醜い薔薇
セシリアは軽やかに足を進めながら、思わず鼻歌でも歌い出したくなるような気分だった。
夜会の喧騒を背に受け、桃色のドレスの裾がふわりふわりと揺れる。その度に胸元を飾る宝石がシャンデリアの光を受けて煌めき、まるで今の自分を祝福しているかのようだった。
ああ、いい気味。
あの忌まわしいお義姉様が、また元の惨めな姿へ戻っていく。
それだけで胸の奥がすう、と満たされていくのを感じる。
お義姉様が幸せになるなんて、あってはならないこと。
そんな考えは、気付けばずっと胸の中に根付いていた。
――きっと、お父様の影響なのだろう。
幼い頃から何度も何度も聞かされてきた言葉が、今でも耳の奥へこびり付いて離れない。
◇◇
お母様がセレスティア公爵家へ再婚すると聞かされた時、幼いセシリアは胸を躍らせた。
実の父を早くに亡くし、お母様と二人きりで生きてきた。
だからこそ、新しい家族ができると聞いた時は、これでようやく幸せになれるのだと思った。
「歳の近いお姉様もいらっしゃるのよ」
そう優しく微笑む母の言葉に、どんな人なのだろう、と胸を弾ませたことを今でも覚えている。
一緒にお茶を飲んで、一緒に庭園を歩いて。
それから、綺麗なお洋服を見せ合って。
いつしか、本当の姉妹のようになれるかもしれない。
そんな幼い夢は、セレスティアへ足を踏み入れたその日、あっけなく壊された。
広い食堂にある、長い食卓。
豪華な料理が並ぶ中、そこにお義姉様の姿だけがなかった。
いや、正確には、食卓にいないだけで、食堂にはいるのだ。
召使いに並んで、頭を垂れているお義姉様が。
「…ねえ、お母様」
幼いセシリアは純粋な疑問をそのまま口にする。
「あの御方は、ご一緒にお食事をなさらないの?…頭を下げて…まるで召使いみたいよ」
その瞬間だった。
母の手がぴたりと止まる。
しまった、とでも言いたげに目を見開き、恐る恐るベルナールへ視線を向けた。
そんな母の様子とは対照的に、ベルナールはナイフとフォークを優雅に置くと、小さく笑みを浮かべる。
「ああ」
その声は穏やかなのに、不思議と背筋が冷えるような響きを帯びていた。
「あれは召使いのようなものだ」
そう言ってワイングラスを静かに傾ける。
「セシリアに姉妹など必要あるまいさ。気にすることはない。お前は何も考えず、悠々自適に暮らしていればいいのだよ」
その言葉に、お母様は何も言わなかった。
否定もしない、肯定もしない。ただ静かに食事を続けるだけ。
幼いセシリアは、その空気だけで十分理解してしまった。
――この話題には触れてはいけない、と。
◇◇
最初の頃は、お義姉様を少し可哀想だと思ったこともあった。
お義姉様は、いつも一人。
使用人たちより粗末な服を着て、黙々と雑務をこなしている姿を見れば、胸が少しだけ痛んだ。
けれど、その感情も長くは続かなかった。
お義姉様は、何をしても鈍臭い。
それに、怒られても言い返さないどころか、泣くことすらしない。
俯いて「申し訳ございません」と繰り返すだけ。
そんな姿を見ているうちに、可哀想という気持ちは苛立ちへ変わっていった。
どうしてそんなに弱いの?
どうして反抗しないの?
どうしてそんなにも惨めなの?
気付けば私も、毎日のように嫌がらせをするようになっていた。ドレスを汚し、刺繍をほどき、侍女へ嘘を吹き込み、父へ告げ口をする。
そうして社交界では、お義姉様の悪評を少しずつ少しずつ流していった。
我儘で態度が大きく、部屋に毎夜のように男を連れ込む。日頃から金遣いが荒く、侍女を虐める悪女。
そんな噂が広がるたび、お義姉様はますます俯くようになった。
でも、それでよかった。
皆から嫌われるお義姉様がいるからこそ、自分は褒められる。
目障りな虫は、踏み潰されているくらいが丁度いい。
だから、お義姉様が皇太子妃として嫁ぐと聞いた時は、思わず笑いそうになった。
あの女性嫌いで名高いレオンハルト殿下だ。政略結婚の相手など、どうせ飾りにしか思わない。宮殿でも居場所を失い、きっと以前より惨めになる。
そう信じて疑わなかった。
……なのに。
今宵、舞踏会で見たのは別人のようなお義姉様だった。
淡い青薔薇を思わせるドレスを身に纏い、月明かりさえ味方につけたように美しく微笑む姿。
艶を取り戻した髪に、傷一つない白く滑らかな手。痩せていた頃からは想像もつかないほど健康的な頬。
そして何より、レオンハルト殿下が、お義姉様へ向けたあの柔らかな眼差し。
あんなものは見間違いでなければならない。
お義姉様が誰かへ笑いかける姿など、お義姉様ではない。人の顔色を窺い、俯き、誰からも疎まれてこそ、私の醜いお義姉様なのだ。
――そうでなければ
そうでなければ、私の価値が下がってしまうじゃない。
「うふふ……」
夜風に髪を揺らしながら、セシリアは静かに笑う。
「ずっと、不幸でいていただかなくちゃ」
その瞳に宿るのは、妹が姉へ向ける情などではない。
幸せになることだけは、決して許さない。
たとえどんな手を使ってでも、その笑顔を、必ず私が消して差し上げるのだから。




