仕立屋と舞踏教師
「まぁ、お綺麗ですこと! 以前の奥方様も十分に素敵でいらっしゃいましたけれど、このお召し物を身に纏われたお姿は、まさに一輪の薔薇そのもの! なんて魅力的なのでしょう!」
きらきらと目を輝かせながら、カーターは眼鏡をくい、と持ち上げた。興奮を隠しきれない様子でまくし立てる仕立て屋に、リリエは思わず小さく苦笑を漏らす。
ここは、リリエの自室。
大きな窓から差し込む柔らかな陽光が室内を明るく照らし、すっかり夏を思わせる風が、薄いレースのカーテンをふわりと揺らしていた。
舞踏会用のドレスの採寸のために訪れたカーターは、部屋へ足を踏み入れるなり、自ら仕立てた部屋着を身に纏うリリエを見つけると、感嘆の声を上げながら彼女の周囲をくるくると歩き回っていた。
カーターがラヴィリエ宮殿に到着するや否や、馬車から大量の箱を運び込ませ、その全てを侍女たちへ預けていた。中にはヴィオラのための品も含まれていたが、その大半はリリエの衣装である。箱を抱えた侍女たちは次々と部屋へ運び込みながら、困ったように顔を見合わせていた。
今回依頼したのは舞踏会用のドレス一着のはず。
それにもかかわらず、まるで季節ごとの新作を一式持ち込んだかのような量なのである。
(こんなにあっても、着る機会がないのだけれど…)
リリエは積み上げられていく箱の山を眺めながら、そっと内心で呟いた。対してハンナはと言えば、もはや見慣れた光景だと言わんばかりに、苦笑を浮かべるばかりである。
カーター婦人は相変わらず華やかな巻き髪を揺らし、本日は紫色のレディーススーツに身を包んでいた。眼鏡も同じ紫で統一されており、首元には繊細なレースのスカーフが巻かれている。レースの縁取りが施された帽子を優雅に被り、足元には銀色のフラットシューズ。胸元には大輪の薔薇を模したブローチが輝いていた。
派手ではあるが決して品を損なわない、まさに一流の仕立て屋らしい装いだった。
「奥方様のドレスの意匠はある程度固まっておりますの。でも、肝心のお色がまだ決まりきっておりませんのよ。殿下と対になるように仕立てるべきか、それとも揃えるべきか……ああ、本当にどれもお似合いになりますもの、頭を抱えてしまいそうですわ…!」
カーターは両手を胸元で組み、完全に自分の世界へ入り込んでしまっていた。
苦笑するリリエをよそに、あれこれと思案しながら頬を染める姿は以前も見た覚えがある。既視感というものだろう。
もっとも、本日は午後からシャルロットが講師として訪れる予定になっている。長居は禁物だとレオンハルトから釘を刺されているのか、妄想に浸る時間もほどほどに、カーターは再びメジャーを手に取った。
「……この白磁のようなお肌を引き立てるなら真紅も捨てがたいですけれど、奥方様の瞳のお色を思えば淡青色も素敵ですわね。真珠色を基調にして、青薔薇の刺繍を添えるのも……ああ!なんて素晴らしいのでしょう……」
ぶつぶつと呟きながら採寸を進め、その都度手帳へ細かく書き込んでいく。独り言にしてはあまりにも大きい。だが、その手は一切止まらなかった。
肩幅、袖丈、裾の長さ。
測るたびに寸法を記録し、頭の中では既に完成図が組み上がっているのだろう。無駄のない所作は熟練の職人そのものだった。
派手な見た目ばかりが目につくが、皇族御用達の仕立て屋を任されるだけの理由が確かにある。
リリエがそんなことを思っていた、そんな矢先だった。
「失礼いたします、奥様」
扉の向こうから控えめな声が響く。
振り返れば、侍女のひとりであるアイリスが一礼しながら入室してきた。
その後ろにはリネットとシャーロットの姿もある。二人は先ほどカーターから預かった衣装箱を両腕いっぱいに抱えていた。
「どうかしたの?」
「シャルロット様が少々早めにお着きになられたのですが、こちらへお通ししてもよろしいでしょうか」
「客間でお待ちいただいても大丈夫だけれど」
リリエがそう答えると、アイリスは少しだけ困ったように微笑んだ。
「それが、カーター様がお越しになっているとお伝えしたところ、ぜひお会いしてみたいと仰られまして」
その頃のカーターはと言えば、採寸に夢中でまったく話を聞いていなかった。メジャーを肩に掛けたまま、何やら真剣な表情で手帳を睨みつけている。
リリエは思わず部屋の隅に控えていたハンナへ視線を向けた。ハンナも同じことを考えたのだろう。目が合うと、なんとも言えない表情で眉を下げる。
「それはいいのだけれど…大丈夫かしら」
ぽつりと零した言葉に、ハンナは静かに目を逸らした。その反応が、かえって不安を募らせるのだった。
リリエの予感は見事に的中した。
採寸を終えたカーターは、部屋を訪れたシャルロットの姿をひと目見るなり、まるで希少な宝石でも見つけたかのように瞳を輝かせたのである。
「まあ!」
思わず漏れた感嘆の声に、リリエはそっと眉を下げた。
(やっぱり)
