紙に書いてあること
翌朝、ニナは普通に来た。
いつもの時間に来て、いつものように箒を持って、通路を掃いた。目が腫れていたが、誰もそのことに触れなかった。
仕事がひととおり流れたころ、彼女が懐から一枚の紙を出して、俺のほうへ置いた。
「これ、昨日もらったやつです」
「読めん」
「あ、そうでした」
マレーネがちょうど綴じ帳を持って降りてきたところだったので、俺は顎で紙を指した。彼女は無言で受け取って、目を落として、それから読み上げた。
「銀級昇級審査結果通知。受験者、ニナ・アルト。判定、不合格。理由、第九層第三区画において存在しない対象を申告し、隊を迂回させた。虚偽の索敵報告は隊全体を危険にさらす。審査官、ドルグ・ヴァイス」
読み終わって、マレーネは紙を置いた。
薄い紙だった。ギルドの通知はどれも同じ紙を使うので、合格も不合格も同じ厚さで届く。あの子はそれを昨日から懐に入れて持ち歩いていたことになる。
置いてから、眼鏡を押し上げた。何度か押し上げていたので、たぶん動揺していた。
「トビー、砥石が落ちてる」
「あ、すみません」
トビーは砥石を拾ったが、顔つきが変わっていた。この子は普段おとなしいが、房にいたころから怒ると分かりやすい。
「ゲルトさん」
「なんだ」
「これ、おかしくないですか」
「どこがだ」
「聞こえなかったのは試験官のほうでしょう。それを虚偽って書くのは」
「書けるんだよ」
俺は当て金を持ち替えた。
「試験官が確認できなかったものは、記録の上ではなかったことになる。それが仕組みだ。仕組みが間違ってるかどうかは、また別の話でな」
そのとき、レイが立ち上がった。
立ち上がって、外套に手をかけた。
「先生。ギルドに行ってきます」
「行って何をする」
「話をします。わたしが言えば、聞く人はいます」
工房が静かになった。
実際、この子が言えば通る。大陸で三番目に強い探索者が異議を唱えれば、ギルドは無視できない。判定はひっくり返るだろうし、たぶん一日で済む。
俺は当て金を置いた。
「座れ」
「先生」
「座れと言ってる」
レイは座らなかった。座らないまま、こちらを見ていた。
「なぜですか」
「あんたが言って通ったら、あの子の耳が確かめられたことにはならない」
「でも、不合格は消えます」
「消える。それで、あの子は次から、聞こえたものを自分で証明できないままになる」
レイは黙った。この子は頭の回転が速いから、言われれば分かる。分かったうえで、それでも動きたいという顔をしていた。
俺は工房の隅を見た。
ニナが箒を持ったまま、立っていた。
「あの子はこれから、支店をやる。人の道具を預かって、危ないと思ったら止める。止めた理由を、いちいち宝玉級に保証してもらうわけにはいかんだろう」
レイは、しばらく黙っていた。
やがて外套から手を離して、腰を下ろした。
「……先生は、ときどきひどいです」
「知ってる」
「本当にひどいです」
「知ってる」
ひどいのは分かっている。あの子の耳を確かめさせるために、あの子に不合格を背負わせたまま待たせるということだからだ。
ただ、通してもらった資格はいつか必ず疑われるし、通してくれた誰かがいなくなった日に、本人が一番苦しむ。房で何度も見た。
そのとき、通路のほうで足音がした。
いや、しなかった。
俺が振り返ったときには、ヴィオラが立っていた。彼女は誰にも何も言わずに外套を羽織って、そのまま通路の奥へ歩いていった。
「おい」
返事はなかった。
トビーが慌てて追いかけようとしたので、俺は止めた。
「行かせろ」
「でも」
「あの人は、行くと決めたら行く」
もっとも、行き先の見当はついていた。この人が黙って出ていくときは、たいてい誰かの代わりに動いている。柄を銅貨で直したというだけの理由で三人を探し出してきた人だ。




