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困惑する侍女


「……は?」


言ってから、即座に手のひらを口に当てがう。

ハンナは気まずそうにリリエに目線を向けると、リリエは微塵も気にする様子無くじっとハンナを見つめていた。


「…何かやることはありますか?」


二度目のその言葉に、ハンナはぱちくりと目を瞬いた。

いち貴族がいち侍女にやることはないか、と尋ねたのだ。

そんな光景、過去を遡っても一度あるかないかだろう。


「そ、そうですね …。奥様は婚姻の儀を終えられたばかりですし、しばらくはご静養なさるのがよろしいのではないでしょうか?」


冷や汗を浮かべ、慎重に言葉を選びながら答える。

少しでも言葉を間違えれば解雇か、平手打ちか。

黙ってこちらを見つめるリリエに愛想笑いを作ったまま頬を引き攣らせた。


リリエは暫し黙り込んだのち、ああ。と何かを理解したように付け足した。


「いえ。そうではなくて、雑務です」

「…雑務?」

「はい」

「雑務、と言うのは…」

「清掃でも、洗濯でも、片付けでも構いません。私にできることはありませんか?」


愛想笑いが完全に消えた。

あまりの驚きに、ハンナの手から替えのシーツが滑り落ちる。

だが、呆然と立ち尽くすハンナをよそに、リリエは驚くことも苛立つこともなく、床に落ちたシーツを静かに拾い上げた。


そこでようやく我に返ったハンナの顔から、さっと血の気が引く。


「も、申し訳ございません…!奥様にお手間を…!」

「いいえ、お気になさらないでください。私はそのように扱われる立場ではありませんので」


何かがおかしい、とハンナは思った。



社交界で囁かれる噂話は、時折侍女たちの耳にも届く。

それが真実か否かなどは知る由もない。だが、どこから誰が仕入れてくるのか、次から次へと新たな噂が運ばれてくるのだ。

リリエ・セレスティアの噂もそのひとつだった。


聞けば、公爵家の令嬢でありながら随分と奔放な振る舞いをしているらしい。

そんな噂が侍女たちの間で囁かれ始めたのがきっかけだった。

当初のハンナは、「そういう貴族もいるのだろう」とぼんやり受け止めていたに過ぎない。

だが、その噂の公爵令嬢が、やがてヴァルディア帝国の次期皇帝と目されるレオンハルト・デル・アストレア・ヴァルディアの妃となることが決まったと知った時、流石に驚きを隠せなかった。


傲慢、怠惰、我儘、貪欲

気に入らないことがあれば自分の望む通りになるまで我を通し、数多の男を誑かす。

地味なものを嫌悪し、贅沢と享楽に溺れる。

地味な装いや質素な暮らしを嫌い、常に人の注目を浴びていなければ気が済まないらしい。


侍女たちは、そんな悪名轟く令嬢の世話役になってしまったらと震え上がっていた。


だが、ハンナは少し違った。

元来、細かなことを気にしない性格なのだ。天然と言えば聞こえはいいが、危機感が薄いと言われれば否定できない。


もちろん、恐怖がなかったわけではない。

それでも、その恐怖の奥には僅かな好奇心があった。

社交界で悪名高いと噂される公爵令嬢とは、一体どのような人物なのだろうか。

そんなハンナに、他の侍女たちは半ば押し付けるようにしてリリエ・セレスティアの世話役を任せたのだった。




最初、何かの冗談か、もしくはからかわれているのかとも思ったが、瞳を見る限りそうでもないらしい。


これまで幾人もの貴族に仕えてきたハンナにとって、リリエは最も感情の読み取りにくい人物だった。

こちらを陥れる為に演じているのか、とも考えられたが、であればハンナのような侍女ではなく、侍女頭か、あるいはヴァルディア家に仕える執事あたりを狙うだろう。


「…あの、申し訳ございません」


うんうんと唸っていると、リリエは僅かに眉を下げた。

慌ててぶんぶんと首を横に振る。


「奥様、先程からその…謝罪の言葉を述べておりますが、私には何に対して謝っておいでなのかまったく…」

「迷惑を掛けてしまいましたから。いきなりこんなことを言われても困りますよね…ええと、」


そこまで言って言葉を詰まらせる。

名前がわからないのだろう。

そう理解してハンナはようやく、自分が部屋に入ったきり自己紹介もしていないことに気がついた。


「大変申し訳ございません…!ご挨拶がまだ…!」



✦︎✧︎✦︎︎︎︎✧︎


「ハンナ・メルディアと申します。本日より奥様の専属侍女を務めさせていただきます」


ハンナは侍女服の裾をつまみ、丁寧な所作で一礼した。


「…メルディアさま」

「奥様…!敬称などおやめください!」


思わず声をあげたハンナは、直後にはっとして両手で口元を覆った。


(先程からコロコロと表情の変わる女性だわ)


第一印象はそれだった。


ハンナと名乗る侍女は、メイド服を思わせる身なりで、首元にはヴァルディア家の紋章が刺繍された白いリボンが結ばれていた。

この屋敷へ来た際に目にした限りでは、侍女たちはリボンの色によって役職や階級を区別されているよう。

レオンハルトを出迎えていた侍女たちは皆、ハンナと同じ白いリボンを身に着けていた。

その後方に控えていた侍女たちは黄色のリボンを、さらに廊下の清掃や洗濯など、雑務を担う下級の侍女たちは薄緑色のリボンを結んでいた。


恐らくハンナは上級の侍女なのだろう。

いくらリリエが煩わしいとはいえ、こうして上級侍女を専属として付けるのは多少の配慮があるからか。もしくはリリエが悪事を働かないように監視させるためか。


どちらにせよ、目の前のハンナからはリリエがセレスティア家にいた頃の侍女のような陰湿な悪意や敵意は見受けられない。


(寧ろ、こちらの発言のせいで困らせてしまっているような…)


ハンナは気遣うようにリリエの顔色を窺っている。

きっと彼女も、あの噂を耳にしているのだろう。

下手なことを口にすれば首が飛ぶ――そう警戒しているのか、必要以上の発言は避けているように見えた。


(あまり敵意を見せないようにしないと)


感情の表し方が分からないリリエにとって、言葉こそが意思を伝えるための手段だった。

だが、リリエもまたハンナと同じだった。

セレスティア家にいた頃、余計な一言は失言と見なされる。

そうなれば返ってくるのは叱責か、あるいは平手打ちか。

だから自然と口数は減り、表情も乏しくなった。

気付けば口にする言葉は決まっている。

「申し訳ございません」あるいは「失礼いたしました」

その二つばかりだった。





「奥様、それでは刺繍をいたしませんか?」


少し迷ったあと、ハンナは気分を切り替えるようにぱっと顔を上げ、両手を胸の前で合わせた。


「……刺繍?」


聞き慣れた単語ではある。

だが、思わず問い返してしまった。


「はい! 貴族のご令嬢方はよくなさると聞きますし、それに――」


「何か夢中になれるものがあった方が、時間も過ぎやすいでしょう?」

ハンナを可愛く書きたい

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