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悩める淑女

その日の夕餉は、いつもに比べると随分と身体を労わる献立(レシピ)だった。


滑らかに裏漉しされた馬鈴薯(じゃがいも)のポタージュに、淡白な白身魚を蕪とセロリと共に蒸し上げた一皿。焼きたての柔らかな白パンに、酸味を抑えた濃厚なヨーグルトが添えられている。


さらに食後には、朝露を閉じ込めたように瑞々しい葡萄や桃が白磁の器へ美しく盛り付けられていた。


それらを目にしたハンナは、思わず「まあ」と小さく声を漏らす。


「本日は殿下のご指示により、お身体に負担の少ない献立をご用意いたしました」


食事を運んできた料理人は恭しく一礼すると、手際よく配膳を済ませ、そのまま静かに退室していった。


どうやらレオンハルトの気遣いらしい。先ほどクロードから渡された薬といい、この夕餉といい。疎ましく思っているはずなのに、時折こうして気に掛けるような素振りを見せる彼の真意が分からず、リリエは申し訳なさそうに僅かに眉を下げた。


対するハンナは、しばらく驚いたように料理を見つめていたが、やがて眉間に皺を寄せたり、安堵したように胸を撫で下ろしたりと、ころころと表情を変えている。


まるで百面相だ。





リリエが夕餉を終えると、ハンナは食後の果実に合わせた温かなハーブティーを用意した。


「奥様、お加減はいかがですか?」

「ええ。その……庭の手入れには慣れているから」


ハンナは小さく「なるほど」と頷く。

その様子を見て、リリエはこの人になら何を話しても大丈夫だろうと、ぼんやり思った。


「刺繍で薔薇をお選びになったのも、それが理由ですか?」

「そうね」

「では、本日薔薇のお手入れをなさっていたのも?」

「あまりにも綺麗だったの。それに、珍しい品種なのに傷んでいるところが見えて……つい」

「そうでしたか」



ハンナはそれ以上追及することなく、蜂蜜をひと匙落としたハーブティーをくるくると混ぜる。淡い香りが立ち上ったところで、そっとリリエへ差し出した。


「ありがとう」


リリエは両手でカップを包み込み、一口、また一口とゆっくり喉を潤す。


正直なところ、今日の騒動はハンナの寿命を少し縮めてしまったかもしれない。この宮殿で唯一、自分を信じ、心から気に掛けてくれる存在。


ただ、ハンナにとってどうかは分からないが。


それでも少なくともリリエにとって、彼女は今この宮殿で最も信頼を寄せている人物だった。




ハーブティーを飲み終える頃には、ハンナが後ろに回り、丁寧に髪を梳かし始める。絡まりを解きながら三つ編みに整え、最後に軽く指先で形を整えた。


そうして寝台へ向かったリリエを見送りながら、ハンナは柔らかく微笑む。


「おやすみなさいませ、奥様」


そして少しだけ頬を膨らませた。


「ですが明日は、必ず私にお起こしする役目をお与えくださいね」


今朝の一件を思い出しているのだろう。その声音に滲む僅かな不満に、リリエは思わず小さく目を瞬いた。


「……気を付けるわ」


そう答えると、ハンナはようやく満足したように笑った。


「はい。それでは、良い夢を」





◇◇





「リリエ嬢のご体調は?」

「ご心配なさらずとも、問題ありません」

「薬は塗りましたか?」

「ええ。言われなくても」


ハンナは先ほどのリリエの様子を思い返していた。


見たところ元気そうではあったが、太陽の照りつける中で数時間も薔薇の手入れをしていたというのだから、今後体調を崩さないよう気を配らなければならない。


殿下の指示ではなかったにせよ、庭へ出て躊躇いなく手入れを始めるあたり、前の家にいた頃の習慣なのだろうか。



クロードに呼ばれ庭園の茶会用スペースへ駆け付けた時、リリエの手には新たな傷が増えていた。ドレスの裾にも泥がついていたし、どことなく元気がないようにも見えた。


どちらにせよ、セレスティア家についてはもう少し調べる必要がある。


そんなことを考えながら、ハンナはこうしてクロードとの報告を続けていた。


ふぅ、と小さくため息を吐くと、くつくつと面白そうに喉を鳴らす声が聞こえ、自然と眉間に皺が寄った。


まったく、この男には嫌気が差す。


「リリエ嬢の手、随分と荒れていましたね。……ああ、以前キミが報告してくれた痣も確認できたよ」


さらさらと書類へペンを走らせながら、クロードは相変わらず胡散臭い笑みを浮かべている。

そんな姿に内心やれやれと思いながらも、ハンナは「はい」とだけ返した。



クロードは軽薄そうに見えるが察しが良い。

側近としても非常に有能で、こうしてハンナから日々リリエの報告を受けることを提案したのも彼だった。



『殿下のご命令ですか?』

『いいえ? 僕が個人的に気になるだけです』



最初こそ何か裏があるのではと疑った。だが今のところ、その様子はない。それどころか薬を塗るついでに痣まで確認しているのだから、腹は立つが仕事はできる。


「明日の朝も卵粥を用意させましょう。念のため水分も多めに摂らせるように」


一通り書き終えると、まるで医師のような口調でそう続けた。

ハンナは少し呆れながらも素直に頷く。


「承知しました」

「ところでハンナ、この後の予定は?」

「……奥様の明日のお召し物を用意する予定ですが」


ようやく解放されると思っていた矢先、突然そんなことを尋ねられ、ハンナはじろりとクロードを睨んだ。



本来、皇族に仕える侍女は数名から十数名ほどが一般的だ。

だがリリエは特殊な立場にあった。政略結婚であることに加え、例の悪評もある。その結果、数ある侍女の中でも特に優秀なハンナ一人が専属として任されたのだ。


もっとも、ハンナ自身が面倒見の良い性格で、一人で大抵のことをこなしてしまうため、人員を増やす必要性が低いという判断もあった。


そして何より。


ハンナはリリエに対してかなり好意的だった。


ラヴィリエ家に仕える侍女でありながら、心情的には明らかにリリエ寄りである。本来なら好ましいことではない。


だが現状、リリエの味方を堂々とできる数少ない存在でもあるため、誰も咎めることはなかった。


「お茶でもどうかと思ったんだけど。残念だね」

「私とお茶をするくらいなら睡眠を取ったらどう?」

「宮殿で唯一の従兄妹同士なんだから、そんなに冷たくしなくてもいいだろう?」

「兄さんの体調を案じてのことよ」


ハンナは呆れたようにやれやれと肩を竦めると、クロードも同じように眉を下げて肩を竦めた。

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