第59話 クフ王の挑戦
オシリス神を祀る河岸神殿──オシリス神殿は塔門、中庭、列柱室、至聖所で構成されている。ギザにある神殿のなかで、それほど規模は大きくない。
だが、注意深く観察すれば違和感に気づくだろう。
守衛兵たちの腕は並みの男の腕と比べて倍ほど太く、神官たちは俊敏で眼光鋭く、踊り子たちの動きには剣舞が含まれていることに──。
中庭の一角には、蓮花がたゆたう聖池がある。
その池に面して建っているのが、日干しレンガ造りの神官管理棟だ。
その管理棟の前に、ヴェールをつけた踊り子が三人、楽器を抱えた女楽師三人の姿があった。中庭は吹き抜けになっており、陽光が彼女たちの張りのある美貌を照らしてまぶしいほど輝いている。
一見すると、蓮花のごとくはかなげで美しい娘たちが、のどかに語らう光景に見えるかもしれない。
だが、彼女たちの視線は参拝客の動向を捉えて離さない。
異変があれば、すぐさまヴェールの下から暗器が飛び出し、楽器はその場で長剣と変わるだろう。
神官管理棟の奥まった一室で、今まさにクフ王その人が北と南の部隊長官であるションクから報告を受けているところであった。
「そうか。またオシリオンが見つかったか」
「はい。ホル・エム・アケト付近の帯水層で発見されました」
ションク長官が答えた。
壮年の偉丈夫である彼は、ダシュル分隊長の義兄にあたる。
南レヴァントの小部族や砂漠の民に不穏な気配があるたび、二人して先陣切って戦地を駆け抜けた根っからの武人だ。眼光は鷹のように鋭く、頬には刀傷がある。
「仔細については調査を要しますが」
「幾何学模様があったのなら、ほぼ間違いないだろう。ほかには?」
その問いが来ることは承知していたとばかりに、ションク長官は懐から巻物を取り出すと、書記による記録を野太い声で読み上げ始めた。
「ホル・エム・アケトと第一の塔には、やはり関連があるようです。同じ時代に建造されたものだろうと遺跡調査官からの報告にあります」
「そう判断する理由は?」
クフ王が、間髪入れず問う。
「両地点から見つかった花崗岩が根拠であると申しております。花崗岩はアスワンから切り出したものであり、ギザからアスワンまでの距離は八十イテル(900km)。現在わかっている方法では、とても運搬は不可能だということです」
「未知なる力か」
「いかにも」
ションク長官は、さらに巻物に目を落として読み上げる。
「地震による崩落事故により、崩れたホル・エム・アケトと第一の塔を結ぶ地下通路が確認されました。途中には滝や通気口らしき穴もあったとのこと。建築方法も含めて、これもまたかなり謎の多い遺構です」
「おそらく南の獅子像付近にも、第一の塔に通じる道があるはずだ」
クフ王はきっぱりと言った。
「すべての謎を解き明かすべく、調査隊を動かせとダシュルに伝えよ」
「はっ」
円卓の上の籠に、季節の果物が入っていた。
熟したブドウとイチジクが、やわらかな日差しに濡れている。
クフ王の長い指が、淡いピンク色の実にそっと触れた。
エジプトに自生するイチジクは、生命の木とも呼ばれている。
(ルカの容体は落ち着いただろうか……)
あれほど痩せていなければ、おそらくセスと瓜二つであろうに。
手のひらにイチジクを乗せたまま黙っているクフ王に、ションク長官は不安げな表情を浮かべた。
「気になる点でも?」
「……いや」
王らしからぬ振る舞いで、クフ王はイチジクにかぶりつく。
どこか中性的な横顔には、異国の風情と少年の面影があった。
若干十九歳のエジプトの王。
鼻梁の通ったその美しい横顔を、ションクは見つめた。
先王の代に軍長官になったションクが、この若き王に仕えるようになって二年が経つ。十七で即位した王には、類まれなる知性と威厳と先見の明があるとションクは見ているが、時に理解が及ばぬ下命をいただくことがある。
(予測不能な御方だ)
そんな事を思っていると、クフ王と目が合った。
ションクはどきりとして視線を外し、頭を垂れる。
「あの少年は無事に救出されたと聞いたが、その後の様子は?」
クフ王が訊いた。
問われて、ションクは顔を引き締めた。
