表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/12

第8話 王の命令

 その日、父の帰りが遅かった。

 夕焼け空は灰色に溶け、往来で遊んでいた子どもたちの声も遠のいた。

 それでも、戸口にダクトの姿は現れない。


 姉のムトに促され、セスは弟のルカと二人だけで、そら豆のスープとパンの夕食をとった。


 食事を終えると、ルカは目をこすり始めた。

 ムトがパン工房から戻るまで、ずっと文字の練習をしていたのだ。

 ごろりと長椅子に横になったルカは、そのまま眠ってしまった。


 やれやれと苦笑し、ムトとセスは二人がかりでルカを抱えた。

 隣の小部屋の寝台まで運ぶのは、かなり骨が折れる。

 痩せた身体ではあっても、十歳になったルカはさすがに重い。


 夜は、静かに深くなる──。

 灯りを落とした隣の部屋から、穏やかな寝息が聞こえていた。


「姉さん、明日は作業場に行ってもいい?」


 洗った食器を棚にしまいながら、セスが声をかけた。

 返事がない。

 長椅子に腰を下ろしたムトは、しきりに細い首筋をさすっていた。

 ランプをぼんやり見つめる目は、遠いどこかを漂っている。


「姉さん?」


 はっとして、ムトが顔を上げる。


「昨夜、眠れなかったんだろ? 休みなよ。父さんは僕が待つから」


 ムトは力ない笑顔を浮かべて、首を振った。


「大丈夫。セスこそ、もう寝なさい。明日は作業場に行くんでしょう?」

「行っていいの?」

「職人になるには仕事を覚えないと。見習いのままでは自立できないわ。ルカの発作も落ち着いてるみたいだし、明日はメヒお婆さんとマトナおばさんにお願いしておくから」


 向かいに住む親切な二人の主婦は、若い姉弟が働けるようにと、事あるごとに交代でルカの側にいてくれる。隣近所にも誠実なダクトの人柄が、こういった形で家族を支える力を生む。


「……父さん、遅いね」


 セスは、戸口の外を見やった。

 歩いている人の輪郭しかわからない薄暗さだ。

 増水期アケトならではの湿度が、肌に重くのしかかってくる。


「ホル・エム・アケトの解体が...」


 言いかけて、はっとした。

 父さんから他言を禁じられていたのに。


 運よく、ムトの耳には入らなかったようだ。

 ゆらゆらと揺れるランプの炎を、またぼんやり見つめている。


 どれくらい待っただろう──。


 食卓に頬杖をついているうちに、いつの間にかうたたねしていた。

 セスの頭に、温かな手が添えられる。

 目を開けると、弱い笑顔を浮かべる父が見下ろしていた。


「おかえり。遅かったね」

「ああ。思いのほか時間がかかった」


 ホル・エム・アケトの解体作業は、そんなに大変なのだろうか──。


 ムトは、ダクトのために食卓を整えている。

 そら豆の温かな香りが、部屋を満たしていた。


 静かな夜だった。

 

 いつもなら、子ども達がどう一日を過ごしたか、あれこれ尋ねてくれるダクトなのに、今夜はどこか思い詰めた表情だ。無言のまま食事を口に運んでいる。


 父が帰るまではぼんやりしていたムトも異変に気付き、セスに素早く視線を寄こしてきた。


(……どうしたのかしら?)

(僕にわかるわけないよ)


 食事を終えたダクトは立ち上がり、まだスープを飲んでいるムトの背中を労わるようにさすると、ルカが寝ている隣室へと入っていった。

 

 セスは、落ち着かない様子で頭を掻いた。

 事故現場で何かあったのだろうか。

 まさか、あのアブリという監督官のとばっちりを受け、父まで罰を言い渡されることになったのでは?


 ムトが食事の片付けを終えた頃、ルカの寝室からダクトが出てきた。

 

「手は空いたか? 二人に話がある」


 セスの胸がどきりと鳴った。

 やはり、何かあったのだ。


 視線を交わすことさえためらわれるほど、ずしりと重い緊張感が漂う。

 二人は神妙な面持ちで、ダクトに示されるまま椅子に座った。


「父さんは、しばらく家を離れる」


 低い声で、ダクトが言った。


「え?」

「離れる?」

「遠くに行くわけじゃない。ピラミッドタウンのすぐ近くに滞在するだけだ」


 セスとムトは、顔を見合わせた。


「この家には、帰ってこないということ?」

「そうだ」

「どうして……?」

「詳しくは話せない。王の命令だ」


 慌てたように、ムトがダクトの腕を握った。


「危険なこと?」


 いや……とかぶりを振るダクトの表情が、ぎこちない。

 もとより噓のつけない父だ。


「危険なことなのね?」

「心配ない。メドジャイ部隊と行動を共にする」


 メドジャイ部隊と聞いて、セスとムトは息を呑んだ。

 治安と機密を司る王国最強の警備隊だ。

 ──危険と隣り合わせの兵士たち。


「いったい何をするの? 教えて」

「話せない。王の命令だ」

「誰にも言ったりしないわ。父さんの命がかかってるのに」


 必死にすがるムト。


「母さんのように、突然いなくなってしまいそうで怖いのよ。誰にも言わないわ。ルカにも話さない。何をするのかだけ教えて。心の準備ができるように」



 ダクトは首を振り、辛そうに笑った。

 ムトは、父の腕をつかんで離さない。

 セスも、父から視線をそらさい。


 苦しそうなため息が、ダクトの喉から漏れた。

 大きな骨がつかえてでもいるかのように、何度か咳払いした。

 口留めされているのだろう。

 問いただすべきではないのかもしれない……。

 

 だが、ダクトは意を決したように小さくうなずいた。

 羽音のようにかすれた声で、愛する娘と息子にこう告げたのである。


「三大メルのひとつを、王の墓室に改築せよとの命令だ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