↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
41/82

音は返ってきたか

ニナは、通路の入口で立ち止まったまま入ってこなかった。


 槍を背負って、防具もそのままで、両手をだらりと下げている。前髪を結んだままだったので、顔が全部見えていた。そのことに、たぶん本人は気づいていない。


 工房の中では、みんなが手を止めていた。アニカが何か言おうとして、ダンが袖を引いて止めた。トビーは砥石を持ったまま固まっていて、レイは立ち上がりかけて、そのまま座り直した。


 こういうとき、若いのは何か言いたがる。言えば自分が楽になるからで、言われた側が楽になるかどうかは別の話だ。房で長いことそういう場面を見てきたが、たいていは何も言わないほうがましだった。


 俺は、当て金を持ち上げた。


 台の上には、明日取りに来る予定の胸当てが載っている。留め具の交換は済んでいて、あとは縁を叩いて均すだけだった。俺はそれを叩いた。


 しばらく、その音だけがしていた。


 やがて、ボリスが屋台のほうから、なんでもない調子で言った。


「おい、そこの。飯は」


「……食べてないです」


「じゃあ座れ。冷めてる」


 ニナはのろのろと歩いてきて、屋台の端の丸太に腰を下ろした。椀を受け取って、膝の上に置いて、そのまま動かなくなった。


 俺は胸当てを叩き終えて、台に置いた。


「ニナ」


「はい」


「槍を出せ」


 彼女は顔を上げた。何を言われたのか分からない顔をしていた。


「槍だ。背負ってるやつ」


 ニナは椀を置いて、背中から槍を外して、両手で差し出してきた。


 俺は受け取って、台に載せた。


 いつも通りに持ち上げて、片手に持ち替えて、傾けて、灯りに当てた。穂先に細かい傷がいくつか。柄には、握った位置に汗の跡。石突きの側面が少し削れているのは、狭い場所で床を突いたからだ。


 最後に、握りの位置に指を当てた。


 汗の跡が、いつもより上にあった。この子は緊張すると握りが上がる。最初に会った日からそうで、たぶん一生直らない。直さなくてもいい癖だ。


「試験のとき、突いたか」


「……一度だけ」


「一度で決まったな」


 ニナが、ぱちりと瞬きをした。


「穂先が一箇所しか当たってない。抜けも早い。二度目を出す必要がなかったってことだ」


「……はい」


「柄はどうだった」


 彼女は黙った。


 俺は槍を彼女のほうへ向けた。


「音は、返ってきたか」


 ニナは槍を見た。


 見て、しばらくして、口を開いた。


「返ってきました」


「そうか」


「壁の向こうのも、聞こえました。ちゃんと、聞こえたんです。湿ってて、引きずってて、たぶん脚の数が多いやつで」


 そこで声が止まった。


「でも、いないって」


 止まったまま、続かなかった。


 彼女は椀のふちを両手で握って、うつむいて、それきり何も言わなかった。肩が上下していた。


 俺は槍を台に置いて、布で拭いた。


 慰める言葉というものを、俺は持っていない。二十年、鉄としか喋ってこなかった男に、そういう手持ちがあるわけがない。


 だから、こう言った。


「これは、俺が組んだ槍だ」


 ニナが顔を上げた。


「この槍が、あんたが一度で決めたことも、狭いところで床を突いたことも、全部教えてくれた。俺はその場にいなかったが、分かる」


「……はい」


「あんたが聞いたものも、たぶんそういうことだよ」


 俺は布を置いた。


「その場にいなかった人間には、分からん。それだけの話だ」


 ニナは、椀を持ち上げた。


 持ち上げて、一口食べて、それから、盛大に泣いた。


 ボリスが黙って炭をかき混ぜていた。


 あの子が泣きやんで、椀を空にして、槍を背負って帰っていったあとで、ボリスが火を落としながら言った。


「あんた、ああいうときに何も言わねえよな」


「言うことがない」


「あるだろ」


「ないんだよ」


 ボリスは炭を灰に埋めて、手を叩いた。


「まあ、あんたは槍を見たからな」


「見ただけだ」


「見ただけで済ますやつは、槍を出せとは言わねえ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。