↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/83

俺が書いたものじゃない

「一等免状の実技試験には、教本がありません」


 マレーネはそう切り出した。


 工房の作業台を挟んで、彼女は綴じ帳を三冊並べている。ニナは隣で、自分の書いたものが並べられているのを、落ち着かない顔で見ていた。


「筆記のほうは規則と法令ですから、学べます。実技は違います。三十七本の武具から使用者の癖を読み取れと言われて、では何をどう見ればいいのかを、誰も文字にしていません」


「そりゃそうだ。書けるやつがいないからな」


「なぜ、いないのでしょう」


「読める連中は、順番を意識してないんだよ」


 俺は台に肘をついた。


「いっぺんに見てる。だから順番を書けと言われても書けん。俺もそうだった」


「では、なぜこれは書けたのですか」


 マレーネは一冊目を開いた。


 ニナが小さくなった。


「わたし、ひとつずつしかできないので」


「……はい」


「ゲルトさんが何かを見るときに、目がどこを向いてるかを、順番に書いただけです。あの、大したことじゃなくて」


「大したことです」


 マレーネは、そう言い切った。


「わたしは三度落ちました。落ちた三回とも、何が足りないのか分からないまま帰りました。試験官は落ちた理由を教えません。教えられないからです。彼らも順番を知らないので」


 彼女は綴じ帳の頁を撫でた。


「これがあれば、少なくとも、何を見ればいいのかは分かります」


「分かったら、読めるようになるのか」


「なりません」


 彼女は即答した。


「読めるようになるかどうかは、その人の年月です。ただ、何を見ればいいのか分からないまま年月を積んでも、読めるようにはなりません。わたしがそうでした」


 俺は台の上の綴じ帳を見た。


 この人は三度落ちて、三度とも理由を教えられずに帰った。そのあいだ、たぶん何度も同じ場所ばかり見ていたんだろう。見る場所が違うと、誰も言わなかった。


 俺は少し考えた。


「マレーネさん」


「はい」


「あんた、これをどうしたい」


「ギルドの講習で使いたいと考えています。二等免状の講習からです。将来的には一等の実技対策にも」


「それは、うちの子が書いたものだ」


「承知しています。ですから、著者としてお名前を」


「駄目だ」


 俺の声が、思ったより強く出た。


 工房が静かになった。ニナが顔を上げて、こちらを見ていた。


「……理由をお伺いしても」


「俺が書いたものじゃない」


 俺は台の上の三冊を指した。


「一冊目はニナが書いた。二冊目はトビーだ。三冊目もニナで、あれは俺が見たこともない書き方をしてる。俺は喋っただけで、一文字も書いてない」


「ですが、内容は」


「内容は俺のものかもしれん。だが、書いてないものは俺のものじゃない」


 言ってから、自分でも意外な言葉が出たと思った。


 俺は房で二十年、書かなかった人間だ。書かなかったから消えた。その俺が、書かなかったものは自分のものではないと言っている。


 筋は通っている。通っているが、これは自分に返ってくる筋だった。


「じゃあ、ハウザーさん」


 マレーネは眼鏡を押し上げた。


「著者名は、アルトさんとトビーさんで出します。それでよろしいですか」


 俺はニナのほうを見た。


 あの子は、綴じ帳と俺を交互に見て、それから、両手を胸の前で握った。


「あの」


「なんだ」


「わたしの名前が、載るんですか」


「載るらしいな」


「ギルドの、講習で使うやつに」


「らしい」


 ニナは口を開けて、閉じて、それから、トビーのほうを見た。


 トビーは砥石を落としていた。


「トビー」


「はい」


「拾え」


「はい」


 拾って、また落とした。


 ニナは綴じ帳を胸に抱えたまま、しばらくそこに立っていた。この子は学舎を途中で辞めている。自分の名前が本に載るという話が、たぶんまだ形になっていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。