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秘密のお茶会

「うふふ、奥方様ったら面白い方」


ヴィオラは可愛らしく口元に手を添え、ころころと鈴を転がすように笑った。


薔薇園の奥に設えられた茶会用のスペース。

柔らかな陽射しを遮る白い天蓋の下には、淡い桃色で統一されたテーブルセットが並んでいる。


リリエがここを訪れるのは二度目だった。


前回はレオンハルトに半ば強引に連れて来られたが、今回は違う。目の前に座るヴィオラ・エヴァレットからの招待状によるものだった。






――少し遡り、二日前の夕刻。


いつものように刺繍枠を膝に乗せていたリリエのもとへ、一通の封筒が届けられる。


「奥様、その……ヴィオラ様からですわ」


珍しく歯切れの悪いハンナに、リリエは小さく首を傾げた。


ヴィオラ・エヴァレット。

未来の皇帝妃として名高い伯爵令嬢。可憐な容姿に加え、礼儀作法、教養、人望、その全てを兼ね備えた淑女だと聞いている。


そして何より。


レオンハルトが唯一、傍に置くことを許している女性。



手紙の内容は、お茶会への誘いだった。

リリエは手紙から顔を上げると、ハンナと目を合わせる。


この場合、殿下に許可を頂くべきだろうか。最近はリリエのことを気に掛けてくれているようだが、そもそも初日に「顔を見せるな」と言われている身である。勝手な判断で参加するのは憚られた。


小さく首を傾げるリリエに、ハンナもまた同じように思ったのだろう。


「……私から、クロード卿にお伺いしてまいりますわ」


そう言って一礼すると、ハンナは足早に部屋を後にした。




結果として、クロードからは驚くほどあっさりと許可が下りた。お茶会への参加に問題はないこと。ただし、ハンナが必ず傍につき、目を離さないこと。

念を押されたのはそれだけで、他に特別な指示はなかった。


「よかったですわね、奥様」

「ええ」


リリエが小さく頷くと、ハンナはほっとしたように微笑んだ。もっとも、その胸中は複雑だったが。


ヴィオラ・エヴァレット。

未来の皇帝妃として名高い令嬢。

この宮殿へ移ってからというもの、これまで一度もリリエへ接触しようとはしなかった人物だ。


それがこのタイミングでお茶会へ誘ってくる。思い当たる理由がないわけではない。ここ数日の殿下の行動だ。


刺繍の件に、庭園の件、そして傷の薬まで。


それらの話はヴィオラの耳に入っていても不思議ではなかった。


とはいえ、クロードが許可を出したということは、少なくとも危険視する必要はないのだろう。それでも、どちらにせよ目を離すつもりはなかった。


「当日は私もご一緒いたしますので、ご安心くださいませ」


そう言って微笑むハンナに、リリエは不思議そうに首を傾げる。


「心配しているの?」

「当然ですわ」


即答だった。あまりにも迷いのない返事に、リリエは僅かに目を瞬かせる。


「奥様はご自身のことを後回しになさるのですもの」

「そうかしら」

「そうですわ」


きっぱりと言い切るハンナに、リリエは少しだけ困ったように視線を伏せた。その様子に、ハンナは小さくため息をつく。やはり当日は気を付けなければ。


ヴィオラがどのような人物であれ、リリエが無理をしてしまう可能性の方がよほど高いのだから。そうしてハンナは、お茶会へ向けて密かに気を引き締めた。



お茶会は二日後の昼に行われる。

招待状には、参加者の名は記されていない。その様子では、おそらくヴィオラと二人きりなのだろう。リリエはそう考えながら、再び手紙へ目を落とした。


未来の皇帝妃。殿下が選んだ女性。

どのような方なのだろう。


そんなことをぼんやりと思いながら。




そして、二日後。



「私、一度、奥方様とはお話してみたいと思っていましたの」


柔らかく微笑むヴィオラに、ついリリエは見惚れてしまう。


政略結婚である故に、時期正妻にとって自分は決して歓迎される存在ではないだろう。

だから、この一年の契約が終わるまで顔を合わせることもないと思っていた。


それなのに、こうして相手からお茶会へ招かれるとは思いもしなかった。


(可愛らしいお方)


ヴィオラは淡い桃色(ぴんく)のドレスを身に纏っていた。

幾重にも重ねられた柔らかな生地には、小さな薔薇の刺繍が散りばめられている。胸元には白いレースがあしらわれ、腰には大きなリボン。頭にも同色の飾りが添えられており、まるで春の花をそのまま人の姿にしたようだった。それらの装飾は、華奢な体躯によく似合っている。


