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可憐なフリージア


リリエたちが舞踏室へ向かう回廊を歩いていると、前方に見覚えのある人物の姿が見えた。


陽光の差し込む窓辺に立つその令嬢は、本日は珍しく桃色(ぴんく)ではなく、淡い檸檬色のドレスを身に纏っている。胸元から流れるように結ばれたレースのリボンは同色で統一され、頭には繊細な編み込み細工を思わせるカチューシャ。足元には若草色の靴が覗いていた。


フリージアを思わせるような可愛らしい装いに、カーターは感嘆するようにほう、と息を吐く。


「まぁ、まぁ!ヴィオラ様ではありませんか! ご機嫌麗しゅう」


振り返ったヴィオラは、ぱっと顔を明るくした。


「ベルナール婦人じゃない! 久しぶりね」


ヴィオラの後ろには二人の侍女が控えている。その向こう側は死角になっていてよく見えなかったが、どうやら彼女は誰かと話していたらしい。


カーターに気付いたヴィオラは嬉しそうに笑みを浮かべたものの、その隣に立つリリエの姿を認めた途端、品定めをするかのように頭の先から爪先まで一瞥した。


リリエは、僅かに戸惑いながら静かに一礼するも、ヴィオラはふん、と鼻を鳴らしただけで、すぐに興味を失ったように視線を逸らしてしまう。


後ろに控える侍女たちもまた同じだった。

露骨な侮蔑こそ見せないものの、その眼差しに歓迎の色は欠片もない。まるで場違いな存在でも見るかのような視線だった。


けれどリリエは、それをさほど気にしてはいなかった。それに、疎まれることには慣れている。何よりヴィオラからすれば、自分は突然現れた邪魔者に過ぎないのだろうと思っていたからだ。


「おや、カーター婦人ではありませんか」


ヴィオラや侍女の陰になっていた人物が、明るい声と共にひょこりと姿を現した。


自然と全員の視線がそちらへ向く。


その人物は、艶やかなミルクティー色の髪を靡かせ、柔らかく垂れた優しい瞳でこちらを見据える。他でもない、ユリウス皇子殿下だった。


「まあ、まあ! ユリウス皇子殿下まで! ご機嫌麗しゅう」


カーターは目を輝かせながら身を乗り出す。


リリエの後ろに控える侍女たちも慌てて頭を下げ、それに倣うようにリリエとシャルロットも一礼した。



ユリウスは一見するとレオンハルトによく似ている。

だがその柔らかな表情は、どこか雰囲気が異なっていた。会ったことはないけれど、母君によく似ているのだろうか。


そんなことを思ったものの、じろじろと見つめるのは失礼だろうと、リリエはそっと視線を伏せる。


「おや、貴方は兄上の奥方様でいらっしゃいますか?」

「……は、はい」


ユリウスはリリエに気付くと、ふわりと花が綻ぶような笑みを浮かべて歩み寄った。その笑顔は柔らかく、見ているだけで心が和む。その所作も、物腰も、あまりにも洗練されている。まるで一枚の絵画から抜け出してきた王子様のようだった。


一瞬だけ、レオンハルトも笑うとこんな雰囲気になるのだろうか、などという余計な考えが頭をよぎり、リリエは慌てて意識を引き戻した。


「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。ラヴィリエ第二皇子、ユリウス・デル・ルシアン・ラヴィリエと申します」

