内側から
翌朝、工房に着いたらレイがもう来ていた。
研磨台の脇に座り込んで、砥石を並べ替えている。粗いものから細かいものへ、きちんと順番に。房にいたころ、あの子がいちばん最初に覚えた仕事がこれだった。
「先生、おはようございます」
「あんた、宿はどうした」
「泊まりました。そこで」
指した先は、鉄骨の陰に敷かれた毛布だった。大陸で三番目に強いと言われている探索者が、廃材置き場の跡で毛布にくるまって寝ていたことになる。
「宿代を惜しむような身分じゃないだろう」
「惜しんでません。ここのほうが寝られるんです」
「なんでだ」
「砥石の音がするので」
俺は道具箱を開けて、それ以上訊かないことにした。
やがてボリスが屋台の煙を上げはじめ、ニナとトビーが来て、アニカとダンが来て、いつも通りに朝の客が並びはじめた。レイは砥石を並べ終えると、当たり前のような顔で錆落としの列に混ざった。宝玉級が錆を落としているのを見た客が最初は固まっていたが、二日もすると誰も気にしなくなった。人というのは大抵のものに慣れる。
昨日の話の続きを持ち出したのは、朝の客がひととおり片づいたころだった。
「甲殻がどうとか言ってたな」
「はい」
レイは砥石を置いて、こちらを向いた。
「深いところに、石を背負ったような魔物がいるんです。硬くて、まともに斬れなくて、みんな関節を狙います。それはいいんですけど」
「うん」
「割れてるやつがいるんです。背中の甲殻が」
「誰かが割ったんだろう」
「わたしもそう思いました。でも、割れ目の縁が外に向かって開いてるんですよ。外から殴られたなら、縁は内側に沈むはずですよね」
俺は当て金を持つ手を止めた。
鎧でも鍋でも、殴られた側は必ず内側へ落ちる。外へ開くというのは、内側から力がかかったということだ。
「息をしてるうちに割れたのか」
「わかりません。ただ、割れてる個体を続けて見てるので、たまたまじゃないと思います」
「割れてる個体は、弱ってるのか」
「いえ。むしろ、割れてないのより手強いです」
俺は顔を上げた。
「手強い?」
「動きが速いんです。同じ種類なのに、割れてるやつだけ。最初は別の魔物かと思って、ギルドに報告しかけました」
「しなかったのか」
「証拠がないので。誰も信じません」
それを聞いて、俺は少し嫌な気分になった。この街では、証拠のないものは無かったことになるらしい。
俺はしばらく考えて、それから首を振った。
「見てみないと何も言えん」
「ですよね」
「三十階だろう。俺は行けない」
うちの階級では、そのあたりまで降りるのは死にに行くのと変わらない。ここから先は探索者の領分で、整備士が首を突っ込む話ではなかった。
そう言って終わらせるつもりだったのだが、レイは立ち上がって外套を羽織りはじめた。
「おい」
「持ってきます」
「持ってくるって、あんた」
「甲殻の破片なら運べます。重いですけど、割れてるのを丸ごと背負ってくれば済むので」
俺は口を開いて、閉じた。
こういうところが昔から変わっていない。この子は人の話の途中でもう動きはじめる。
「行くなとは言わんが」
「はい」
「無理はするな」
「先生に組んでもらった剣なので、無理にはなりません」
レイは笑って、通路のほうへ歩いていった。
その背中を見送ったあとで、ニナが横から小さい声で言った。
「あの、ゲルトさん」
「なんだ」
「いま、ちょっと嬉しそうでしたよ」
「そんなわけがあるか」
俺は当て金を持ち直した。




