青薔薇と黒の皇子 Ⅰ
リリエの部屋の前。
扉を挟んで向かい合う二人は、にこやかな笑みを浮かべていた。
もっとも、その間には目に見えない火花が散っているようにも見える。
「いくら次期皇帝とはいえ、突然の来訪は失礼ではありませんか?」
「申し訳ありません。殿下がどうしても、と仰るものですから。驚かせてしまったようですね」
「そういうことではありません。奥様に対して失礼だと申し上げているのです」
「随分とリリエ嬢にご熱心なのですね?」
のらりくらりと受け流しながら微笑むクロードに、ハンナは大きくため息を吐いた。
部屋の中からはレオンハルトとリリエの話し声が微かに聞こえてくる。
だが、何を話しているのかまでは分からない。
ハンナは心配そうに何度も扉へ視線を向けた。
「リリエ嬢は、噂通りの令嬢ではありませんでしたか?」
「それは都度報告している通りですが」
つんとした態度を崩さないハンナに、クロードは慣れた様子で肩を竦める。
「君に任せて正解だったようだね」
先程までの軽薄そうな笑みではなく、どこか穏やかな微笑みだった。
それを見て、ハンナは再び大きくため息を零す。
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ハンナは最初、部屋を訪れたレオンハルトに心底驚いた。
そうして我に返ると、慌てて頭を下げる。
その横で、リリエもまた深々と頭を下げていた。
それを見た瞬間、ハンナは目の前の主に対して何とも言えない気持ちになった。
(今まで一切関心がなかったくせに)
痣や手荒れの報告を受けたから来たのだろう。
それくらいは分かる。
だが、政略結婚とはいえ、あまりにもリリエへの扱いが酷くはないだろうか。
それに側近のクロードも気に入らない。
いつもにこにこと笑い、レオンハルトとは対照的な振る舞いをしているが、それがどうにも胡散臭く見えてしまう。
レオンハルトは室内を一瞥すると、興味なさそうにリリエへ視線を向けた。
(まあ、なんて失礼な!)
込み上げる怒りを押し込みながらも、ハンナは笑顔を崩さない。
やがてレオンハルトがクロードへ目配せをする。
するとクロードは小さく頷き、ハンナへ手招きした。
「さあ、侍女はこちらへ」
(ちっ)
予想していたことではあった。
二人だけで話をするつもりなのだろう。
ハンナは部屋を出る前に一度リリエを振り返る。
だが当の本人は、動揺する様子もなく静かに佇んでいた。
十分ほど経っただろうか。
廊下に飾られた時計の秒針が、チクタクと規則正しく音を刻んでいる。
落ち着かない様子で扉を見つめるハンナに、クロードは面白そうに喉を鳴らした。
「そう心配なさらずとも、殿下は案外ちゃんとしておられますよ」
「…馴れ馴れしいのは殿下譲りみたいですね」
「それ、僕のこと?」
「もう、気が散るから話しかけないで!」
全く、この男と話しているとどうにも調子が狂う。
普段は穏やかで冷静なハンナも、なぜだかクロードだけは苦手だった。
そういう意味では、レオンハルトと気が合うのかもしれない。
(私は妻に無断で部屋へ押しかけたりしませんけれど)
心の中でだけ嫌味を吐く。
存外、自分の性格が良くないことくらいは自覚していた。
それからさらに数分が過ぎた頃だった。
部屋の中から声が聞こえなくなったと思った次の瞬間――
「もういい! 勝手にしろ!」
怒声と共に、バンッと勢いよく扉が開かれる。
思わずびくりと肩を震わせたハンナは咄嗟にクロードを見た。
するとクロードも予想外だったらしく、一瞬だけ目を見開いている。
(だから言ったのに!)
レオンハルトは苛立ちを隠そうともせず、クロードを見るなり舌打ちを零した。
続いてハンナへ視線を向ける。
そして何故か、また深いため息を吐いた。
「で、殿下? どうかなさいましたか?」
「何もない。行くぞ」
そう言い残し、レオンハルトはさっさと歩き出す。
クロードは困ったように眉を下げると、ハンナへ申し訳なさそうな視線を向けた。
やがて小さく会釈をして、その後を追う。
残されたハンナは大きく肩を落とすと、ぶつぶつとぼやきながら部屋に入る。
「……奥様、何か――」
そこまで言いかけて首を傾げた。
リリエは動揺した様子もなく椅子に腰掛けたまま、ハンナを見つめている。
そして同じように首を傾げた。
(んん?)
何かあったはずなのに、目の前のリリエはあまりにも平然としている。
予想していた状況との違いに、ハンナはますます首を傾げるのだった。




