音は返ってきたか
ニナは、通路の入口で立ち止まったまま入ってこなかった。
槍を背負って、防具もそのままで、両手をだらりと下げている。前髪を結んだままだったので、顔が全部見えていた。そのことに、たぶん本人は気づいていない。
工房の中では、みんなが手を止めていた。アニカが何か言おうとして、ダンが袖を引いて止めた。トビーは砥石を持ったまま固まっていて、レイは立ち上がりかけて、そのまま座り直した。
こういうとき、若いのは何か言いたがる。言えば自分が楽になるからで、言われた側が楽になるかどうかは別の話だ。房で長いことそういう場面を見てきたが、たいていは何も言わないほうがましだった。
俺は、当て金を持ち上げた。
台の上には、明日取りに来る予定の胸当てが載っている。留め具の交換は済んでいて、あとは縁を叩いて均すだけだった。俺はそれを叩いた。
しばらく、その音だけがしていた。
やがて、ボリスが屋台のほうから、なんでもない調子で言った。
「おい、そこの。飯は」
「……食べてないです」
「じゃあ座れ。冷めてる」
ニナはのろのろと歩いてきて、屋台の端の丸太に腰を下ろした。椀を受け取って、膝の上に置いて、そのまま動かなくなった。
俺は胸当てを叩き終えて、台に置いた。
「ニナ」
「はい」
「槍を出せ」
彼女は顔を上げた。何を言われたのか分からない顔をしていた。
「槍だ。背負ってるやつ」
ニナは椀を置いて、背中から槍を外して、両手で差し出してきた。
俺は受け取って、台に載せた。
いつも通りに持ち上げて、片手に持ち替えて、傾けて、灯りに当てた。穂先に細かい傷がいくつか。柄には、握った位置に汗の跡。石突きの側面が少し削れているのは、狭い場所で床を突いたからだ。
最後に、握りの位置に指を当てた。
汗の跡が、いつもより上にあった。この子は緊張すると握りが上がる。最初に会った日からそうで、たぶん一生直らない。直さなくてもいい癖だ。
「試験のとき、突いたか」
「……一度だけ」
「一度で決まったな」
ニナが、ぱちりと瞬きをした。
「穂先が一箇所しか当たってない。抜けも早い。二度目を出す必要がなかったってことだ」
「……はい」
「柄はどうだった」
彼女は黙った。
俺は槍を彼女のほうへ向けた。
「音は、返ってきたか」
ニナは槍を見た。
見て、しばらくして、口を開いた。
「返ってきました」
「そうか」
「壁の向こうのも、聞こえました。ちゃんと、聞こえたんです。湿ってて、引きずってて、たぶん脚の数が多いやつで」
そこで声が止まった。
「でも、いないって」
止まったまま、続かなかった。
彼女は椀のふちを両手で握って、うつむいて、それきり何も言わなかった。肩が上下していた。
俺は槍を台に置いて、布で拭いた。
慰める言葉というものを、俺は持っていない。二十年、鉄としか喋ってこなかった男に、そういう手持ちがあるわけがない。
だから、こう言った。
「これは、俺が組んだ槍だ」
ニナが顔を上げた。
「この槍が、あんたが一度で決めたことも、狭いところで床を突いたことも、全部教えてくれた。俺はその場にいなかったが、分かる」
「……はい」
「あんたが聞いたものも、たぶんそういうことだよ」
俺は布を置いた。
「その場にいなかった人間には、分からん。それだけの話だ」
ニナは、椀を持ち上げた。
持ち上げて、一口食べて、それから、盛大に泣いた。
ボリスが黙って炭をかき混ぜていた。
あの子が泣きやんで、椀を空にして、槍を背負って帰っていったあとで、ボリスが火を落としながら言った。
「あんた、ああいうときに何も言わねえよな」
「言うことがない」
「あるだろ」
「ないんだよ」
ボリスは炭を灰に埋めて、手を叩いた。
「まあ、あんたは槍を見たからな」
「見ただけだ」
「見ただけで済ますやつは、槍を出せとは言わねえ」




