二十通
ニナは、羽根ペンを持ったまま三十分ほど固まっていた。
「あの、なんて書けば」
「点検に来い、でいい」
「それだけですか」
「それだけだ」
「……それだけだと、来ないと思います」
「なんでだ」
ニナは羽根ペンを置いて、少し考えてから言った。
「わたし、灰級のときに、ギルドから手紙が来たことがあって。装備の講習に来ませんかっていうやつです。行きませんでした」
「なんでだ」
「行くと、お金を取られると思ったので」
なるほどな、と思った。
「じゃあ、金は取らないと書け」
「それでも来ないです」
「なんでだ」
「無料って書いてあると、あとで高いものを買わされるから」
俺は道具箱に腰を下ろした。二十年、房で書類仕事を人に押しつけてきた男には、こういう機微がまるで分からない。
「じゃあ、どう書けばいい」
「……名前を書きます」
「名前?」
「ゲルトさんの名前です。四か月前にその人の装備を見た人が、いま、心配してるって書きます」
ニナは羽根ペンを取り直して、それから、俺の顔を見た。
「だめですか」
「俺の名前で人が動くとは思えないが」
「動きます」
断言されたので、俺は黙った。
結局、彼女が書いた文面はこうだった。二十通、全部同じ文で、宛名だけが違う。
―― ―― ――
装備の点検についてのご案内
あなたの装備は、四か月前にアルゴノート整備房のゲルト・ハウザーが点検しています。
そのとき、交換をすすめる所見が書かれていました。
交換された記録が残っていません。
まだ同じものをお使いでしたら、一度だけ見せてください。
迷宮第十七階層、灰の回廊。番号札の列に並ばなくてけっこうです。
この手紙を見せてください。すぐに見ます。
お金はいただきません。買っていただくものもありません。
迷宮十七階 修理屋
ゲルト・ハウザー(代筆 ニナ・アルト)
―― ―― ――
「代筆と書く必要があるか」
「あります。字が違うと、偽物だと思われるので」
「あんた、そういうのはどこで覚えたんだ」
「薬屋さんに何度も断られたので」
ニナはそう言ってから、少しだけ笑った。この子が笑うのを見たのは、たぶん三度目くらいだ。
「断られる手紙って、だいたい形が同じなんです。難しい言葉ばっかりで、こっちの名前が最後に一回しか出てこないやつ。だから逆にしました」
「逆に」
「相手の名前を先に書いて、こっちの用件は最後です」
俺は羽根ペンを受け取って、二十枚の下に自分で名前を書いた。右上がりの読みにくい字が、あの子のきれいな字の下に並んだ。
三日後、マレーネが数を数えに来た。
十四通は届いた。二人は既に街を出ており、三人は宛先が分からず、一人は死んでいた。四か月前に俺が「要交換」と書いた男で、死因は、装備とは関係のない落盤だった。
俺はその一枚を、しばらく持っていた。
名前には覚えがあった。三年ほど前に房で一度だけ剣の柄を組み直してやった男で、手が大きすぎて既製の柄が合わないと言っていた。落盤は装備とは関係がない。俺が何を書いていても、何を交換させていても、あの日あの場所にいたなら同じことになった。
それは分かっていたが、紙を置くまでに少し時間がかかった。
翌日、九人が来た。




