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華やかな舞台役者


目がまわる。ぐるぐると。


普段ほとんど感情を表に出さないリリエも、流石に今日はへとへとになっていた。


「まあ! 奥方様! こちらのドレスも大変お似合いですわ! 次はこちらの金糸雀(かなりあ)色をお召しになってくださいまし!」



仕立屋の婦人は目をきらきらと輝かせながら、次から次へとドレスを取り出しては採寸を繰り返していく。広い部屋の一角には、既に十着以上のドレスや部屋着が並べられていた。


柔らかな白郡(びゃくぐん)色のドレスを身につけたリリエは、まるで着せ替え人形のように立たされ、気づけばまた別の衣装へと着替えさせられている。裾を整えられ、髪を持ち上げられ、肩の線を確認される。ようやく終わったかと思えば次のドレスが運ばれてくるのだから堪ったものではない。



「あ、あの……少し休憩を……」

「奥方様、もう二着だけお召し換えを!」



その言葉、先ほども聞いた気がする。

リリエは小さく肩を落としながら、はふ、と息を吐いた。


背後では新たに任命された侍女たちも懸命に止めようとしているのだが、何せ相手の勢いが強すぎる。



「カーター様、奥方様もお疲れですので…」

「そうですわ、少々お休みを…」

「いいえ!あと二着ですから!」


まるで聞いていない。

侍女たちは揃って困ったように顔を見合わせた。








仕立屋婦人こと、ベルナール・カーター。

五十を越えているとは思えないほど華やかな巻き髪に、真紅のスーツ。そして朱色の眼鏡。


その姿はまるで華やかな舞台役者のようだった。


一度視界へ入れば忘れられないほど鮮烈な装いだが、その見た目に違わず存在感も抜群である。


もっとも、仕立ての腕はこの街でも随一と言って差し支えない。数多の貴族が贔屓にする名店を構え、代々ラヴィリエ皇家の衣装も任されてきた人物だ。その腕前は折り紙付きと言っていい。



問題があるとすれば、その性格だった。カーターは美しいものをこよなく愛する。それも常人の範疇を少々超えている。レオンハルトですら何度か餌食になっているほどで、皇帝だろうと皇太子だろうと態度を変えることなく接する。



本人曰く、


『美しいものを前にすると、遠慮というものを忘れてしまいますの』


とのこと。


実に、はた迷惑な話である。








リリエは今までこのような人物に出会ったことがなかった。そもそも、セレスティアにいた頃は専属の仕立屋など付けられていない。義母や義妹は直接店へ赴いて買い付けを行うため、仕立屋と顔を合わせる機会すらほとんどなかった。義妹が上機嫌で帰ってくる日は決まって新しい桃色(ぴんく)のドレスを注文した日だ。


とはいえ、リリエはそれを羨ましいと思ったことがない。なぜなら、ドレスを着て行く場所などなかったからだ。社交界へ出ることもなく、ずっと屋敷で過ごすのなら華やかな装いは必要ない。庭園の手入れをし、侍女たちと同じように雑務をこなすなら、動きやすい服の方がずっと都合が良い。








「奥方様、次はこちらを――」

「カーター。いい加減にしろ」


低い声が割り込む。

興奮した様子のベルナールは、おや、と眉を上げた。



振り返った先には、困ったように眉を下げるハンナと、その隣で額に手を当てたレオンハルトの姿がある。どうやら少し前にこの部屋へ訪れたらしい。


「まあ、まあ! 皇太子殿下! ご機嫌麗しゅう。本日もとってもお美しいですわ!」

「お前は相変わらずだな」



レオンハルトは呆れたように息を吐く。対するカーターは感嘆の吐息を漏らしながら、相変わらず瞳を輝かせていた。その視線の先には、すっかり疲れ切っているリリエの姿がある。


「カーター。仕立てをするのは構わんが、また我を忘れて妃を振り回すな」


その言葉に、カーターははっと目を見開いた。


「まあ! それは大変失礼いたしました!」


朱色の眼鏡をくいと持ち上げる。


「確かに少々夢中になり過ぎてしまいましたわね。では一度休憩にいたしましょうか」


やっとのことで解放されたリリエは、ほっと息を吐いた。張り詰めていた力が一気に抜け、そのままへろへろとソファへ沈み込む。柔らかな背もたれへ身体を預けた瞬間、ようやく助かった、と心の底から思った。








