確認されていないもの
俺は盾を持ち上げて、裏返した。
握り帯の付け根に、金具が打ってある。素人の仕事ではないが、丁寧でもない。急いで打った跡だった。
「これ、誰がやった」
「街の職人だ。名前は知らん」
「割れたのはいつだ」
「去年」
「割れたまま使ってるな」
「使っている」
「替えろ」
男は、少し驚いた顔をした。
「見てくれるのか」
「盾の話をしてるんだ」
俺は工具を出した。金具を外して、割れた芯の具合を見る。思ったより深い。表から見えないところで、繊維が三方向に走っていた。
手を動かしながら、俺は言った。
「あの子を落とした理由を聞かせてくれ」
工房の隅で、ニナが顔を上げた。
ドルグ・ヴァイスは、しばらく黙っていた。
「確認できなかったからだ」
「それは紙に書いてあった」
「それが全部だ」
「違うだろう」
俺は金具を外し終えて、割れ目に指を入れた。
「あんたは、確認できないものを一度信じたことがある。自分の判断だ。それで人が死んだ」
男は答えなかった。
「だから、確認できないものを二度と通さないことにした。違うか」
「……違わん」
「あの子の耳は、あんたの判断とは関係ないぞ」
「関係ある」
男は、初めて声を強くした。
「俺は、あの子が正しいかどうかを判定できない。壁の向こうは見えなかった。見えないものを正しいと書けば、それは俺がまた自分の勘を通したということだ。俺の勘は、人を三隊ぶん殺している」
工房が静かになった。
俺は割れ目に当て木を差し込みながら、少し考えた。
この男の言っていることは、間違っていない。少なくとも、間違っていると言い切れる根拠を俺は持っていない。人を死なせた人間が自分を信じなくなるのは、当たり前のことだ。
ただ、それでも、言うべきことがひとつあった。
「ヴァイスさん」
「なんだ」
「あんたは自分を疑うのをやめた」
「やめてない。疑い続けている」
「いや」
俺は当て木を叩き込んだ。
「疑うのをやめて、記録を疑わないことにしたんだ。それは同じことじゃない」
男は何か言おうとして、口を開いた。
「記録は、俺より正しい」
「正しいだろうな。だが記録は、書かれたことしか持ってない」
俺は当て木の面を削った。
「あんたが書かなかったことは、記録の中には無い。俺が誰にも言わなかったことも、無い。あんたの隊が三つ潰れるまで、それはどこにも無かった」
男が、こちらを見た。
「自分の勘が当てにならんと思うなら、確かめに行けばよかった。あの子はそう言ったそうじゃないか。合否はいいから壁の向こうを見てくれと」
「試験は終わっていた」
「終わってたな」
俺は金具を新しいのに替えて、位置を決めた。
「終わってたから、あんたは行かなかった。行かなかったから、確認されなかった。確認されなかったから、いないことになった」
工房は静かだった。
「あんたが決めたのは、あの子の合否じゃない。あそこに何がいるかだ」
ドルグ・ヴァイスは、長いこと黙っていた。
俺は握り帯を締め直して、盾を裏返して、台の上に置いた。
「明日、直る」
「……いくらだ」
「いつもの値段だ」
男は懐から金を出しかけて、手を止めた。
「調査が入ると聞いた」
「入る」
「結果は、いつ出る」
「知らん。俺は行かないからな」
男は金を台に置いて、それから、盾のほうを一度だけ見た。
何も言わずに、帰っていった。
工房に残った連中は、しばらく誰も口を開かなかった。最初に動いたのはニナで、あの子は箒を取って、男が立っていた場所を掃きはじめた。掃く必要のない場所だった。
「ニナ」
「はい」
「そこは汚れてない」
「知ってます」
そう言って、あの子は掃き続けた。しばらく掃いて、それから箒を置いて、いつもの錆落としに戻った。




