第69話 ルカのひとり言
オシリス神殿で暮らすようになって、体調がいい。
食欲はないけれど、寝覚めがいい。
夜中に咳に苦しめられる回数が、格段に少なくなったおかげだ。
それなのに、姉さんも神官たちも「休んだら?」と言う。
心配そうな顔で。
播種期に入ると、書記養成学校の入学試験がある。
休んでなどいられないことくらい、わかっているはずだ。
「メンフィスは遠いわ。半日がかりの旅よ」
「身体に負担をかけてまで受験しなくても……」
姉さんは毎日のように声をかけてくる。
しかも、かなり遠慮がちに。
まるで腫れものに触るような扱いだ。
神官長のおじさんは「ここで書記見習いになればいい」と言ってくれる。
それも悪くはないけれど、僕は見習いじゃなくて書記になりたい。
ちゃんと働きたいんだ。
神殿にいるおかげで、勉強はかなりはかどる。
参拝に来ていた頃は冷たかった神官たちが、今ではとても優しい。
レリーフを眺めていると、必ず誰かが付き合ってくれる。
受験に必要な神話の知識だったり、神殿の成り立ちを教えてくれる。
僕は、ピラミッドタウンで生まれた。
身体が弱いせいで、めったに外出もしない。
だから、エジプトの各地に地方神がいるなんて知らなかった。
ピラミッドタウンがあるギザ台地の地方神は、オシリス神じゃない。
王都メンフィスと同じプタハ神だ。プタハ神は創造の神で、石工や鍛冶屋といった職人たちの守護神でもある。
おもしろいのはミイラの姿をしていること。
「冥界の神さまでもないのに、どうしてミイラなの?」と尋ねると、神官のお兄ちゃんたちは困ったように首を傾げた。そこまでは知らないらしい。難しいことを聞いちゃったみたいだ。
神殿に住んでいるせいか、最近は神話に興味がある。
ピラミッドタウンを取り囲む高い壁が隼神の壁と呼ばれるのは、百年以上前までは、ホルス神が国家神として崇められていたからなんだって。
でも最近では、ヘリオポリスの太陽神ラーが創造神アトゥム神と融合し、ラー・アトゥム神となって人々の厚い信仰を集めているらしい。
ヘリオポリスには九柱もの神さまがいることも、最近になって知った。
神官のお兄ちゃんたちから、ヘリオポリスの創世神話も習った。
神官のお兄ちゃんたちは、もちろん文字が読める。でも驚いたのは、書記が記録した葬祭文書をほとんど暗記していることだ。
書記という仕事にもいろいろある。
地方官のもとで働いたり、建設現場に入って工事の記録を残したり、農作物の収穫をまとめたりもする。僕は神話に関わる仕事がしたい。
葬祭文書をお墓や石碑に記して、後世に残す仕事だ。
僕がこの世から消えても、僕が手掛けた葬祭文書が永遠に残るなんて、すばらしいことだよ。
僕はずっとオシリス神が好きだった。
オシリス神は、死から蘇った神さまだから。
死ぬことが怖い僕には、救いになる神さまだから。
心からお祈りすれば、僕も復活再生できるような気がしてた。
もちろん、オシリス神は今でも尊敬していて大好きだけど、アトゥム神を知ってから憧れの神さまが変わった気がする。
そう、人々が崇める神さまにも移り変わりがあるように──。
アトゥム神は生み出された神さまじゃない。
原初の海から、自分の力と意思で現れた神さまなんだ。
自分の力では何もできない僕とは、まるで正反対。
憧れずにはいられない。
僕も、強い力と意思をもちたい。
創造神アトゥム神がいるヘリオポリスは、ギザの北にある。
二イテル(20km)くらい離れてる。
遠いのはわかってる。
それでも、いつか行ってみたい。
「原初の丘」があるという太陽信仰の都市ヘリオポリス。
強くなれる気がするんだ。
今、クヌムはメンフィスにいる。
大事な話し合いがあると言ってた。
王宮にいるクヌムのお兄さんとは、あまり仲が良くないらしい。
病気ばかりして不幸だと思ってたけど、僕は恵まれてるのかもしれない。
僕のお兄ちゃんは生意気だけど、いつも優しい。
……姉さんは、また南の方をぼんやり見てる。
メンフィスは、ここから二イテルちょっと(約20km)も先なのに。
きっと、クヌムに会いたいんだ。
僕も会いたい。会えたらお礼を言わないと。
治療が受けられるのも書記をめざす決心がついたのも、姉さんの雰囲気が変わったのも、クヌムのおかげだから。
ねえ、クヌム、何してる?




