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マレーネさん


 ギルド職員のマレーネと名乗ったその人は、たぶんこの街で一番書類に強い人間だった。


「迷宮内での常設営業は、装備管理令の第九条により事前の届出が必要です。無届の場合、営業停止のうえ、状況によっては器具の押収も」


「押収」


「はい」


 道具箱を、少し後ろに引いた。


「あの箱には親父の名前が書いてあるんだが」


「事情には関係ありません」


 まったく取りつく島がない。列の連中がざわつきはじめて、ニナが泣きそうな顔でこちらを見ていた。


「分かった。届出を出す。書式をくれ」


「はい。ただ、その前に確認事項がいくつかあります」


 マレーネは綴じ帳を開いて、羽根ペンを構えた。


「氏名」


「ゲルト・ハウザー」


「整備行為を行っているとの報告がありますが、免状はお持ちですか」


「持ってる」


「等級と登録番号を」


「一等。一一〇番」


 羽根ペンが、止まった。


 止まったまま、動かなかった。


 マレーネはゆっくりと顔を上げて、眼鏡の奥から俺を見た。


「……いま、なんと」


「一等の一一〇番だ。疑うなら照会してくれ」


「一一〇番」


「そうだ」


「一一〇番といえば、あの、その」


 彼女はそこで言葉に詰まって、それから綴じ帳を胸に抱え直した。抱え直した拍子に、羽根ペンを落とした。


「失礼しました」


 拾いながら、彼女はもう一度言った。


「たいへん、失礼しました」


 列の連中が顔を見合わせていた。俺も正直よく分からなかった。


「あんた、免状に詳しいのか」


「……三度、受けました」


「一等をか」


「三度、落ちました」


 マレーネは眼鏡を押し上げてから、事務的な声に戻ろうとして、少し失敗した。


「筆記は通るんです。実技で落ちます。三十七本の武具から、使用者の癖を読み取って所見を書く試験があるんですが、わたしは、その、六本しか読めなくて」


「六本読めたら大したもんだ」


「合格には二十四本必要です」


「三度も受けたのか」


「はい」


「三度受けるやつは、そう多くない。たいてい一度で諦める」


「……諦めきれなくて」


 マレーネは綴じ帳の縁を指でなぞっていた。書類を扱う人間の指ではなく、何かの表面を触って確かめる癖のある指の動き方だった。


「知ってる。俺のときもそうだった」


「……何本、読まれたんですか」


 訊かれて、少し考えた。二十二年も前のことで、正直あまり覚えていない。


「全部だ」


 マレーネが、また羽根ペンを落とした。



 結局その日、届出の書式は出されなかった。


 代わりにマレーネが出してきたのは、もっと分厚い別の綴じ帳だった。


「ゲルトさん。届出ではなく、登録をしませんか」


「登録?」


「迷宮内工房の正式登録です。ギルドが場所を貸し、営業を保証し、資材の搬入路を通します。代わりにギルドは登録料と、年二回の点検を受け入れていただきます」


「そんな制度があるのか」


「二十年、誰も申請していません。要件が一等免状所持者に限られているからです」


 彼女は綴じ帳を差し出した。


「この街で申請できるのは、いま、あなただけです」


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