行けない男
調査が決まったのは、それから五日後だった。
第三十階層。対象は、輪を持つ個体の生息域とその周辺。目的は、開口部の形成状況の確認と、設置主体に関する痕跡の有無。マレーネが書式を三度書き直して、ようやく通った形だという。
同行者の欄には、宝玉級が一名、金級が一名、銀級が二名。ギルドの調査員が三名。
俺は、その紙を読み上げてもらっていた。
「ハウザーさん」
「なんだ」
「あなたの名前は、入りません」
「そうだろうな」
「灰級では、二十階より下の申請が通りません。年齢の規定もあります」
「知ってる」
その紙には、もうひとつ書いてあったらしい。あとでマレーネが言いにくそうに教えてくれた。同行者の欄の下に、助言者として俺の名前が入っている。現地には行かないが、装備の仕立てと事前所見を担当した者、という扱いだ。
「入れてくれたのか」
「入れました。ヴァイスさんが、入れろと」
「あの人が」
「はい。報告に読み手がついたときに、誰が読んだかが残っていないと困ると」
俺は当て金を置いて、しばらく何も言わなかった。
書いておく、というのは、そういうことだった。
俺は房で二十年、書かなかった。書かなかったから、俺が読んだものは俺がいなくなった日に全部消えた。今度は、行けない場所へ行く連中の紙の上に、俺の名前が残る。読んだ人間として残る。
行けないことと、いなかったことは違う。あの男は、たぶんそこを分けてくれた。
もっとも、本人に言えば否定するだろう。読み手がついたときに困るから書いた、と言うに決まっている。この街には、そういう言い方をする人間が妙に多い。
俺は当て金を持ち上げて、次の胸当てに取りかかった。
その日は、いつもより多く仕事をした。列が終わっても手を止めなかったので、ダンが資材を運ぶのが追いつかなくなった。トビーが何か言いたそうにしていたが、言わなかった。
夜、片づけをしていたら、ボリスが酒を出してきた。
「飲め」
「いらん」
「飲め」
俺は椀を受け取った。
「あんた、今日はよく喋らなかったな」
「そうか」
「そうだよ。朝から、必要なことしか言ってねえ」
俺は酒を飲んだ。ひどく安い酒で、いつもと同じ味がした。
「行きたいのか」
「行けない」
「訊いたのはそこじゃねえよ」
俺は椀を置いた。
置いて、しばらく黙っていた。
「俺は、あれを開けた人間だ」
「そうだな」
「開けて、読んだ。座が減ってる、規格がある、消耗品だ。全部俺が言った」
「言ったな」
「言ったやつが、確かめに行けない」
ボリスは炭を寄せた。
「行けるやつに任せりゃいいだろ」
「任せる。任せるが」
言葉が続かなかった。
二十年、俺は房で他人の道具を見てきた。俺が見た道具を持って、他人が潜って、他人が帰ってきた。俺は一度も現場にいたことがない。それでよかったし、いまでもそれが自分の仕事だと思っている。
ただ、今度のは道具の話ではなかった。
「ゲルトさんよ」
「なんだ」
「あんた、房にいたころ、若いのが潜るのを見送ったことは何度ある」
「数えてない」
「数えられねえくらいあるだろ」
「あるな」
「そのたびに、こうだったのか」
俺は答えなかった。
答えなかったが、思い出してはいた。房にいたころ、俺は毎朝その日潜る連中の装備を仕上げて渡していた。渡して、見送って、それきりだ。帰ってきたかどうかは、翌日その道具が戻ってくるかどうかで分かった。
戻ってこなかった道具のことを、俺は数えていない。数えていない、というのは正確ではないかもしれない。数えないことにしていた、というほうが近い。
ボリスはそれで満足したらしく、鍋の蓋を閉めた。
「じゃあ、いつも通りやりゃいい」
「いつも通りとは」
「道具を仕上げてやるんだよ。あんたはそれで飯を食ってる」
俺は椀の底に残った酒を飲み干した。
その通りだった。




