第62話 揺れる王宮
首都メンフィスで、もっとも巨大な建築物は王宮である。
石造建造物である三大メルやホル・エム・アケトとは違い、白く塗られた日干しレンガで築かれているが、真夏の強烈な日差しを受ければ目もくらむほどに輝き、その威容は遠くからでもひと目で知れた。
城壁の高さは王肘尺で九つ分(約五メートル)ほどもある。城門の脇には二本の石柱が立ち、その先端を覆う金属板が太陽の光を鋭く弾いていた。
外郭城壁にはメドジャイ部隊の詰め所がある。
選ばれし屈強な兵士たちが常駐し、昼夜を問わず、城門を通る者や運び込まれる物資を厳しく監視していた。
今、午後の陽ざしを浴びた白い王宮の大広間に、その厳しい監視体制のなか、官僚たちが続々と集まり、顔をそろえていた。
クフ王の異母兄である六つ年上のアンカフも、王の宮廷を司る大臣として列席している。目の不自由な彼のそばには、侍従がひとり控えていた。
大広間の中央には、玉座がある。
木製の椅子は金箔で彩色され、背もたれにはクフ王と第一王妃であるメリタテスの姿が、きらびやかな宝石と色ガラスによって表されていた。ひじ掛けと脚には、それぞれ黄金の獅子が象られている。
エジプト第四王朝の現人神、第二代王クヌム・クフが、その黄金に輝く玉座にゆっくりと腰を下ろした。
若き王は華美な装いを好まない。肉体労働者が身につけるような、軽く風通しの良い純白のサッシュキルトを腰に巻いているだけである。装飾品は黄金の指輪がひとつと、ラピスラズリやカーネリアンが連なる黄金の胸飾りのみ。
いつもと違うのは、格式ある式典や厳格な場面でのみ戴く下エジプトの王冠──赤冠を被っていることと、胸から肩にかけて白い包帯を巻いていることだった。
クフ王の怒りが、大広間に満ちていた。
三白眼の鋭い眼差しが、重鎮たち一人一人の顔を見据える。
「一度ならず、二度までも──」
若き王はこぶしを握り締めた。
「私は、わが王国内で命をねらわれた」
居並ぶ官僚たちが、一斉に頭を垂れる。
「私どもの失態にございます!」
「申し訳ございません!」
玉座にもっとも近い位置には、北と南の宰相がいた。
二人は実の兄弟でどちらも鉤鼻、あごの尖り具合まで瓜二つである。
兄である北の宰相が進み出て、頭を垂れた。
「誠にゆゆしき問題にございます。軍が厳重に管理するピラミッドタウンに刺客が入り込むなど前代未聞の事態。しかしながら──」
言いながら、クフ王を上目遣いでそっと見る。
「これも、王がみずから尊体を賭してギザをご視察なさったゆえに生じたことでございましょう」
クフ王は、鼻でふんと笑った。
「この私に責任があると申すか」
「いえ、そのような──」
「私が王宮にこもっておれば、お前たちには都合がよかろう」
クフ王の視線が、北の宰相から南の宰相へと走る。
「王位に就いて二年、経験の浅い若き王だ。白い檻に閉じ込めたまま、外の世界を見せることなく、ひたすら報告だけを信じ込ませれば、臭いものにも簡単に蓋ができようからな」
財政を監督する宝庫長と租税を管理する穀倉長が、きまり悪そうに首をすくめるのを、クフ王は見逃さなかった。家畜の数をごまかしていると部下から内部告発されている渦中の家畜長は、慌てて下を向く。
(どいつもこいつも……)
クフ王は舌打ちした。
良くも悪くも老練な大臣たちには知恵がある。
姑息な政に甘んじる。
己が生きている間だけ裕福に暮らせればそれでよいと考えているのか。
若い王に示す敬意は、あくまで表面上であることを、即位した直後からクフ王は痛切に感じてきた。
「王のご意見は、なかなかに手厳しい」
大広間に声が響いた。
大臣たちが一斉に視線を向ける。
声の主は、彼らの上座にいた。
片方の口角を釣り上げる独特の笑みを浮かべ、ネフェルマアトが挑戦的な視線をクフ王に向けていた。
二十四歳になる彼は、クヌム・クフの異母兄で遠征軍指揮官であり外交大臣でもある。細い切れ長の目には聡明さが感じられるが、それ以上に口元に狡猾さが見え隠れする。主張の強い鷲鼻は、性格の粗暴さを物語っていた。
「説明もなしに国事を執り行う王の下では、臣下もそれに倣うということでしょう。……お前はどう思う? ラーヘテプ」
「次兄のおっしゃるとおりです」
