削られた床
その晩、俺は鉄骨の裏で朝まで過ごした。
灯りをひとつ差し入れて、隙間から見える範囲を端から見た。手は入るが身体は入らない。廃材が積み上がっていて、上から順にどけなければどうにもならない。
どけようとして、やめた。
こういうものは、明るいうちに人数でやる。夜中に独りで鉄を動かして下敷きになるのは、いちばんつまらない死に方だ。
だから俺は、灯りを置いたまま隙間の前に座って、朝まで見ていた。
ナットは途中で戻ってきて、俺の膝のあたりに丸くなった。この鼠がそんなことをしたのは初めてだった。
夜のあいだ、考えたことは大したことではない。
この隙間は、俺がここへ来た最初の日からあった。廃材置き場の行き止まりで、入る理由がなかったから入らなかった。二年近く、毎日その前を通っていた。
二年通って一度も見なかったものを、この鼠は最初から知っていたことになる。
鼠は鼠だ。何かを知っていて運んできたわけではないだろう。ただ、こいつが運んでくるものを俺が選ばせていたのは事実で、選ばせた結果があの四つだった。
もっとも、選ばせた覚えもない。俺はただ、持ってきたものを受け取って、使えるものは使い、使えないものは箱に放り込んでいただけだ。
受け取り続けるというのは、それだけで何かを教えることになるらしい。
朝、トビーがいちばんに来て、俺がそこにいるのを見て固まった。
「……ゲルトさん、何してるんですか」
「見てた」
「一晩ですか」
「一晩だ」
「寝てください」
「あとで寝る。それより人を集めろ」
ヨナスとミアとラルフが来て、ダンが来て、アニカが来た。ボリスは屋台を開けかけていたのをやめて、寄ってきた。
列は今日も閉めることにした。三日で二度目だ。ニナがいないので番号札の管理をする者がなく、ダンが通路の入口に板を出して、明日にしてくれと書いた。字が読めない客もいるので、口でも説明させた。
「どかすぞ」
鉄骨は思ったより重かった。ダンとラルフが下を持って、トビーとヨナスが支えて、ミアが位置を見た。ボリスは屋台から縄を持ってきて、支点を作った。この男は台車を改造して屋台にした人間なので、こういうことに妙に強い。
午前中いっぱいかかった。
途中でトビーが指を挟んで、爪が割れた。ミアが布を巻いた。ダンは腰をやりかけて、ボリスに縄の掛け方を直された。ヨナスは力仕事に向いていないので、灯りと水を回す役に落ち着いた。本人はそれを不服そうにしていたが、途中から回し方が妙に上手くなっていた。
鉄というのは、動かすとよく分かる。錆びて固まった鉄骨は、見た目の倍は重い。
最後の一枚をどけたとき、全員が黙った。
床が、見えた。
円い。
直径は、両手を広げたくらい。周りの床から一段だけ沈んでいて、底は平らだ。縁は丸められている。角がひとつもない。
俺は膝をついて、手を入れた。
底に、傷があった。
円を描いて、全面に。深い。あの殻の座より、はるかに深い。
「……ヨナス」
「はい」
「灯りを、もっと」
寄せられた光の中で、俺は底の傷を指でなぞった。
同じ性質のものだ。同じ場所に、同じ角度で、何度も押し当てられたものの傷。
ただし、深さが違う。殻のほうは指で撫でて分かる程度だったが、こちらは爪が引っかかる。
「ハウザーさん」
「なんだ」
「これも、座ですか」
「座だ」
「では、載っていたものは」
俺は底に手のひらを当てた。
冷たい。石ではない冷たさだった。あの黒いやつと同じ種類の冷たさだ。
「無い」
「無い?」
「無いんだよ。空だ」
工房が静かになった。
俺は立ち上がって、両手の埃を払った。
払いながら、自分の店を見た。木箱と、研磨台と、穴あけ台と、砥石の棚と、明日取りに来る道具が並んだ棚。二年近くかけて作ったものが、そこにある。
その二十歩ほど向こうに、この穴があった。




