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セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千
第11章 転機の前兆

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第65話 地下の間

 盗賊の侵入口から中に入ると、辺りはすでに薄暗い。


 三つの石ランプで視界を確保するのは、先頭を行くダクトと、しんがりを行く測量士、列の真ん中を歩く冶金師《やきんし》だ。


 背中から差し込む光は、どんどん弱くなる。

 ここまで来れば、ただの洞窟だ。

 もはや、ここが第一の塔の内部であるかなどわからない。


 洞窟の外から聞こえていた工事の音も、次第に小さくなってきた。

 石床を踏みしめるサンダルの音と、呼吸音だけが大きくなる。

  

 しばらく行ったところで、ダクトが立ち止まった。

 肩越しに見ると、あの巨大な赤色花崗岩がある。


「お前は、前回ここで引き返したが──」


 ダクトがふり返ってセスを見た。

 たくましい腕で、石ランプを斜めにかざす。

 赤色花崗岩のすぐ脇に、さらに奥へ進む通路が見えた。


「迂回路が完成した。先に進むぞ」


 セスにとっては未知の空間だ。

 胸がどきどきしてきた。


 でこぼこの岩肌がむき出しになっている。

 石ランプの灯りが、ゆらゆらと揺れて影を作る。

 影は生き物のようにうごめいて、かなり不気味だ。


 ふと、頭上に空洞らしきものが見えた気がした。

 はっとして見上げたセスの目に映るのは、石灰岩の岩肌だけ──。

 

 ダクトが再び足を止め、石ランプを掲げる。

 炎の揺らめきが、石壁を舐めるように照らした。


「ここから斜面になっている。滑らないように気を付けろ」


 斜面?

 セスは首を伸ばし、前方をうかがった。

 思わず息を呑む。


 行く手は、下り坂になっていた。

 ただの坂ではない。


 巨大な石造物の内部を貫く導線のように、まっすぐ伸びた下降通路だ。

 驚くことに、同じ角度の傾斜で寸分の歪みもない。

 人の手で、ここまで岩盤をきれいにくり抜けるものだろうか。


 石ランプの灯りは、遠くまで届かない。

 セスの目に、下降通路の終点は見えなかった。


 背中がぞくりと冷える。


「驚きだろ?」


 身震いに気づいたのか、石工のハベンがセスの肩を叩いた。


「第一の塔の内部に、こんな通路があるなんてな」

「俺たちも見つけた時は驚いたよ」と、冶金師《やきんし》のニウ。


 ここから先は未調査だと言う。

 底が見えない下降通路は、まるで──


「冥界に降りる道みたいだよな」


 誰かがつぶやいた。

 

 床も壁も天井も、ほぼ平面に削られている。

 足を滑らせてしまえば、ひとたまりもない。

 そのまま転げ落ちていくだろう。

 ──視界が届かない闇の底まで。


「ひとまず、下りてみよう」

「かなり狭いですよね」


 測量士のクティが言う。

 確かに、ホル・エム・アケトの空洞を思わせる狭さだ。

 大人一人がかろうじて通れる大きさだが、とにかく高さがない。腰を大きく折って進まなければならない。


「傾斜は、ざっと見て26度か」


 測量士のクティが言った。

 急な坂のトンネルだ。

 どこまで続いているかわからない。

 中腰で足を踏ん張りながら降りるとなれば、かなり骨が折れる。


「その点、セスは楽勝だな」


 石工のハベンが言う。


「首さえ曲げりゃ、さっさと進める」

「さあ、行こう!」


 男たちは覚悟を決めた。 

 またもダクトが先頭を行く。


「足を滑らせるなよ。仲間を巻き込む。慎重に下りるんだ」


 石ランプを掲げるのは、筋力に自信のあるダクトと石工のハベン、鉱夫のアムが引き受けた。男たちは片手を壁に添えながら、中腰で慎重に降りていく。


 手のひらが触れる壁には、細かな凹凸がある。

 だが、下降通路の線は迷いなくまっすぐに下へ伸びていた。


「この硬い岩盤をここまで……どうやって掘ったんだ?」


 つぶやいたのは、鉱夫のアムだろう。


 石ランプが発する橙色の光が、ゆらりと揺れる。

 石壁は冷たく乾いていた。

 見えるのは足元と、前を行くダクトの背中だけ。

 闇の底へとひたすら進んだ。

 

 天井は背中のすぐ上に迫っている。

 首を少し起こすだけで石にぶつかりそうだ。

 

「こりゃ、かなり腰にくる」


 誰かが大きなため息をついた。

 下り坂は思いのほか急で、一歩進むたびに足先へ体重が流れる。

 壁に手を添えていなければ、ずるりとサンダルが滑って転んでしまいそうだ。


 腰を折った姿勢が続く。


 下り坂はどこまでも続いている。

 石ランプの光は遠くまで届かない。

 先は、漆黒の闇に呑み込まれている。


「足元に気をつけろ。頭にも注意だ」

「その先に、でっぱりがあるぞ」


 全員で声をかけあいながら薄闇の中を下りていく。


「わあ、これは大変だ」

「俺もだ。腰が悲鳴をあげてるよ」

「兄貴、もうかなり下りてきましたよ」

「ちょっと待ってくださいよ」


 測量士のクティの声がした。


「王肘尺《ロイヤルキュビット》で、ざっと二百は来てますね」


 天気を語るような口調でそう言った。


「二百(約105m)? 冗談でしょう。大神殿の中庭を端から端まで歩くような距離だ」


 石工のハベンが、素っとん狂な声で叫んだ。

 すでに体感温度はかなり低い。

 肌寒さによる震えか、緊張による震えか、わからなくなっている。


 この漆黒の闇に落ちている下降通路の先に、いったい何があるのか──。

 

「見えたぞ」


 ダクトの声がした。


「え、見えた?」

「やっと着きました?」

「助かった!」


 傾斜を下りきった先には──


 誰も言葉を発しなかった。

 これほど苦労して辿り着いた場所だ。

 あるのは聖池か。

 祭壇か。

 もしくは石棺か。

 壁一面を埋め尽くす象形文字か壁画か。


 だが、何もなかった。

 ただの空間。

 岩盤を掘り抜いただけの床と削られたままの壁。


 天井には削り残しの岩が突き出しており、精緻さは欠片もない。

 何の装飾もない。

 背中をやっと伸ばせる広さがあるだけだった。


 ダクトに続き、セスも空間の中央まで進んだ。

 足音がやけに大きく響く。

 空間は沈黙したまま、何の答えも返さない。


「これだけ?」


 腰を叩く音とともに、誰かがつぶやいた。

 答える者はいない。


 石ランプの光は壁を照らし、床を照らし、部屋の隅を照らす。

 だが、何の発見もなかった。


 宝はなかった。

 碑文もなかった。

 英知の痕跡すら見当たらない。


 あるのは巨大な空洞だけだった。

 セスは眉をひそめた。


 理解できなかった。

 これほど巨大な建造物を築きながら、あれほどの下り坂をくり抜いておきながら、こんな未完成の部屋を残したまま放置するなんて──。


 セスはまだ知らなかった。

 この巨大構造の真の驚異は、さらに上に隠されていることを。


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