右腕だけの構え
ヴィオラは無言でカイの前まで歩いていって、無言で右手の手袋を外した。
手の甲に、細い傷が三本走っている。
カイは最初、それが何なのか分からない顔をしていた。
「腱」
ヴィオラが言った。
「二本、切れた。十九のとき」
「……え」
「七年、動いてる」
カイは彼女の手と、彼女の顔を、二度ずつ見た。
この街で無音のヴィオラを知らない探索者はいないし、その右手のことを知っている人間は、たぶん俺を入れて三人しかいない。
「あの、でも、じゃあ、その、剣は」
「左で振る」
「左でって、そんなの、できるんですか」
「できない」
ヴィオラは手袋をはめ直した。
「三年かかった」
「三年」
「最初の一年は、木の枝も持てなかった」
カイの肩から、力が抜けたのが見えた。
俺は口を挟まなかった。ここから先は整備士の仕事ではないし、口を挟んだところで俺には教えられることが何もない。
ヴィオラは自分の剣を鞘ごと抜いて、カイに差し出した。
「持て」
「え、いや、それは」
「右で」
カイは右手で受け取って、そのまま重さに引かれてよろけた。金級の剣というのは、見た目より重い。
「重い」
「重い」
「これで振るんですか」
「振らない」
ヴィオラは剣を取り返して、腰に戻した。
「重いものを持つと、身体が支え方を思い出す。振るのはあと」
「……はい」
「毎日持て。振るな」
「あの」
カイが呼び止めた。
「なんで、教えてくれるんですか」
ヴィオラは足を止めて、少し考えた。この人が言葉を探しているところを見るのは珍しい。
「わたしのときは、いなかった」
「え」
「教える人が。だから三年かかった」
それだけ言って、彼女は元の場所に戻って、また剣を拭きはじめた。
カイはしばらく自分の右手を見ていた。
三日後、俺は約束通り剣を渡した。刃を三寸詰めて、柄を一寸伸ばして、重心を握りの内側まで引き込んだやつだ。片手で持って、手首だけで返せる。振り回すには向かないが、この子が今日から使うには、これが一番いい。
カイは受け取って、その場で構えて、それから、少しだけ笑った。
「軽いです」
「重さは、前の剣の七割ある」
「軽いです」
「あんたが余計な力を使わずに済んでるだけだ」
どこかで言った台詞だなと思ったが、たぶん本当のことだから何度でも言うことになる。
カイが帰ったあと、ニナが小さい声で訊いてきた。
「ゲルトさん」
「なんだ」
「あの人に、点検簿のこと、言わないんですか」
俺は当て金を持ち替えた。
「言わない」
「……はい」
「あの子が自分の腕のことを、自分の責任だと思ってるうちは、あの子は道具を疑い続ける。疑い続けるやつは死なない」
ニナはしばらく黙っていた。
「じゃあ、誰が悪いんですか」
俺は答えなかった。
答えなかったというより、答えを持っていなかった。