視線を向ければ、部屋の隅に控えていたハンナも同じような表情をしている。
一方のシャルロットはまるで動じる様子もない。
穏やかな微笑みを浮かべたまま椅子から立ち上がる姿は、どこか余裕さえ感じさせた。
本日のシャルロットもまた、人目を惹く美しさだった。
長い髪は後ろでひとつにまとめられ、いつものジャケットは羽織っていない。代わりに身につけているのは、仕立ての良い男性用のシャツ。首元には繊細なフリルがあしらわれ、細い腰を彩るベルトがその均整の取れた体躯を際立たせていた。
女性でありながら男性の装いを選ぶのは、リリエのダンスレッスンで男役を務めるためである。可憐なドレスよりも遥かに動きやすく、長身の彼女が纏えば、その姿は一層中性的な魅力を放っていた。
「まぁ、まぁ! なんてお美しい女性なのかしら!」
興奮を隠しきれないカーターの声に、リリエをはじめ侍女たちは思わず目を丸くした。
確かにシャルロットは中性的な顔立ちをしている。
だが、声を聞かなければ誰もが男性だと思うだろう。
それにも関わらず、カーターは一目で女性だと言い当てたのだ。
もっとも、カーターからすれば不思議でも何でもない。
仕立屋とは顔より先に身体の線を見る生き物である。
喉元に突き出た骨のない首筋。しなやかに括れた腰。細く長い指先。わずかに高い腰の位置。
それら全てが、シャルロットが女性であることを雄弁に物語っていた。
「お初にお目にかかります。レミリア・シャルロットでございます」
優雅な所作で一礼するシャルロット。
その姿にカーターはすっかり魅了されたようだった。
「まぁ、お声もとっても素敵……わたくしは、仕立屋のベルナール・カーターと申します」
恍惚としたように目を細めるカーターに、リリエは思わず苦笑する。
どうやらシャルロットは、カーターがいる時間を見計らって訪れたらしい。
ほどなくして採寸道具や積み上げられたドレスの箱が片付けられ、大きな円卓には紅茶と茶菓子が並べられた。本日用意されたのは、香ばしく焼き上げたスコーンと、甘酸っぱく香る橙のジャム。
採寸後ということもあり、菓子は控えめな量に留められている。普段であれば華やかな菓子がいくつも並ぶところだが、舞踏会を控えていることもあり、本日は体型が変わらぬよう配慮された控えめな茶菓子が用意されていた。
もっとも、カーターに言わせれば、リリエは元々華奢なのだから多少ふくよかになったところで問題はないらしい。
紅茶はシャルロットが手土産として持参した果実茶だった。
茘枝という果実を用いているらしく、瑞々しい甘い香りが湯気とともに立ち昇る。
薔薇にも似た芳香がほのかに混じり、焼き立てのスコーンとの相性も申し分ない。
「それで、シャルロット様はなぜ本日はお早くお越しになられたのですか?」
果実茶を口に含んだカーターが、思わず頬を緩ませながら尋ねた。
「舞踏会のお衣装がどのような意匠になるのか、お伺いしたかったのです」
「まぁ、どうして?」
「ダンスの参考にするためです。社交ダンスと申しましても種類は様々ですから。基本はワルツですが、タンゴやスローフォックストロット、それからヴェニーズワルツなどもございます。奥様のお衣装次第で、どの踊りが最も美しく映えるかを考えようと思いまして」
その言葉にリリエは小さく頷いた。
確かに書物で読んだ記憶がある。
舞踏会と一口に言っても格式は様々で、踊りが限定されているものもあれば自由なものもある。
レオンハルトの話では、ラヴィリエの定例舞踏会は名門貴族が集まるものの、そこまで厳格な格式を求める場ではないらしい。
そのため踊りの種類に制限はなく、多くの場合は皇帝陛下、あるいは皇太子殿下が最初に選んだ踊りに倣うのだという。
「まぁ、素敵……! それならば今考えております意匠を、ぜひシャルロット様にもお伝えしませんと。奥方様をより美しく見せる踊りになると思うと、腕が鳴りますわ!」
カーターはすっかり上機嫌である。シャルロットも楽しそうに微笑みながら頷いた。
「それから、カーター婦人。この後は何かご予定が?」
「いいえ、ございませんけれど?」
「それならば、ぜひ奥様のダンスをご覧になっていかれませんか。奥様、よろしいですか?」
「ええ、私は構いませんけれど…」
「まぁ、まぁ! 宜しいんですの!? それではお言葉に甘えて、ぜひ拝見させていただきますわ!」
なぜ見学を、とリリエは不思議そうに首を傾げた。
だが後に聞けば、理由は実に単純だったらしい。
仕立屋が衣装に合わせて踊りを考えるように、踊る姿を見れば衣装の完成図もより鮮明に思い描けるのだという。
なるほど、とリリエは感心したようにシャルロットを見つめた。各国を渡り歩いてきた人物だけあって、物事を多角的に捉える視野の広さがある。
そこまで考えた上での提案だったのかと思うと、さすがだと感服せずにはいられなかった。




