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セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千
第12章 一心不乱

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第69話 ルカのひとり言

 オシリス神殿で暮らすようになって、体調がいい。

 食欲はないけれど、寝覚めがいい。

 夜中に咳に苦しめられる回数が、格段に少なくなったおかげだ。


 それなのに、姉さんも神官たちも「休んだら?」と言う。

 心配そうな顔で。

 播種期《ペレト》に入ると、書記養成学校の入学試験がある。

 休んでなどいられないことくらい、わかっているはずだ。


「メンフィスは遠いわ。半日がかりの旅よ」

「身体に負担をかけてまで受験しなくても……」


 姉さんは毎日のように声をかけてくる。

 しかも、かなり遠慮がちに。

 まるで腫れものに触るような扱いだ。


 神官長のおじさんは「ここで書記見習いになればいい」と言ってくれる。

 それも悪くはないけれど、僕は見習いじゃなくて書記になりたい。

 ちゃんと働きたいんだ。


 神殿にいるおかげで、勉強はかなりはかどる。

 参拝に来ていた頃は冷たかった神官たちが、今ではとても優しい。

 レリーフを眺めていると、必ず誰かが付き合ってくれる。

 受験に必要な神話の知識だったり、神殿の成り立ちを教えてくれる。


 僕は、ピラミッドタウンで生まれた。

 身体が弱いせいで、めったに外出もしない。

 だから、エジプトの各地に地方神がいるなんて知らなかった。


 ピラミッドタウンがあるギザ台地の地方神は、オシリス神じゃない。

 王都メンフィスと同じプタハ神だ。プタハ神は創造の神で、石工や鍛冶屋といった職人たちの守護神でもある。


 おもしろいのはミイラの姿をしていること。

「冥界の神さまでもないのに、どうしてミイラなの?」と尋ねると、神官のお兄ちゃんたちは困ったように首を傾げた。そこまでは知らないらしい。難しいことを聞いちゃったみたいだ。


 神殿に住んでいるせいか、最近は神話に興味がある。

 ピラミッドタウンを取り囲む高い壁が隼神《ホルス》の壁と呼ばれるのは、百年以上前までは、ホルス神が国家神として崇められていたからなんだって。


 でも最近では、ヘリオポリスの太陽神ラーが創造神アトゥム神と融合し、ラー・アトゥム神となって人々の厚い信仰を集めているらしい。


 ヘリオポリスには九柱もの神さまがいることも、最近になって知った。

 神官のお兄ちゃんたちから、ヘリオポリスの創世神話も習った。


 神官のお兄ちゃんたちは、もちろん文字が読める。でも驚いたのは、書記が記録した葬祭文書《ピラミッド・テキスト》をほとんど暗記していることだ。

 

 書記という仕事にもいろいろある。

 地方官のもとで働いたり、建設現場に入って工事の記録を残したり、農作物の収穫をまとめたりもする。僕は神話に関わる仕事がしたい。


 葬祭文書《ピラミッド・テキスト》をお墓や石碑に記して、後世に残す仕事だ。

 僕がこの世から消えても、僕が手掛けた葬祭文書《ピラミッド・テキスト》が永遠に残るなんて、すばらしいことだよ。


 僕はずっとオシリス神が好きだった。

 オシリス神は、死から蘇った神さまだから。

 死ぬことが怖い僕には、救いになる神さまだから。

 心からお祈りすれば、僕も復活再生できるような気がしてた。


 もちろん、オシリス神は今でも尊敬していて大好きだけど、アトゥム神を知ってから憧れの神さまが変わった気がする。

 そう、人々が崇める神さまにも移り変わりがあるように──。

 

 アトゥム神は生み出された神さまじゃない。

 原初の海から、自分の力と意思で現れた神さまなんだ。

 自分の力では何もできない僕とは、まるで正反対。

 憧れずにはいられない。


 僕も、強い力と意思をもちたい。


 創造神アトゥム神がいるヘリオポリスは、ギザの北にある。

 二イテル(20km)くらい離れてる。

 

 遠いのはわかってる。

 それでも、いつか行ってみたい。

 「原初の丘」があるという太陽信仰の都市ヘリオポリス。

 強くなれる気がするんだ。


 今、クヌムはメンフィスにいる。

 大事な話し合いがあると言ってた。

 王宮にいるクヌムのお兄さんとは、あまり仲が良くないらしい。


 病気ばかりして不幸だと思ってたけど、僕は恵まれてるのかもしれない。

 僕のお兄ちゃんは生意気だけど、いつも優しい。

 

 ……姉さんは、また南の方をぼんやり見てる。

 メンフィスは、ここから二イテルちょっと(約20km)も先なのに。


 きっと、クヌムに会いたいんだ。

 僕も会いたい。会えたらお礼を言わないと。


 治療が受けられるのも書記をめざす決心がついたのも、姉さんの雰囲気が変わったのも、クヌムのおかげだから。

 

 ねえ、クヌム、何してる?


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