二人の間に置かれた白磁のティーセットからは、ふわりと紅茶の香りが漂っていた。銀のスタンドには色とりどりの菓子が並び、小さな果実のタルトや焼き菓子が午後の日差しを受けて艶やかに輝いている。薔薇園の奥に設けられた茶会スペースには風がよく通り、花々の香りが時折運ばれてきた。


「奥方様は、甘いものはお好きですか?」

「はい」

「そうですか! ではこちらのクッキーなどお召し上がりになって。殿下もお好きですのよ」

「ありがとうございます」


にこにこと愛らしく笑うヴィオラに、リリエはちらりと視線を向ける。


(ヴィオラ様は殿下とお茶をなさるくらいの仲…次期正妻なのだし、当たり前といえば当たり前かしら)


リリエは差し出されたクッキーを手に取った。薄く焼かれた生地の表面には細かな砂糖が散らされている。口に運ぶと、さくりと軽い音を立てたあと、ほろほろと崩れて甘さが広がった。思わず少し目を見開く。


「美味しいです」

「まぁ、本当ですか!?」


ヴィオラはぱっと表情を明るくした。


「奥方様にそう言っていただけるだなんて、嬉しいですわ」


にこにこと笑うヴィオラにつられ、リリエも微笑み返そうとする。だが慣れないせいか、どうにも上手くいかない。僅かに口角を上げるだけになってしまったものの、それでも十分だったらしい。ヴィオラの後ろに控えていた侍女たちが、ほう、と小さく息を飲んだ。



対してハンナはいつも通りだった。

空になったカップへ紅茶を注ぎ足し、食べ終えた菓子皿を下げる。クッキーの欠片を拭うために使ったハンカチも、いつの間にか新しいものへと取り替えていた。その無駄のない動きは見事というほかない。


ヴィオラ付きの侍女が三人いるのに対し、リリエに仕えるのはハンナ一人だけ。それでも仕事ぶりだけなら少しも引けを取っていなかった。


そうして穏やかな時間はゆっくりと過ぎていく。紅茶のおかわりを重ね、菓子を摘み、他愛もない話を交わす。薔薇園を吹き抜ける風がテーブルクロスを揺らし、陽光が白いティーカップの縁を照らしていた。


やがてカップの中身も残り少なくなり、お茶会は終わりを迎える。


ヴィオラとリリエは席を立った。


「奥方様、よろしければまた私とこうしてお話していただけますかしら?」

「ええ、勿論です。お誘いいただき光栄です」


その返答にヴィオラは嬉しそうに笑った。


「うふふ、嬉しいですわ」


そう言って踵を返した瞬間だった。

ふわりと揺れたドレスの裾飾りが、テーブルの端に置かれていたティーポットへ触れる。


かたり。


小さな音が響く。


(……あ)


