署名
ドルグ・ヴァイスが工房に来たのは、その二日後だった。
前と同じように列に並んで、前と同じように番号札を受け取っていた。受け取ったのはニナで、あの子は今度は一歩も下がらなかった。
男は背中に盾を負っていた。俺が直したやつだ。表に新しい傷が二つ増えている。
「見てくれ」
「置け」
俺は受け取って、灯りに当てた。傷は浅い。芯まで届いていない。金具の位置も動いていなかった。
「持つな」
「持つとは」
「あんた、この盾をまだ持ち歩いてるだろう。芯が割れてるやつを金具で支えてるだけだ。次に深いのをもらったら、割れる」
「新しいのを買えと」
「買え」
「値が張る」
「腕より安い」
男は少し黙って、それから、小さく息を吐いた。
「あんたは、変わらんな」
「変わる理由がない」
男は盾を受け取って、背中に回した。回してから、しばらくそのままでいた。
「ハウザーさん」
「なんだ」
「あの子は、どうしている」
「働いてる」
「そうか」
それだけ訊いて、それきりだった。訊きたいことはもっとあったんだろうが、この男は訊かないほうを選ぶ人間らしい。
あとでニナに聞いたら、番号札を渡すときに一度だけ目が合ったと言っていた。
「何か言われたか」
「いえ。でも」
「でも?」
「札を、両手で受け取られました」
俺は当て金を持ち上げた。あの体格の男が、木札を両手で受け取っている姿を思い浮かべると、少し妙な気分になった。
俺は盾を台に置いて、それから、少し考えた。
考えて、余計なことを言うことにした。近ごろこれが本当に多い。
「ヴァイスさん。ひとつ頼みがある」
男が顔を上げた。
「珍しいな」
「珍しい」
俺はマレーネを呼んで、綴じ帳を持ってこさせた。台の上に報告書を広げて、ヨナスに読み上げさせた。
読み上げるあいだ、ドルグ・ヴァイスは動かなかった。眉ひとつ動かさずに、最後まで聞いた。
読み終わって、ヨナスが紙を置いた。
「保留、か」
「保留だ」
「対象が特定できないから、と」
「そう書いてある」
男は台の上の七つを見た。
手を伸ばして、いちばん大きいのを取って、平らな面を灯りに寄せた。俺と同じ角度で寄せた。この男も、傷を読む側の人間だ。
「これは、擦れているな」
「擦れてる。座のほうが深い」
「入れ替えられているということか」
「そう読んだ」
男は黒いやつを台に戻して、しばらく黙っていた。
やがて、マレーネのほうを向いた。
「署名が要るのか」
マレーネの手が止まった。
「……はい。上に通すには、探索者側の署名が要ります。それも、記録の重い者の」
「俺は記録が重いか」
「重いです。銀級審査官を十年です」
「落とした人間の数も、重いだろうな」
男はそう言って、羽根ペンを取った。
「ヴァイスさん」
声を出したのは、ニナだった。
男はペンを持ったまま、あの子のほうを見た。
「なんだ」
「あの、いいんですか。前例がないって、上の人が」
「前例がないというのは、誰も署名しなかったという意味だ」
男はペンを紙に置いた。
「俺は一度、確認できないものを無いことにした。あのときは試験が終わっていたから行かなかった。今度は終わっていない」
彼は署名した。
書き終えて、ペンを置いて、紙をマレーネのほうへ滑らせた。
「これで足りるか」
「……足ります」
「足りなければ、俺の名で調査を申請する。審査官の申請なら、対象が曖昧でも一度は通る」
「通したあと、あんたの記録はどうなる」
「悪くなるだろうな。対象の曖昧な申請を通した審査官として残る。何も出なければ、それきりだ」
「それでいいのか」
男は盾を背負い直した。
「残るなら、そのほうがいい」
マレーネは紙を両手で受け取って、深く頭を下げた。
男は盾を背負って、帰り支度をはじめた。
帰り際、ニナの前を通るときに、一度だけ足を止めた。
「アルト」
「はい」
「あの音は、まだ聞こえるか」
「聞こえます」
「そうか」
それだけ言って、あの男は帰っていった。




