触を思い出しただけでも、嫌悪感でいっぱいになるのに、綾香先生は怒るどころかクラスの男子をかばってくれたのだから、やはりすごい人だと思う。とても敵わない。


 もし綾香先生がこの場にいたらどうするのかな。そんな疑問が浮かぶ。


 さっきは直すと申し出て、清水くんに断られていたけど、その後は放っておくのだろうか。それとも話しかける? いや、近寄りがたいオーラ出しすぎだし、さすがの綾香先生も放置するはず。


 私は畳み終わった黒い布を大きなダンボール箱に詰めた。そこへ高梨さんが近づいてきた。


「ねぇ、後夜祭出るよね?」


「はい、一応そのつもりで家にも遅くなると言ってきましたけど」


「そっか。よかった。清水くんは相変わらず機嫌悪そうだけど、このまま帰っちゃったりしないよね?」


「それはどうだか……私にはわかりません」


「んー、困ったヤツだなぁ」


 高梨さんは唸りながら、スタスタと清水くんのほうへ向かって行く。驚いて「あ!」と声を上げたが、高梨さんは気に留めることもなく、堂々と清水くんの前に立った。


「おつかれ! 後夜祭、ちゃんと出てよ?」


 清水くんが面倒くさそうに高梨さんを見る。


「最初からそのつもりだけど? なんで?」


「いや、アンタが帰っちゃうと寂しがる女子がいっぱいいるからさ」


 それだけ言うと高梨さんは清水くんに関心をなくしたかのように、さっさと次の仕事へ向かった。


 残された清水くんはまた不機嫌な顔で空を眺める。


 私はあっけに取られていたが、教室に入ってきた担任の呼びかけで我に返った。






 後夜祭はグラウンドで行われるため、朝と同様、形式的な帰りのホームルームが終了すると、全生徒が校舎から玄関、そして校庭を経由してグラウンドへ向かった。


 だらだらと歩く高校生の群れというのは暑苦しいものだ。私は群れからはぐれた迷子のように、ひとりでとぼとぼとグラウンドをめざす。


 グラウンドでは学園祭実行委員がクラスごとに整列させていた。ほぼ全員が揃ったところで校長先生の挨拶が始まり、私の斜め前で沖野くんがあくびをするのが目に入る。校長先生は心得たもので、挨拶を短く終わらせ、壇を下りた。


「それではみなさんお待ちかね、後夜祭のメインイベント、フォークダンスの時間です! まずは全員で大きな円を作りましょう」


 司会を務める学園祭実行委員が腕を大きく回すと、各クラスの実行委員が先導し、全校生徒でいびつながらもひとつの大きな円となった。


 そこに軽快なリズムの音楽が流れてきた。マイムマイムだ。足がもつれそうになるが、適当にごまかしながら左へ移動し、それから前進。「マイムマイムマイムマイム!」と一部の男子が盛り上がるのを苦笑しながら眺める。


 グラウンドを半周したあたりで音楽が途切れた。最初は気乗りしなかったのに、終わるころには楽しくなってきて、早くも次がなんの曲か気になってしまう。


「では次の曲の前に、男子は円の内側へ入って、もうひとつ円を作ってください」


 これで次が男女で踊る曲であることが確定する。あちこちで文句や歓迎の声が上がり、それがおさまる前にフライングで曲が響きわたった。


「これ、なんていう曲だった?」


「オクラホマミキサー?」


「違う。あれはちゃらちゃらっらららら、たったった、ってヤツでしょ」


「じゃあコロブチカ」


「ああ、そんな名前だ」


 少し離れたところから聞こえてくる話し声で、そうだったのかと思う。踊りを覚えたのは小学生だったか、中学生だったか、記憶が定かではない。みんな同じジャージで踊っていた記憶があるから中学生なのだろう。


 でも、おぼろげな記憶の断片に、微妙な違和感を覚えた。とすれば、最初に習ったのは小学生だったかもしれない。


 急にぐいと手を引かれて、私は目の前にいる人の顔を見た。沖野くんだった。手のひらがかさかさしていて驚いた。清水くんは柔らかい手でこんな違和感を持ったことはない。


 不思議な気持ちのまま、次の人の手を握る。パートナーがあっという間にチェンジしていくから、指の長い人、骨ばっている人、少し汗ばんでいる人、それぞれの感触になれないうちに移動しなくてはならない。


 そのうち清水くんが見えるところまで来た。あと2人というタイミングで曲が止まる。男子のほうばかり見ているのも不自然なので、私は女子の列を見た。


「もうちょっとだったのに!」


「でも次、オクラホマミキサーでしょ。絶対まわってくるよ」


 西さんと藤谷さんの会話だ。たぶん私に聞かせるための会話なのだろう。嫌な気分になったが、陽気なメロディに乗せて聞き流すことにする。


 隣の男子が後ろから手を回してくるので、私もその手を取った。清水くんがリズムを無視して適当に踊っているのが見える。


 曲が短調に変わったところで清水くんが私の手を握った。いつもと違って、今にもはずれてしまいそうなくらい緩い繋ぎ方で、私はちょっと焦る。


 思わず隣の人の顔を見上げる。


「なに?」


「いえ、別に」


 ――いや、「なに?」って、仮にも彼女に対する言葉としてひどくないか?