「殿下、どうして美の化身である奥方様を今まで隠していらしたのです!」


興奮冷めやらぬ様子でティーカップをソーサーへ置いたベルナールは、ずい、と身を乗り出した。が、向かい側に座るレオンハルトは微動だにしない。ただ、果実茶をひと口含むと、じろりとベルナールを睨みつける。



「お前に会わせるとろくなことがない」

「まあ、なんて物言いですの!」



ベルナールは大袈裟に胸元へ手を当てる。

しかし傷付いた様子は欠片もない。むしろ瞳はますます輝いているように見えた。


レオンハルトは半ば呆れたように息を吐く。ベルナール含む仕立屋カーターと、ラヴィリエ家は長い付き合いだ。こういう顔をしている時のベルナールが碌でもないことを言い出すのも、レオンハルトはよく知っている。



案の定、ベルナールは何かを堪えるようにそわそわと身体を揺らしていた。




「……今度は何だ」

「ええ、殿下!」



待っていましたと言わんばかりにベルナールが再び身を乗り出す。


「今度の定例舞踏会ですけれど、ぜひ私にお仕立てをお任せいただきたいのですわ!」


両手を組みながら、興奮冷めやらぬ様子でうっとりと目を細めた。


「もちろん殿下の正装もお仕立ていたしますけれど、奥方様の分もぜひ私に!」


その勢いに、新しく淹れられた紅茶の表面がかすかに揺れる。


「ご覧になってくださいませ!この白い肌!透き通るような蒼玉(エメラルド)の瞳!陽光を受けて輝くプラチナブロンド!」



まるで己の世界に浸るように、目を閉じながら天を仰ぐ。興奮した時に始まる長広舌は、ベルナールの悪い癖だった。



「ああ、ああ!見えますわ……!」


誰も止めないのをいいことに、ベルナールはますます勢いを増していく。


「舞踏会の大広間で並び立つお二人のお姿が!まるで月光に祝福された王子と姫君のような――」




突然、ぐい、と腕を引かれ、リリエが驚いて顔を上げる。

いつの間に立ち上がっていたのか、レオンハルトはこちらを見下ろしリリエの腕を掴んでいた。


「――え」


思わず声を漏らしかけた瞬間。

レオンハルトは軽く眉を寄せると、人差し指を唇の前へ立てた。


静かに。そう告げるように。



どうやらベルナールの妄想劇場に巻き込まれる前に逃げるつもりらしい。リリエが状況を理解するより早く、レオンハルトはそのまま腕を引いた。ベルナールはまだ天を仰いで何やら語っている。


その隙に、レオンハルトはリリエを連れて静かに部屋を後にした。








長い廊下を歩きながら、レオンハルトはようやく解放されたと言わんばかりに大きく息を吐いた。


背後ではリリエが小走りで後を追ってくる。先程まで腕を引いていたせいだろうか、少し距離が開くたびに慌てて追い掛けてくる姿が視界の端に映り込み、その度に歩幅を緩めるのが何とも面倒だった。あのまま部屋に残っていれば、あと二時間は捕まっていただろう。そう考えただけで冷や汗が滲む。



カーターは腕の確かな仕立屋だ。それは認める。

…が、あの厄介な性格と天秤にかけた時、ぎりぎり腕前が勝る程度には面倒な人物でもあった。だからこそレオンハルトも滅多に呼びつけない。


どれほど面倒な相手でも、しばらく顔を合わせなければ記憶の中でその厄介さは薄れていくものだ。多忙なレオンハルトにとって、仕立屋などまさにその程度の認識だった。


――そして今日、その認識が誤りだったことを思い出した。




少し歩いた先にある書斎へ足を踏み入れると、レオンハルトは疲れたようにソファへ身を沈める。重厚な本棚に囲まれた室内は静かで、先程までの騒がしさが嘘のようだった。窓から差し込む午後の日差しが机の上へ斜めに落ちている。


