第65話 地下の間
盗賊の侵入口から中に入ると、辺りはすでに薄暗い。
三つの石ランプで視界を確保するのは、先頭を行くダクトと、しんがりを行く測量士、列の真ん中を歩く冶金師だ。
背中から差し込む光は、どんどん弱くなる。
ここまで来れば、ただの洞窟だ。
もはや、ここが第一の塔の内部であるかなどわからない。
洞窟の外から聞こえていた工事の音も、次第に小さくなってきた。
石床を踏みしめるサンダルの音と、呼吸音だけが大きくなる。
しばらく行ったところで、ダクトが立ち止まった。
肩越しに見ると、あの巨大な赤色花崗岩がある。
「お前は、前回ここで引き返したが──」
ダクトがふり返ってセスを見た。
たくましい腕で、石ランプを斜めにかざす。
赤色花崗岩のすぐ脇に、さらに奥へ進む通路が見えた。
「迂回路が完成した。先に進むぞ」
セスにとっては未知の空間だ。
胸がどきどきしてきた。
でこぼこの岩肌がむき出しになっている。
石ランプの灯りが、ゆらゆらと揺れて影を作る。
影は生き物のようにうごめいて、かなり不気味だ。
ふと、頭上に空洞らしきものが見えた気がした。
はっとして見上げたセスの目に映るのは、石灰岩の岩肌だけ──。
ダクトが再び足を止め、石ランプを掲げる。
炎の揺らめきが、石壁を舐めるように照らした。
「ここから斜面になっている。滑らないように気を付けろ」
斜面?
セスは首を伸ばし、前方をうかがった。
思わず息を呑む。
行く手は、下り坂になっていた。
ただの坂ではない。
巨大な石造物の内部を貫く導線のように、まっすぐ伸びた下降通路だ。
驚くことに、同じ角度の傾斜で寸分の歪みもない。
人の手で、ここまで岩盤をきれいにくり抜けるものだろうか。
石ランプの灯りは、遠くまで届かない。
セスの目に、下降通路の終点は見えなかった。
背中がぞくりと冷える。
「驚きだろ?」
身震いに気づいたのか、石工のハベンがセスの肩を叩いた。
「第一の塔の内部に、こんな通路があるなんてな」
「俺たちも見つけた時は驚いたよ」と、冶金師のニウ。
ここから先は未調査だと言う。
底が見えない下降通路は、まるで──
「冥界に降りる道みたいだよな」
誰かがつぶやいた。
床も壁も天井も、ほぼ平面に削られている。
足を滑らせてしまえば、ひとたまりもない。
そのまま転げ落ちていくだろう。
──視界が届かない闇の底まで。
「ひとまず、下りてみよう」
「かなり狭いですよね」
測量士のクティが言う。
確かに、ホル・エム・アケトの空洞を思わせる狭さだ。
大人一人がかろうじて通れる大きさだが、とにかく高さがない。腰を大きく折って進まなければならない。
「傾斜は、ざっと見て26度か」
測量士のクティが言った。
急な坂のトンネルだ。
どこまで続いているかわからない。
中腰で足を踏ん張りながら降りるとなれば、かなり骨が折れる。
「その点、セスは楽勝だな」
石工のハベンが言う。
「首さえ曲げりゃ、さっさと進める」
「さあ、行こう!」
男たちは覚悟を決めた。
またもダクトが先頭を行く。
「足を滑らせるなよ。仲間を巻き込む。慎重に下りるんだ」
石ランプを掲げるのは、筋力に自信のあるダクトと石工のハベン、鉱夫のアムが引き受けた。男たちは片手を壁に添えながら、中腰で慎重に降りていく。
手のひらが触れる壁には、細かな凹凸がある。
だが、下降通路の線は迷いなくまっすぐに下へ伸びていた。
「この硬い岩盤をここまで……どうやって掘ったんだ?」
つぶやいたのは、鉱夫のアムだろう。
石ランプが発する橙色の光が、ゆらりと揺れる。
石壁は冷たく乾いていた。
見えるのは足元と、前を行くダクトの背中だけ。
闇の底へとひたすら進んだ。
天井は背中のすぐ上に迫っている。
首を少し起こすだけで石にぶつかりそうだ。
「こりゃ、かなり腰にくる」
誰かが大きなため息をついた。
下り坂は思いのほか急で、一歩進むたびに足先へ体重が流れる。
壁に手を添えていなければ、ずるりとサンダルが滑って転んでしまいそうだ。
腰を折った姿勢が続く。
下り坂はどこまでも続いている。
石ランプの光は遠くまで届かない。
先は、漆黒の闇に呑み込まれている。
「足元に気をつけろ。頭にも注意だ」
「その先に、でっぱりがあるぞ」
全員で声をかけあいながら薄闇の中を下りていく。
「わあ、これは大変だ」
「俺もだ。腰が悲鳴をあげてるよ」
「兄貴、もうかなり下りてきましたよ」
「ちょっと待ってくださいよ」
測量士のクティの声がした。
「王肘尺で、ざっと二百は来てますね」
天気を語るような口調でそう言った。
「二百(約105m)? 冗談でしょう。大神殿の中庭を端から端まで歩くような距離だ」
石工のハベンが、素っとん狂な声で叫んだ。
すでに体感温度はかなり低い。
肌寒さによる震えか、緊張による震えか、わからなくなっている。
この漆黒の闇に落ちている下降通路の先に、いったい何があるのか──。
「見えたぞ」
ダクトの声がした。
「え、見えた?」
「やっと着きました?」
「助かった!」
傾斜を下りきった先には──
誰も言葉を発しなかった。
これほど苦労して辿り着いた場所だ。
あるのは聖池か。
祭壇か。
もしくは石棺か。
壁一面を埋め尽くす象形文字か壁画か。
だが、何もなかった。
ただの空間。
岩盤を掘り抜いただけの床と削られたままの壁。
天井には削り残しの岩が突き出しており、精緻さは欠片もない。
何の装飾もない。
背中をやっと伸ばせる広さがあるだけだった。
ダクトに続き、セスも空間の中央まで進んだ。
足音がやけに大きく響く。
空間は沈黙したまま、何の答えも返さない。
「これだけ?」
腰を叩く音とともに、誰かがつぶやいた。
答える者はいない。
石ランプの光は壁を照らし、床を照らし、部屋の隅を照らす。
だが、何の発見もなかった。
宝はなかった。
碑文もなかった。
英知の痕跡すら見当たらない。
あるのは巨大な空洞だけだった。
セスは眉をひそめた。
理解できなかった。
これほど巨大な建造物を築きながら、あれほどの下り坂をくり抜いておきながら、こんな未完成の部屋を残したまま放置するなんて──。
セスはまだ知らなかった。
この巨大構造の真の驚異は、さらに上に隠されていることを。