ネフェルマアトの隣で不遜な笑みを浮かべるのは、クフ王の異母弟であるラーヘテプだ。弟ではあるが、年齢はクフ王と同じ十九歳。幼い頃は身体も気も弱く、おとなしい性格であったのに、成長した今はすっかり次兄の側近と化していた。
クフ王は二人の兄弟に冷たい視線を投げた。
「説明が欲しいか? では、申してみよ」
「それでは、三大メルの改築についてお尋ねしたい」
待っていたとばかりに、ネフェルマアトは言い放った。
「第一の塔を王墓にせよとお命じになったその理由は?」
「王命に説明ではなく、理由を求めるとは──」
クフ王は、冷ややかに笑った。
「王が王たる価値を失ったか、それとも家臣が呆けたか」
ネフェルマアトの顔が怒りで赤くなった。
家臣と言われることに、彼は過剰に反応する。
ネフェルマアトは、クヌム・クフの即位を快く思っていなかった。
片目に障害がある長兄のアンカフが占星師の進言により王位継承者から外れたと聞いたとき、彼は次兄である自分が即位できるものと信じて疑わなかった。
だが、白と赤の二重冠を戴いたのはクヌム・クフであった。
『あなたがいるのに、どうしてなの?!』
ネフェルマアトの母妃は、憤慨した。
クヌム・クフの母であるヘテプレス一世が、スネフェル王の深い寵愛を受けていたこともあり、息子が後継の座を失ったことは彼女にとって大きな打撃となり、精神を病む一因となってしまった。
ネフェルマアトは内心の怒りを抑えつつ、
「お答えいただけぬと?」
顎を突き出してたたみかけた。
「三大メルを王墓に改築するのは、国費を抑えるためだ」
クフ王は当然のことのように毅然と言った。
「いちから王墓を建造するとなれば、民にも負担を強いらねばならぬ。王墓建設に必要な資源や人材なら、ほかにもっと有用な使途があるだろう」
「たとえば?」
「灌漑設備、軍隊の強化、農地の開拓、医師や書記の育成、職人の育成、都市の整備、外交にかかる遠征資金、まだ例を挙げねばわからぬか?」
ネフェルマアトは、音が聞こえそうなほど唇を噛みしめる。
「遺構を調べるべく遺跡調査官を立てたとき、私はこう揶揄された。『宝探しでもする気か』と」
クフ王はやれやれと言いたげに首を振る。
「宝探しに余念がないのは、いったい誰か」
三白眼が、ネフェルマアトを見据えた。
「ギザで、ある噂を耳にした。シナイのアアム族が銅鉱山の権利をめぐって反発を抱いている気配があると。遠征指揮官である次兄の耳には、すでにこの報せは入っているかと思うが?」
アアム族は遊牧の民だが、エジプトの銅鉱山で働く者たちもおり、彼らは銅の価値を知っている。銅鉱山を乗っ取られるようなことになれば──戦が起こりかねない。
大広間にささやき声がさざめく。
大臣たちの視線が、ネフェルマアトに集まった。
「……今、報告書をまとめているところで──」
「まとまり次第、すぐに見せてもらう」
二人の兄弟の間に、赤い火花が散っていた。
飛び火を受けてはたまらぬと、大臣たちは首をすくめる。
「そういえば──」
クフ王は続ける。
「ナイル川を頻繁に行き来する他国の舟が、漁民の生活に支障をきたしていると聞いている。刺客がいてはたまらん。ここは、外交大臣でもある次兄の出番であろう。しっかりと諸国に働きかけてもらいたい」
ネフェルマアトは押し黙ったままだ。
「刺客といえば──」
クフ王の視線が、ラーヘテプへと移る。
慌てて視線を泳がせるラーヘテプは、あきらかに動揺していた。
「ギザの大地で私の命をねらった鉱夫の男は、酒場でシナイ訛りの男から声をかけられ、脅されてもいたらしい」
大臣たちにとっては初耳だ。
唖然とした表情で、互いに顔を見合わせる。
「私の視察を知っていたうえ、現場で働く者の事情にも詳しい……情報に通じる造反者がいるのだろう。建設監督官を束ねるラーヘテプ大臣、どう思う?」
「……それは……わかりかねますが」
「早急に調べよ」
「……はい」
クフ王が勢いよく玉座から立ち上がった。
窓から吹いていた風が止まる。
大広間に緊張が走った。
「遺構を調べさせるのはエジプトのためだ。三大メル、ホル・エム・アケト、そして伝説のオシリオン。過去の知識や技術が砂の下に眠っているやもしれぬのに、お前たちは眺めるだけで満足するのか? 愚かな! 我欲を満たすために宝を探し求めるな。異論がある者は下手な小細工などせず、ここで申し立てるがよい!」
王の声が王宮を揺らす。
微動だにする者は、誰もいなかった。