リリエの視線がそちらへ向き、僅かに歩みを早める。


次の瞬間、ぐらり、とティーポットが傾いた。熱い紅茶が入ったままのそれは、そのまま落ちればヴィオラの足元に落下してしまう。


咄嗟だった。考えるより先に、体が動いていた。

思わず伸ばした手がティーポットを受け止める。


「奥様!!」


ハンナの悲鳴にも似た声が、庭園に響いた。


じわり、と、遅れて掌に熱と痛みが広がった。ティーポットを支えたまま、リリエはヴィオラを見る。


「お怪我はございませんか?」

「え――」


ヴィオラが目を見開く。

だが返事を待つより早く、ハンナが駆け寄ってきた。


「奥様! 奥様の方こそ火傷を……!」


急いでティーポットを取り上げ、赤くなった手にハンカチを当てる。


「申し訳ございません、ヴィオラ様。本日はここで失礼いたしますわ」


珍しく有無を言わせぬ口調だった。


当てられたハンカチ越しに、じくじくと痛む掌。数日前に増えた傷がようやく癒え始めていたというのに、また新たな炎症を起こしてしまったらしい。

リリエは痛む手を見下ろしながら、小さく瞬きをした。






「奥様、痛みますか?」


自室へ戻ると、ハンナはすぐに洗面台へ水を張らせた。白磁の大きな鉢へ注がれた冷水は、夕刻の光を受けて静かに揺れている。


リリエはソファへ腰掛けると、赤く腫れ始めた掌をその中へ浸した。じん、と鈍い熱が冷たさに溶けていく。


対するハンナは落ち着かない様子で、リリエと火傷した手を何度も見比べていた。


「大丈夫。ごめんなさい」

「いいえ、私がもっと気を配っていれば…」

「ハンナは悪くないわ。私が悪いの。本当にごめんなさい」

「……奥様」


ご自身のことを後回しになさるのですもの。


そう言われたばかりだというのに、またしてもハンナ自身を責めさせるような行動を取ってしまったことに、リリエは小さく眉を下げた。


だが、あの状況でヴィオラを庇える位置にいたのは自分だけだった。


次期皇帝妃であるヴィオラと、せいぜい一年限りの政略結婚で迎えられた自分。どちらが大切かなど、わざわざ口にするまでもないだろう。


ずきずきと掌は痛むはずなのに、それよりもヴィオラが無事でよかったという気持ちの方が勝っていた。

どうせ一年後にはここを去る身だ。ハンナには申し訳ないけれど、咄嗟に手を伸ばしたことを後悔はしていない。


ハンナは眉を下げながら、氷を浮かべた銀のボウルに柔らかな亜麻布を浸した。十分に冷えたそれを丁寧に絞ると、熱を持った掌へそっと当てる。


まるで壊れ物に触れるような手付きだった。


労わるように肩へ掛けられた薄手のブランケットは、冷えていく掌とは反対に暖かく心地良い。


少しだけ開け放たれた窓からは、夜風が白いレースのカーテンを揺らす。その向こうからは、微かな薔薇の香りが流れこんでくる。


皇族たちの居住区から離れた部屋とはいえ、庭園はそう遠くない。

そよそよと木々が揺れる音に僅かに目を細めていると、不意に廊下の向こうから慌ただしげな足音が響いた。


ドタドタと近付いてくる音に、思わずハンナが顔をあげる。

その直後だった。


ばん、と勢いよく扉が開け放たれ、驚いたリリエたちは振り返る。

ドアの前に立っていたのは、他でもないレオンハルトだったのだ。


どうやら就寝前だったのだろう。いつもの正装ではなく、簡易な寝所着を纏っている。首元は僅かに緩められ、額には薄く汗が滲んでいた。

それは、急いでここまで来たことが一目で分かる姿だったが、そんな様子にも構わず、レオンハルトは真っ先にリリエへと視線を向ける。


そうして、その姿を確認した瞬間だけ、ほんの僅かに安堵したような表情を見せた。


「殿下!?」


ハンナが驚いたように立ち上がる。


レオンハルトに数歩遅れて部屋へ姿を見せたクロードも、珍しく申し訳なさそうに眉を下げていた。


「火傷をしたと聞いたが」


レオンハルトはハンナの声など意にも介さず、ずかずかとリリエへ歩み寄る。思わず反射的に立ち上がろうとしたリリエだったが、その肩を軽く押され再びソファへ腰掛けさせられた。やがてレオンハルトの視線は掌へ落ちる。


赤く腫れた皮膚に、所々に残る火傷の痕。

それを見た瞬間、彼は露骨に眉を顰めた。


「何故また怪我を増やしている」

「申し訳ございま――」

「今をもって謝ることを禁ずる」


ぴしゃりと言葉を遮られ、リリエは思わず口を閉じる。


「次にその言葉を口にしたら処罰を与えると思え」

「……はい」

「それで、なぜ火傷を?」


リリエは答えに詰まった。


ヴィオラを守ろうとして。そう言えば済む話なのかもしれない。だが、それは余計なお世話だったのではないだろうか。あるいは、大切な次期皇帝妃を危険な目に遭わせたと思われるかもしれないし、火傷を理由に気を引こうとしたなどと受け取られる可能性だってある。


考えれば考えるほど言葉が見つからない。


「……事故で、その……」


曖昧な返答しかできなかった。

レオンハルトは一瞬だけ目を細めると、すぐにハンナへ視線を移す。


「ハンナ、お前はその場にいたのだろう」

「はい。私がいながら、このようなことになってしまい……」

「謝罪はいい。状況を説明しろ」


有無を言わせぬ声音だった。


ハンナは背筋を伸ばし、お茶会で起きた一連の出来事を包み隠さず説明する。




全てを聞き終える頃には、レオンハルトの眉間には深い皺が刻まれていた。やがてハンナが話し終えると、レオンハルトは額へ手を当てる。


何かを堪えるようにしばらく黙り込んだのち、


「……はぁ」


と、今日何度目かも分からない大きなため息を零した。


「……あの、皇太子殿下……」


おずおずと口を開いたリリエだったが、


「いい。いい。お前は何も言うな……」


呆れたように肩を落とすレオンハルトにそう言われ、思わず口を噤む。伸ばしかけた手をそっと引っ込めると、膝の上で静かに握りしめた。


ああ、また何かしてしまったのだろうか。


そう考えながら、リリエは僅かに視線を伏せた。


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