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青薔薇と黒の皇子 Ⅱ

ハンナとクロードが部屋の外で笑みを交わしていた同じ頃、室内。


リリエとレオンハルトは、既に数分ほど向かい合ったまま互いを見つめていた。

その間も、リリエはレオンハルトの凍てつくような視線に怯えることもなければ、媚びることもない。

ただ見られているから見返している。それだけ、と言わんばかりのあっさりとした様子だった。


やがて、ふと思い出したように立ち上がる。


「なんだ」

「いえ、お茶をお淹れしようかと」

「必要ない」

「……かしこまりました」


そうしてリリエが椅子に腰掛けると、再び沈黙が落ちる。


(なにかしてしまったのかしら)


リリエは下手に口を開くことを避け、黙ったままレオンハルトを見つめる。

変に目を逸らすのも失礼だし、何か話そうとしているなら言葉が重なるのも失礼だ、と思ったからだ。


「……ここでの生活は退屈か」


数分ほどの沈黙が続いた後、最初に発せられた言葉はそれだった。


「いえ、退屈ではございません」


淡々と答えると、レオンハルトはつまらなそうに目を細めた。

言われたことに答えただけ。嘘はついていない。

だが、やはり皇太子殿下も私の悪い噂を耳にして呆れているのだろうか。

だから初日に顔を見せるなと言われたのだと思うし、自分もそのつもりでいた。


この屋敷へ来てまだ一週間ほど。特別悪いことをした覚えもなければ、できる限り目立たぬよう息を潜めていたつもりだ。


けれど――


(朝食が豪華だったとか、優雅に刺繍をしていることが気に障ったとか)


理由ならいくらでも思い浮かぶ。

正妻など名ばかりで、実際には居候とそう変わらない。

部屋を与えてもらい、豪華な食事を出され、刺繍までしている。出しゃばりもいいところだろう。


なんとなく居たたまれなくなり、レオンハルトに向けていた視線を地面へと落とした。


「最近、刺繍を嗜んでいるらしいな」

「……申し訳ございません」

「なぜ謝る」


(あ、間違えた)


地面を見つめる視界の端で、苛立たしげに眉間へ皺を寄せたレオンハルトが見えた。そうして、これはただの質問だったのだと気付く。


「……ハンナ――いえ、メルディアの気遣いだと存じます」

「そういうことじゃない」


(あれ?)


顔を上げると、レオンハルトは呆れたように額へ手を当てた。

反対の手の指先が、膝を一定のリズムで叩いている。


苛立っている。

そう思ったが、どうすることもできない。


今すぐ刺繍をやめましょうかと言えば余計に怒らせてしまいそうだし、苛立っていらっしゃいますかと尋ねるのも失礼だ。


結局、膝の上に手を揃えたまま、相手を見つめることしかできなかった。


「で、刺繍はできたのか」

「はい」


リリエは小さく頷いた。

余計なことを言ってさらに怒らせないよう、返事は短く、なるべく端的に。



レオンハルトは何か言いたげにこちらを見ている。だがリリエには意図がわからない。やはり見つめ返すことしかできなかった。


「……どこにある、それは」


リリエがはて、と首を傾げていると、レオンハルトは態とらしく舌打ちを零す。


「見せてみろと言っている」

「かしこまりました」


リリエはすぐに立ち上がると、ベッド脇の小さなテーブルへ向かった。そこに置いてあった薔薇の刺繍入りのハンカチを手に取り、そっとレオンハルトの前へ差し出す。


レオンハルトは手に取ることなくそれを見据えた。

まるで敵でも睨むような目つきだった。やがて視線を上げる。


「薔薇が好きなのか」

「……嫌いではありません」

「なんでそう面倒な言い方をする」

「失礼いたしました。今後は言葉を選ぶよう心掛けます」


レオンハルトは再び深いため息を吐いた。

この部屋へ来てから、既に二度目である。


「庭園に薔薇が咲いている」

「はい…?」


突然の話題転換だった。一体何の話だろう?そう思いながら素直に返事をすると、しばらくして三度目のため息が室内に響く。


「庭園くらいなら出てもいい」

「いえ、そのようなお気遣いは――」

「私の命令に従えないと?」

「……申し訳ございません」


リリエは、もう余計なことを言うのはやめようと思った。どうしたって自分の発言が。いや、自分の存在そのものが彼を苛立たせてしまうのだろう。

同時に、明日は庭園へ出なければ、と考えた。皇太子殿下直々の命令ならば、従わないわけにはいかない。


一体どういう風の吹き回しなのか。

それとも何か雑務でも任されるのだろうか。


聞きそびれてしまったことを少しだけ悔やみながらも、これ以上失言を重ねるわけにもいかず、黙っておくことにした。




レオンハルトは、よく見ると整った顔立ちをしていた。

無愛想ではあるが睫毛は長く、肌のきめも細かいし、瞳の色も美しい。痩せすぎても太りすぎてもおらず、程よく鍛えられた体つきだった。

以前ハンナから、剣術は城内でも随一だと聞いたことがある。おそらく、そのためだろう。



そうこう考えていると、再び沈黙が落ち、しばらくして、またレオンハルトが口を開いた。


「刺繍したハンカチの用途は」

「……特にございません」


「……誰かに贈らないのか」


(誰かに……)


本来、貴族が刺繍したハンカチは夫や家族へ贈ったり、世話になった侍女へ渡したりすることもある。


次期皇帝妃の刺繍となればなおさらだ。受け取った側は特別な意味があると受け取るだろう。

だがリリエにはあまり関係のない話だった。家族とは縁が切れたも同然だし、夫は政略結婚。


となると、いちばん無難なのは侍女だろうか。


(私なんかが刺繍したハンカチを貰ったところで、嬉しいものなのかしら)


少し考え込んでから口を開く。


「……贈るとしたら」


そう小さく呟くと、レオンハルトの表情がほんの僅かに和らいだ気がした。


「メルディアでしょうか」


そしてまた、数秒の沈黙が続く。膝を叩いていた指をギュッと握りしめたかと思うと、ちっ、と舌打ちを零した。

そうして、レオンハルトは勢いよく立ち上がる。


「……あの、皇太子殿下?」


その言葉を口にしたあたりから、元々悪い虫の居所がさらに幾分か悪そうにこちらを睨みつけた。


「もういい! 勝手にしろ!」


苛苛(いらいら)した口調でそう吐き捨てると、踵を返し、バン、と扉を開けて部屋を出て行ってしまった。


ああ、失敗した。私はまた何かの発言のせいで、彼の気分を害して――


「……奥様、大丈夫ですか? 何かございましたか?」


心配そうに駆けつけたハンナがリリエに声を掛ける。

リリエはそんな彼女をじっと見つめる。


気分を害してしまったの……だろうか?


首を傾げながら、静かに考え込んだ。

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