「ダシュルから報告を受けております。いたって元気なようです。地震の翌日である今日は現場の安全を確認するため、工事は中止となっていることもあり、少年は朝から父親の講義を受けているとか」
クフ王が、三白眼の瞳を細めた。
「講義? 説教ではなく?」
「はい」
刀傷のある頬を緩ませ、ションク長官が答える。
「あの少年は勇んで『遺跡調査官をめざす』と豪語したとか」
その言葉に、クフ王は軽やかに笑った。
王の機嫌が殊の外よいと見たションク長官は、気になっていた疑問を口にしてみようかと思い立った。「厚かましくもお尋ねいたしますが……」と切り出す。
「申してみよ」
「なぜ、あの少年を調査隊に加えられたのです?」
その問いに、クフ王はまたふっと笑う。
「威勢がよかったからだ」
「威勢が……ですか」
「エジプトの王であるこの私に『帰れ!』と抜かした」
ションク長官は仰天して目を見開く。
「な……なんたる無礼な!」
「怒るだけ無駄だ」
そう言って、クフ王はサッシュキルトの裾をつまんだ。
なんの変哲もない楽師の衣装である。
「このなりでは、王とわかるわけもない」
「それは……そうかもしれませんが……」
ションク長官は不満げである。
「なかなか面白い少年だ。しかも口が堅い。父親は、最年少で遺跡調査官の試験に合格したダクト石工監督官で、素性は把握できている。問題はなかった」
「それで調査隊に推されたと?」
「ちょうど彼に適した任務があった」
クフ王が言うと、ションク長官は腑に落ちた顔をした。
「ホル・エム・アケト裏の空洞は、確かに大人では入れませんでしたな」
「あの少年は私に似ている」
クフ王の口角が歪み、自虐的な笑みへと変わる。
「偉大な父をもつ息子は、苦労するものだ」
先王であるスネフェル王は、王権を強化した聡明な支配者であった。
彼の統治時代は、黄金時代とも見なされている。
三大メルを模したピラミッドの建設が一気に広まったように、彼の時代がエジプトの文明を大きく花開かせた。
「だが、私はあえて父王に挑戦したい」
「挑戦……?」
唇の端についた果肉を親指で拭うと、クフ王は言った。
「三大メルを王墓にせよと命じた理由がわかるか?」
ションク長官は、どきりとした顔になる。
まさにそれも『理解が及ばぬ下命』のひとつだった。
王たちは代々、聖なる遺跡三大メルを模倣した王墓を建設してきた。
三大メル自体を王墓にせよと命じたのは、クフ王だけだ。
──それは、なぜなのか?
クフ王が、ゆっくりと言葉をつなぐ。
「……墓ごときのために、莫大な人命と資産を費やすなど愚の骨頂だ」
ションク長官は慌てて手を振る。
「そのようなことを仰っては──」
「言いたいことはわかっておる。だが──」
クフ王は苦笑した。
「私が三大メルを王墓にすれば、模倣という悪しき習慣は絶えよう。この先、王位を継ぐ者たちには、決してクフ王の王墓を超えるものは建造できぬのだから」
それは確かだ。
三大メルを超える建造物など、イムホテプ宰相が生きていようと造れるはずがない。神の遺構の模倣だからこそ王たちは執心し、国費を費やしてまで建造を命じた。三大メルがクフ王の王墓となれば、模倣しようとする王は減るはずだ。
「私の挑戦は、王墓だけではない」
クフ王が言った。
「父王の政策によって、王族が政を独占するようになり、媚びへつらう官僚や貴族が甘い汁を吸っている」
クフ王の右手が、円卓を叩いた。
「民の暮らしより己の暮らしを優先する始末!」
怒れる王に、ションク長官はおののくよりほかない。
「私はあえて父王の基盤を覆す。下エジプトの王冠である赤冠を私がいただき、上エジプトの王冠である白冠を兄アンカフに委ねたのは、私なりの父への挑戦だ」
「ははっ!」
ションク長官は思わずその場にひれ伏した。
オシリス神殿の至聖所から、王を称える神官の詠唱がこだまする。
──王は地上に生きる神
──宇宙の秩序と正義なり
──民よ その目を伏せておけ
──心を鎮めよ 声を閉じよ
エジプト第四王朝の現人神、第二代王クヌム・クフ。
褐色のその瞳には、葛藤と怒りがにじんでいた。