ようやく落ち着ける、そんな心境がそのまま表情に出ていた。


一方のリリエはというと、どうしていいのかわからないのか、数歩後ろに立ち尽くしている。


「……何をしている」

「え」


呆れたように声を掛ける。


「お前も座れ」

「あ、は、はい」


くい、と顎で向かいの椅子を示せば、リリエは断ることなくそろりと腰を下ろした。その仕草は相変わらず慎重で、椅子に座るだけでもどこか遠慮がちだ。



「…カーターは悪いやつではないんだが、話し始めると長い。面倒なやつだということをすっかり忘れていた」



ぽつりと漏らせば、リリエは小さく目を伏せながらこくりと頷いた。どうやら同意らしい。その反応に思わず苦笑が漏れそうになる。


正直、この女なら最後まで付き合ってやりそうだなと思う。だからこそ余計に疲れる。自分はすぐさま逃げ出したというのに、何故か経験していない疲労まで押し寄せてくる気がした。


レオンハルトは本日何度目かもわからないため息を吐いた。最近はどうにもため息の種が尽きない。



眉間を指先で押さえながら視線を上げると、リリエが心配そうな顔でこちらを見ていた。つい先程までカーターの猛攻を受けていたのは他でもない本人だというのに、随分とお人好しなものだと思う。いや、もはやお人好しという言葉だけでは足りないかもしれない。



自分のことになると途端に無頓着になる。


それがこの女の厄介なところだった。




ソファの肘掛けへ腕を預け、頬杖をつく。そのままじっとリリエを見据えた。


「……カーターが言っていた定例舞踏会のことだが」


突然話題を変えられたリリエは、きょとりと目を瞬かせる。


「正妻とはいえ、お前には重荷かもしれんと思っていた」


レオンハルトは静かに続ける。


「会場には、未だにお前の噂を信じている連中もいるだろうからな」

「……そう、ですね」


少し俯いたリリエに、レオンハルトは眉を寄せた。


「無論、そんな連中は二度と社交界へ出入りできないようにしてやるが」


さらりと言い放たれた内容に、リリエは思わず目を丸くする。本人は至って真面目なのだから余計に質が悪い。やがてリリエは困ったように眉を下げた。


「舞踏会には顔を出しませんので、ご安心くださいませ」


その返答を聞いた瞬間、レオンハルトは深く息を吐いた。


「お前、また悪い方へ受け取っているな」



どうやらそのようだ。リリエが首を傾げていると、レオンハルトは立ち上がる。


窓から差し込む光が長い睫毛へ落ち、その横顔を淡く照らした。僅かに青みを帯びた黒髪は艶やかで、黒の皇子と呼ばれる所以を改めて思わせる。



「出席するなと言っているんじゃない」


低い声が静かな書斎に響く。


「むしろ、お前のために出席させるべきかどうか迷っていた…が、」


その言葉にリリエは目を見開いた。


「俺やクロードがいる。何も問題はないだろう」




定例舞踏会にはヴィオラも出席する。

ユリウスをはじめとする有力貴族たちも顔を揃えるはずだ。規模こそそこまで大きくないが、公爵家であるセレスティアも当然招待されるだろう。皇帝である父上からの許可は既に得ている。


問題は舞踏会そのものではなく、セレスティアとリリエの関係だけだった。レオンハルトはリリエを見下ろしたまま続ける。


「カーターに仕立てを頼むか」


その声音は先程までより幾分柔らかかった。


「婦人なら、お前が一番映えるドレスを見繕うだろう」


そう言った瞬間、ほんの僅かに口元が緩んだ気がして、リリエはぱちぱちと目を瞬かせる。





✦︎︎✧✦︎︎✧





定例舞踏会。その響きだけで胸が少し高鳴った。最後に参加したのはいつだっただろう。


けれど同時に、またカーターに捕まるのかと思うと別の意味で気が遠くなる。


それに心配事はまだ山ほどある。


ヴィオラはどう思うだろうか。社交界の人々は。そして何より――自分はちゃんと踊れるのだろうか。



「あの、殿下……」


おずおずと口を開きかけたところで、


「心配するな」


言葉を遮るようにレオンハルトが告げた。


「舞踏会までには講師を付ける」


言いたかったことを先回りされ、リリエは思わず口を閉ざす。あわあわと視線を彷徨わせる姿を見ながら、レオンハルトはしばらく黙っていた。やがて再び椅子へ腰を下ろす。


「大丈夫だ」


静かな声音だった。


「お前が心配していることは、だいたい手を打ってある」



それだけ言うと、レオンハルトは少し疲れたように目を細めた。

窓の外では風に揺れた木々がさらさらと葉を鳴らしている。その穏やかな音を聞きながら、リリエは胸の奥に残っていた不安がほんの少しだけ軽くなるのを感じた。


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