↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
57/84

読めない

ヨナスは、十日ほど立っていた。


 喋らず、触らず、訊かなかった。俺の手元を見て、客の手を見て、俺が口を開くたびに何か考えている顔をしていた。


 十日目の夕方、俺は台の上に武具を三本並べて、ヨナスを呼んだ。


「読んでみろ」


「……いいんですか」


「立ってるだけじゃ手は動かん。やれ」


 三本は、その日に持ち込まれたものだった。斧、短剣、脛当て。持ち主は全員、まだボリスの屋台で待っている。


 ヨナスは斧を持ち上げた。


 持ち上げ方は悪くなかった。両手で持って、片手に持ち替えて、傾けて、灯りに当てる。ニナの綴じ帳の通りだ。あの子が写しを渡したんだろう。


「刃の減りが、左に寄っています」


「うん」


「使用者は右利きで、振り下ろす際に身体が左へ流れている、と考えられます」


「うん」


「柄の脂の位置から、握りは低め。振りかぶりが浅い可能性があります」


 ヨナスは斧を置いた。


「以上です」


 工房が静かになった。


 トビーが小さく息を吸ったのが聞こえた。この子は分かっている。


「合ってるぞ」


「ありがとうございます」


「全部合ってる。教本の通りだ」


 俺は斧を持ち上げた。


「で、この人はいま、何に困ってる」


 ヨナスの動きが止まった。


「……困っている、というのは」


「困ってるだろう。困ってなきゃ、ここには来ない」


「刃こぼれの修復と、柄の」


「そうじゃない」


 俺は斧を台に戻して、ボリスの屋台のほうを顎で指した。


 斧の持ち主が、椀を持ったまま、こちらを見ていた。目が合うと、慌てて目を逸らした。


「あの人、さっきから飯に手をつけてない」


「……はい」


「金がない。今日直す金がない。だから直せと言えずに、点検だけでいいですと言った」


 ヨナスは、屋台のほうを見た。それから、斧を見た。


「柄の脂の話は合ってる。減りの位置も合ってる。だが、あの人の困りごとは金だ。斧を見て分かることじゃないな」


「では、どうすれば」


「顔を見ろ」


 俺は当て金を置いた。


「道具を見る前に、持ってきたやつを見ろ。歩き方、手、目の高さ。飯を食ってるか。金の話をするときに一度視線が落ちるか。それを見てから道具に触る」


「それは、整備の仕事でしょうか」


「仕事じゃない」


 俺は言った。


「仕事じゃないが、それを見ないやつの直したものは、二度目に持ってこられない。持ってこられなかった道具が、いちばんよく人を殺す」


 ヨナスは斧を見ていた。


「その人は、今日どうするんですか」


「直す」


「金がないのでは」


「掃除してもらう」


「……掃除、ですか」


「うちはそれで回ってる」


 ヨナスは何か言いかけて、やめた。眼鏡を押し上げなかった。あの動作をしないときは、まだ言うと決めていないということだ。


 ヨナスは、長いこと黙っていた。


 やがて、絞り出すように言った。


「僕は、房で百二十本を処理していました」


「聞いた」


「顔を見ていたら、百二十本は無理です」


「無理だな」


「では、僕がやっていたことは」


「意味がなかったとは言ってない」


 俺は台の上の三本を並べ直した。


「あんたは百二十本を数字にできる。俺には一日に六十本が限界だ。数字にできる人間と、顔を見る人間は、別の人間でいい」


 ヨナスが顔を上げた。


「ただ、あんたは自分がどっちなのかを、まだ決めてないな」


 ヨナスは答えなかった。


 俺は三本を台に残したまま、屋台のほうへ歩いていって、斧の持ち主に順番だと声をかけた。あの男は椀を置いて立ち上がり、金のことを言おうとして、言う前に俺が通路の奥を指した。


「そのへんを掃除しといてくれ」


 男は事情を呑み込むのに少しかかって、それから、深く頭を下げた。


 戻ってくると、ヨナスがまだ台の前に立っていた。斧を持ち上げて、灯りに当てて、それから、屋台のほうを見ていた。


 見る順番が、昨日までと逆になっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。