読めない
ヨナスは、十日ほど立っていた。
喋らず、触らず、訊かなかった。俺の手元を見て、客の手を見て、俺が口を開くたびに何か考えている顔をしていた。
十日目の夕方、俺は台の上に武具を三本並べて、ヨナスを呼んだ。
「読んでみろ」
「……いいんですか」
「立ってるだけじゃ手は動かん。やれ」
三本は、その日に持ち込まれたものだった。斧、短剣、脛当て。持ち主は全員、まだボリスの屋台で待っている。
ヨナスは斧を持ち上げた。
持ち上げ方は悪くなかった。両手で持って、片手に持ち替えて、傾けて、灯りに当てる。ニナの綴じ帳の通りだ。あの子が写しを渡したんだろう。
「刃の減りが、左に寄っています」
「うん」
「使用者は右利きで、振り下ろす際に身体が左へ流れている、と考えられます」
「うん」
「柄の脂の位置から、握りは低め。振りかぶりが浅い可能性があります」
ヨナスは斧を置いた。
「以上です」
工房が静かになった。
トビーが小さく息を吸ったのが聞こえた。この子は分かっている。
「合ってるぞ」
「ありがとうございます」
「全部合ってる。教本の通りだ」
俺は斧を持ち上げた。
「で、この人はいま、何に困ってる」
ヨナスの動きが止まった。
「……困っている、というのは」
「困ってるだろう。困ってなきゃ、ここには来ない」
「刃こぼれの修復と、柄の」
「そうじゃない」
俺は斧を台に戻して、ボリスの屋台のほうを顎で指した。
斧の持ち主が、椀を持ったまま、こちらを見ていた。目が合うと、慌てて目を逸らした。
「あの人、さっきから飯に手をつけてない」
「……はい」
「金がない。今日直す金がない。だから直せと言えずに、点検だけでいいですと言った」
ヨナスは、屋台のほうを見た。それから、斧を見た。
「柄の脂の話は合ってる。減りの位置も合ってる。だが、あの人の困りごとは金だ。斧を見て分かることじゃないな」
「では、どうすれば」
「顔を見ろ」
俺は当て金を置いた。
「道具を見る前に、持ってきたやつを見ろ。歩き方、手、目の高さ。飯を食ってるか。金の話をするときに一度視線が落ちるか。それを見てから道具に触る」
「それは、整備の仕事でしょうか」
「仕事じゃない」
俺は言った。
「仕事じゃないが、それを見ないやつの直したものは、二度目に持ってこられない。持ってこられなかった道具が、いちばんよく人を殺す」
ヨナスは斧を見ていた。
「その人は、今日どうするんですか」
「直す」
「金がないのでは」
「掃除してもらう」
「……掃除、ですか」
「うちはそれで回ってる」
ヨナスは何か言いかけて、やめた。眼鏡を押し上げなかった。あの動作をしないときは、まだ言うと決めていないということだ。
ヨナスは、長いこと黙っていた。
やがて、絞り出すように言った。
「僕は、房で百二十本を処理していました」
「聞いた」
「顔を見ていたら、百二十本は無理です」
「無理だな」
「では、僕がやっていたことは」
「意味がなかったとは言ってない」
俺は台の上の三本を並べ直した。
「あんたは百二十本を数字にできる。俺には一日に六十本が限界だ。数字にできる人間と、顔を見る人間は、別の人間でいい」
ヨナスが顔を上げた。
「ただ、あんたは自分がどっちなのかを、まだ決めてないな」
ヨナスは答えなかった。
俺は三本を台に残したまま、屋台のほうへ歩いていって、斧の持ち主に順番だと声をかけた。あの男は椀を置いて立ち上がり、金のことを言おうとして、言う前に俺が通路の奥を指した。
「そのへんを掃除しといてくれ」
男は事情を呑み込むのに少しかかって、それから、深く頭を下げた。
戻ってくると、ヨナスがまだ台の前に立っていた。斧を持ち上げて、灯りに当てて、それから、屋台のほうを見ていた。
見る順番が、昨日までと逆になっていた。




