急いでいた
翌朝、俺は全員を集めた。
ニナ、トビー、ヨナス、ミア、ラルフ、ダン、アニカ、ボリス、マレーネ、レイ、ヴィオラ。キースの班も、たまたま来ていたので入れた。
俺は穴の縁の一か所を指した。
「ここを触れ。順番にだ」
全員が触った。
順番を守らせたのは、先に触った者の言葉が後の者に移るからだ。房でもそうしていた。誰かが引っかかると言ってしまうと、次の人間の指はそこを探しにいく。探しにいった指は、たいてい何でも見つける。
だから、何も言わずに触らせた。
全員が同じ場所で止まった。ニナだけが、触る前に一度、爪で叩いた。叩いてから触って、それから俺のほうを見た。
「音は」
「変わらないです。ここも、他も」
「そうか」
「音じゃないみたいです」
あの子がそう言うなら、音ではないんだろう。
削り残しは、音には出ない。表面の話だからだ。中に空洞があれば濁るが、縁の角が残っているかどうかは、指でしか分からない。
だから俺は、この一か所を見つけるのに三刻かかった。
最初のトビーが「引っかかります」と言い、次のヨナスが型紙を当てて頷き、ミアが二度触って首を傾げ、ラルフが黙って触って、それから小さく頷いた。キースは長いこと触っていた。
「他の縁は、全部丸いんですよね」
「全部丸い」
「なんでここだけ」
「それを訊いてるんだ」
俺は穴の前にしゃがんだ。
「読める範囲を言う。ここまでは、傷から言えることだ」
マレーネが羽根ペンを構えた。
「一つ。この座は長いこと使われた。傷の底が丸いからだ」
「はい」
「二つ。載っていたものは、一度だけ外された。縁の擦れが一本しかない」
「はい」
「三つ。外し方は丁寧だった。欠けていない」
「はい」
「四つ」
俺は縁の一か所に手を置いた。
「縁を丸める作業が、途中で終わっている」
誰も何も言わなかった。
「ここから先は、俺の考えだ。記録じゃない。書かなくていい」
「書きます」
マレーネが即答した。
「あなたの考えだと明記して、書きます。読み手がついたときに、誰がどう読んだかが残っていないと困ります」
この人は、たまにドルグ・ヴァイスと同じことを言う。あの二人が話したことは、一度もないはずだった。
「じゃあ書け」
俺は立ち上がった。
「この人間は、丁寧だ。俺より丁寧だ。そういう人間が縁を削り残すことは、普通ならない。だから、これは腕の話じゃない」
「では」
「時間の話だ」
俺は工房を見回した。
「途中でやめた理由は、二つしかない。やめたくてやめたか、やめざるを得なかったかだ。丁寧な人間がやめたくてやめるなら、あとで戻ってくる。戻ってきてない」
ニナが、穴のほうを見た。
「三十階のも、そうです」
「そうだな」
「半分だけ詰めて、戻ってきてない」
「そうだ」
俺は縁に手を置いた。冷たかった。
「片方は、ずっと前だ。この街ができる前かもしれん。もう片方は、四日前だ」
工房が静かになった。
「二百年離れた場所で、同じ人間が、同じ途中のやめ方をしてる」
ボリスが、鍋の蓋を持ったまま動かなかった。
「ハウザーさん」
マレーネの声が、少し掠れていた。
「それは、つまり」
「言わん」
俺は当て金を持ち上げた。
「言うと、俺の考えを超える。読んだものより先に行くと、そこから間違えるからな」
俺は台に戻って、その日の一本目を取った。
列を開けさせた。三日も閉めていたので、通路の外まで人が並んでいた。壊れたものを抱えて待っている連中がいる限り、俺のやることは変わらない。
その日は斧が四本と、脛当てが六つと、鍋がひとつ来た。鍋はアニカのではなかった。ヨナスが客の顔を先に見て、ミアが留め金を独りで替えて、ラルフが研ぎを回した。ニナが分店から三本を回してきて、そのうち一本には俺にも分からないところがあったので、明日にしてくれと言った。
分からないと言うと、客は不安な顔をする。それでも言う。言わずに返したものが、いちばんよく人を殺す。
ただ、その日の夕方、片づけのあとで、俺はもう一度あの縁に手を当てた。
急いでいた、と俺は思う。
あの縁を削り残した人間は、削る手を止めて、そこから離れた。離れるだけの何かがあった。
二百年前に、ここで。




