第9話 心の葛藤
砂漠の冷たさを運んで、夜明けの風が肌を刺す。
暁色の空が、ゆっくりと白んでいく。
父の背中を追いながら、セスは大通りを歩いていた。
営舎からぞくぞくと現れる石工たちの列に混じり、作業場へ向かう。
いつもの朝の光景。
ただ、昨夜の父の言葉が胸の奥で渦を巻いていた。
「三大メルのひとつを、王の墓室に改築せよとの命令だ」
……本気なのだろうか。
三大メルは神の創造物と伝えられ、傷つけることさえ禁忌とされている。
巨大な石壁──隼神の壁──で守り、兵士たちが人の出入りを規制しているほどだ。そのひとつを墓室に作り替えるとは……。
天罰を考えるだけで背筋が凍る。
エジプトの王は、太陽神ラーの息子として国を治める。
王族が生まれる何千年も昔から、三大メルはギザに鎮座する神聖なるものとして人々から崇められてきた。
なぜ、ギザにあるのか。
なぜ、四角錐なのか。
なぜ、北極星を基準に正確に北を向いているのか──。
父ダクトをはじめ、数えきれない調査官たちが何年も研究してきたが、答えは出ていない。誰が何の目的で建造したのかさえも。
幼いころ、父の肩車の上で聞いた声が蘇る。
「三大メルは、とにかく巨大だ。人智を越えたものがある。石碑も刻印も残っていない。神が建てたとしか言いようがない」
父の肩の上で、セスは学んだ。
三大メルの権威と神秘に惹かれ、第二王朝のジェセル王が、三大メルを模した王墓をイムホテプ宰相に築かせたこと。その成功にあやからんと、彼の後に即位した王たちも、次々と四角錐の王墓を建立していったこと。
「どれも素晴らしい建築物だが、三大メルは別格だ」
石の歴史を語りながら、父は物々しく語った。
「あれほど精巧に摘まれた石組みは、ほかにない」
セスが石工見習いになると、父はこう諭した。
「物言わぬ石にも心がある。刻んだ人の時間がある。一度砕いた石は戻らない。だからこそ慎重に扱う必要があるんだ」
時代を超える石造物には、神であれ人であれ「思い」が宿るのだからと。
そんな父が三大メルを削る姿など、セスにはどうしても想像できなかった。
神の建立物に手をかければ、神の怒りを買うのではないか。
ルカの言う「呪い」が存在するなら、父に災いが降りかかるのではないか。
ピラミッドタウンからほど近い場所に、大きな兵舎がある。
数日後に、父はそこに移り住む。
いったん兵舎に入れば、任務を達成するまで「東の街」には戻らない。
──戻れない。
前を行く広い背中に、父の葛藤が揺れている。
黙って見ているしかできないセスの胸も、ざわついていた。