 だけど清水くんは、私が内心憤慨していることすら気がつかない。


 次の言葉を考えているうちにパートナーチェンジとなり、私はもやもやした気持ちのまま踊り続けた。


 西さんはあんなに不機嫌な王子と踊っても、やっぱりときめいたりするのだろうか。私なら、踊っている間くらいちゃんと私を見てほしいけど。


 ――って私はなにを考えているんだ、なにを!


「高橋さんって案外、アレだね」


 頭上からそんな言葉が降ってきた。私は慌てて新たなパートナーを仰ぎ見る。堀内くんだった。


「アレとは?」


「うん。……巨乳?」


 とっさに堀内くんの足を踏んだ。


「痛っ……!」


「ごめんなさい」


 少し早いタイミングで堀内くんの手を振りほどき、離れてから思い切り睨みつける。しかし堀内くんはニヤッと意味ありげな笑みを浮かべて、まったくこりていない様子だ。


 オクラホマミキサーが終わり、司会が「最後はジェンカです」と言うと、グラウンドの大きな円はスクランブルエッグのようになった。


 私はじゃんけんをするクラスメイトをぼんやりと眺めた。


 この曲が終わると、学園祭も終わる。


 自発的ではないにしろ、こんなに学園祭と関わったのは初めてで、だからなのか、終わってしまうことが寂しく感じられた。


 ――なんだかんだとあったけど、楽しかった……かな。


 自分の気持ちを素直に認めたら、心が急にポッと温かくなる。放課後にベニヤ板をひたすら黒く塗りつぶす作業も地味だけど面白かったし、あれからクラスメイトの視線が少し変わったような気もするし。


「高橋さん、じゃんけんしよう!」


 私の前に高梨さんが立っていた。そして彼女の両肩をつかむ堀内くんにクラスの男子が数人続く。


 高梨さんの「最初はグー」という元気な声に合わせて、おずおずと右手を出す。


「おわーっ! 負けたー!」


 そう言いながら高梨さんが私の背後にまわり、肩をつかんだ。


「よーし、発進!」


 テンションの高い高梨さんにのせられて、私は歩き出した。後ろから「あっち」と堀内くんの声が聞こえ、私の肩を高梨さんの手が操縦する。


 視線の先には、グラウンドの端で浮かない顔をしている清水くん――。


 一瞬ひるんだ私の肩を、クラスメイトたちが押す。仕方なく彼の前へ進んだ。


「じゃんけん、しよう」


「俺はいいよ」


 そう言った清水くんは、今にも泣き出しそうな表情にも見えた。私は焦る。でも引き下がるわけにもいかない。後ろから「清水、お前も男だろ!」「逃げるのか?」とクラスメイトたちがはやし立てた。


「うるせぇ!」


「ほら、いくぞ! 最初はグー。じゃんけん……」


 ぽん、の掛け声で、私は握り締めた拳を突き出した。


 目の前には大きく広げられた手。


「よし、清水、いけーっ!」


 困惑気味に眉をひそめる清水くんだったが、音楽に急かされて私は少々強引に彼の肩に手を伸ばした。ちょっとぶらさがるような体勢になってしまったけど、そんなことを気にしている場合じゃない。後ろから押されて否応なしに清水くんは1歩、2歩と歩き出す。


 かなり長い列の先頭がこちらに突進してきた。清水くんは無言でじゃんけんに応じる。今度はチョキ。また勝った。


 後ろを振り向いてみると、50人くらい連なっている。前を見ると清水くんは次の相手とじゃんけんしていた。これにも勝って私たちの列車はあっという間に100人を超える。


 グラウンドを蛇行しながら歩き、次の相手に巡りあった。


 清水くんは興奮気味の相手に気圧されることもなく、淡々と勝負に挑む。またもや勝った。そろそろ私もこれは尋常じゃないな、と思い始めていた。


「清水、じゃんけん強いな。連戦連勝じゃん!」


 堀内くんが私の後方から声を上げた。清水くんは首を少しだけ動かして「当然だろ」と短く言い捨てる。


 清水くんを先頭にした私たちの列はうねりながら進み、じゃんけんをしては相手を従え、ついに最後の敵と相まみえることになった。


「え? 清水先輩?」


 私たちと同じくらい長い列の先頭には、清水くんを慕う1年生の桜庭さんがいた。


 清水くんはなにも言わずに右手を出す。誰かが「最初は」と大声を張り上げると、両列から一斉に「グー!」と声が上がる。


「じゃんけん、ぽん!」


 背後から「おおおっ!」と爆発的な歓声がわき、清水くんが誇らしげに右の拳を天に向かって突き上げた。


 桜庭さんは悔しそうに「あーあ」と言い残して、こちらの列の最後尾へ向かう。


 グラウンドにはまだジェンカのメロディが流れている。清水くんは全校生徒を従えて、軽やかにステップを踏む。その肩につかまりながら私は、どうしようもなくこみ上げてくる笑みを、どうやってごまかそうかとしばらくの間悩み続けた。



〈「学園祭に恋して」END〉

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