「そんな……! わたくしこそ、ご挨拶が遅れた無礼をお許しくださいませ。リリエ・セレスティアと申します」


ユリウスは丁寧に一礼すると、まじまじとリリエを見つめた。

リリエは緊張のあまり胸がどきどきと騒がしかったが、やがてユリウスが柔らかく微笑むと、自分もなんとか口角を上げる。


「兄上に時々お話は伺っているのですが、とてもお美しい姫君ですね。兄上が羨ましい」

「いえ、そんな…ありがとうございます」


その言葉はきっと、お世辞なのだろう。

けれど、それでも胸がくすぐったくなるような言葉だった。

カーターが思わず「まあ」と感嘆の声を漏らす。



それから、ふと刺さるような視線を感じて顔を上げる。

そこには、ユリウスの少し後ろからこちらを睨みつけるヴィオラの姿があった。何かを言いたげに、じい、と視線が突き刺さる。リリエは思わずごくりと唾を飲み込んだ。


「どうかされましたか?」

「い、いえ、なにも…」

「そうですか」


ユリウスは穏やかに微笑んだ。


「…これから私たちは家族も同然ですから、何かあれば遠慮なくご相談くださいね。お困りのことも、色々とあるでしょうし」


最後の言葉だけは、他の者には聞こえないようそっと声を潜められる。視線はほんの一瞬だけ後ろへ向けられたが、その先にいるのはヴィオラだった。

困り事とは、おそらく彼女のことなのだろう。


リリエが返事をするより先に、ユリウスはくすりと意味深な笑みを浮かべて離れていった。


ヴィオラは苛立たしげに肩を震わせながらリリエを睨みつけていたが、ユリウスが離れたのを見るや否や、すぐさまその隣へ歩み寄る。


カーターはそんなヴィオラの装いに、未だうっとりと目を細めていた。


「それで、皆様はどちらへ?」

「今からダンスの練習を。カーター様は奥方様のドレスをお仕立てしてくださるので、より明確に完成形を思い描いていただくため、見学いただこうと思いまして」


静かに控えていたシャルロットが答える。


ヴィオラはその言葉を聞いた途端、再びむすりと頬を膨らませた。

恐らく、カーター婦人のドレスをお前も着るのか、とでも思っているのだろう。


「貴方はダンスの講師を担当なさっているお方なのですか?」

「左様でございます。舞踏会まで、奥方様のダンス講師を担当しております、レミリア・シャルロットと申します」

「そうですか。……それ、僕も見学していいですか?」


「は!?」


甲高い声が回廊に響き渡る。

突然の大きな声に、その場にいた全員が思わず目を丸くした。


令嬢らしからぬ声を上げたのは、他でもないヴィオラである。肩を震わせ、信じられないものでも見たかのようにユリウスを見つめるその姿は、先ほどまでの淑やかな令嬢とはまるで別人だった。


ふわりと結われた髪飾りが揺れ、小さく結ばれた唇は不満げに尖っている。


(…こうして拝見していると)


リリエは思わず、くすりと胸の内で微笑んだ。


ヴィオラは、警戒心の強い子猫によく似ている。

普段はつんと澄ました顔をしているというのに、気に入らないことがあれば尻尾を逆立てるように感情が顔へ表れてしまう。

その姿さえ、どこか愛らしい。


何より、ヴィオラはとても整った容姿をしている。

大きく澄んだ瞳を縁取る長い睫毛は、瞬きをするたびに羽のようにふわりと揺れ、ほんのりと薔薇色に染まる頬は、健康的な可憐さを感じさせる。

小さな唇は瑞々しく艶めき、怒っている今でさえ、どこか幼さが残る。

歳も、おそらくリリエとそう変わらない。


だからだろうか、レオンハルトやユリウスへ向ける表情を見ていると、心を許した相手には、きっと花が綻ぶような笑顔を見せる人なのだろうと思えてしまう。


いつか、ほんの少しだけ、そんな願いが胸を掠めた。

いつの日か、自分にもあの笑顔を向けてくれる日が来るのだろうか、と。


けれど、その淡い期待はすぐに胸の奥へと沈んでいく。

現実は、それほど甘くはない。なにより、ヴィオラはリリエをを疎ましく思っている。それは痛いほど伝わってきた。


警戒心の強い子猫がそう簡単に人へ懐かないように、この一年という短い歳月で、彼女が心を開いてくれることは


――やはり難しそうだった。

ヴィオラちゃんは一見意地悪そうに見えるけど純粋な可愛い子です

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