第67話 憂う州侯たち
エジプト王国の首都メンフィス。
白い王宮の大広間で、高官たちが浮かない顔を見せていた。
早朝になって、クフ王が出兵の命令を下した。
シナイ鉱山のひとつが、アアム族の手に落ちたためである。
出兵の報せは、伝書鳩によってエジプト国内に伝えられた。
報せを受けた州侯たちは、詳しい説明を求めて駆けつけたが、謁見は叶わない。クフ王は出兵に向けて軍事会議の最中だという。
国家の中枢を担う重鎮でもない限り──
「所詮、蚊帳の外か」
高官の一人がぽつりと言った。
太陽は真上に昇っているのに、まだ何の動きもない。
「緊急事態だ。仕方がない。私たちは指示どおりに兵を出すだけだよ」
別の男がなぐさめるように肩を叩いた。
彼らは王や王族から指名された州侯である。セパトと呼ばれる地域共同体を治める長官たちで、信仰や土木だけでなく治安を管理する責任を担っている。
彼らの腰巻には紐で結わえられた記章があった。その図柄にはノウサギとトキが刻まれている。ノウサギ州とトキ州の州侯だ。
「だが、増水期が終われば播種期だ。ナイル川の水が引いたら、農地が乾かないうちに急いで耕し、種をまかなきゃならない」
「その時期に農民を徴兵されてしまえば……」
「収穫期は悲惨だぞ」
エジプトの精鋭と言えばメドジャイ部隊だが、遠征となれば各州に徴兵命令が下る。歩兵は主に農民で構成されるため、自分の州からどれだけの農民を差し出すかは死活問題だ。来年の徴税にも大きく影響してしまう。
「よりによって、どうしてこの時期に……」
「アアム族が鉱山を奪うなど、そもそも信じられない話だ」
「聞いたところでは──」
ノウサギの記章を付けた州侯が、声をひそめた。
「労働者たちが反乱を起こしたと言われているが、鉱山の監督官が買収されていたという噂もまことしやかに囁かれている」
「買収だって? アアム族にか」
「それはわからん。だが、内部に造反者がいるとの噂もある」
「裏切り者が?」
「ああ。しかも……」
王宮の奥をあごでしゃくる。
「しかも、何だよ」
「王族が関わっているらしい」
「なんだって?!」
その声に、周囲の高官たちが怪訝そうにふり返る。
二人の州侯は首をすくめ、壁際へと移動した。
大広間の東西の壁には、ずらりと歴代の王の胸像が並んでいる。
クフ王の胸像はそこにない。
「ピラミッドタウンで、王が命をねらわれた話は?」
「もちろん聞いたよ。刺客は工夫の身なりをしていたとか」
「デルタの交易民に紛れていた連中らしい」
「デルタの?」
「ギザ周辺のナイル川では、正体不明の舟も出没している」
トキの記章をつけた州侯が、あきれたように首を振った。
「ここ最近、どうも情勢が落ち着かない。南レバントの部族や砂漠の民にも不穏な動きがあるとの報告もある」
「スネフェル王があまりにも偉大だったからなぁ。南部のヌビアや隣国のリビアまで征服するほどの勢いがあった。王墓を三つも築くほどの王だ。歯向かう者などいなかった」
二人の州侯は、大広間から外へ出た。
大前庭には陽光が降り注ぎ、白い光で満ちている。
ここなら聞き耳を立てる者もいない。
「つい最近も、ネフェルマアト様は王に反目なさった」
「この前だけじゃない。二年前からずっとだ」
ノウサギ州の州侯が、周囲を見渡した。
「内部にいる造反者というのは、ネフェルマアト様を支持する者か?」
「うむ……」
「鉱山の動きを誰より早く把握できるのは、遠征指揮官でもあるネフェルマアト様だ。外交大臣だから、デルタやシナイの動きにもお詳しい」
「鉱山が敵に奪われればえらいことだぞ」
「農具も武器も作れないからな。国力はあっという間に落ちる」
「ネフェルマアト様が、そんな真似をなさるものか。王族が国を売るわけがない」
トキ州の州侯が「わかっていないな」と舌打ちする。
「玉座を得るためなら、王族は何でもするぞ。アアム族そのものはそれほど脅威でもない。手を結んだ後で切り捨てるなど、エジプト王になればたやすいことだ」
「私が思うに……」
ノウサギ州の州侯が口元に手をあてる。
「アンカフ大臣も怪しい」
「アンカフ大臣?」
「ああ。彼はスネフェル王の長子だ。母親の身分が低かったことと片目が不自由なことで子どもの頃から虐げられている。今の役職だって、ただの宮廷大臣だぞ。ネフェルマアト様やラーヘテプ様とは大違いだ」
「ラーヘテプ様といえば──」
トキの記章が揺れる。
「建設監督官の特権を利用して、ホル・エム・アケトの視察中だった王を襲わせたという噂もある」
「本当か?!」
「同い年のクフ王からあれこれ指図されるお立場だ。母妃は高貴な血筋のお方だ。家臣の身分に甘んじておられるとは思えない」
「王宮も鉱山と同じだな。誰が奪うか、奪われるか」
「結局、誰が敵なのやら」
「だから怖いのさ」
「指先ひとつで動かされる下っ端は、たまったものじゃない」
やれやれと首を振る。
塵ひとつない大前庭には、今やちらほらと人の姿がある。
大広間から出てきた高官たちらしい。
謁見をあきらめたようだ。
「私たちも帰ろう」
「そうだな。どうせ徴兵は決まったも同然だ。途中で一杯ひっかけよう」
「そうしよう」
二人の州侯はメドジャイ部隊の詰め所がある外郭城壁へと歩いていった。
憂う彼らの口からは、ため息ばかりが漏れる。
来年の収穫を失うかもしれない農民たち、ひいては自分たちの首まで危うくなりかねない運命を嘆きながら──。




