第57話 砂漠に響く音
帯水層とは、地下水で満たされた地層のことをいう。
砂や砂利、割れ目の多い岩盤などの中に蓄えられた水は、井戸を掘れば取水もでき、生活用水や農業用水として活用されていた。
降水量の少ないエジプトで、王侯貴族のためのワインが醸造できるのは、ナイル川や帯水層を利用した灌漑設備のおかげだ。
帯水層の地下水は、ゆっくりと流動している。
水中に落下したセスたちは、流されているのかもしれない。
横穴からの救出を試みたが、諦めざるを得なかった。
視界の効かない暗がりに縄梯子を下ろしたところで、王肘尺で九つ分(約5m)ほども下にある水中から、人を引き上げることは不可能だ。
しかも崩壊した横穴の地面を丹念に調べた鉱夫たちが「救助活動に耐えうる強度はない」と判断した。二次災害は避けなければならない。
メドジャイ部隊を中心とした捜索隊は、一縷の望みを胸にホル・エム・アケト周辺に散らばった。たとえセスやシェムウ監督官らが流されたとしても、どこかの浅瀬で難を逃れ、今まさに抜け道を探している最中かもしれない。
第一班とメドジャイ部隊だけでなく、駆けつけた第二班の調査員たちも捜索に当たった。それぞれが持ち場に発つ前、ダクトは全員にこう告げた。
「まずは、遺構を探してほしい」
帯水層がどこにあるかは掘ってみるまでわからないものだが、遺跡調査官としての経験から、ダクトには考えがあった。
「住居の礎石、神殿跡、水路跡、石垣、何でもいい。そこに井戸や水路の痕跡があれば、間違いなくその下に帯水層がある」
エジプトには、いつの時代の物ともわからない遺跡が点在している。
眠れる遺構の多くは遺物とともに、運よく──あるいは運悪く発見されるまで、静かに砂の中に埋もれているのだ。
三大メルやホル・エム・アケトを建造するほどの知識と技術をもつ先人たちが、地下の帯水層を見逃すはずはない。
砂に埋もれた遺構を探しながら、男たちは大声で呼びかけた。
がれきが見つかるたび、即座に掘削作業が行われた。
地表の下に帯水層の反応がないか、必死に探った。
太陽は一刻一刻と傾き、西の空が赤く染まり始めた頃──
「明日、落下地点から兵士を送り込もう」
ダシュル分隊長がつぶやいた。
「夜の捜索は危険だ。明日また仕切り直す方がいい」
それは、ダクトにもわかっていた。
夜間は視界が効かない。
サソリやヘビなどの夜行性生物も邪魔をする。
今日の捜索はあきらめるよりほかなかった。
ダクトが無言でうなずくと、ダシュル分隊長が声を張り上げた。
「今日はここまで! 明朝、捜索を開始する!」
その声に、近くにいた兵士が高らかに笛を吹き始めた。
独特なリズムだ。
夕暮れの空気を震わせながら漂っていく。
遠くから、笛の音が呼応した。
了解したと答えているのだろう。
メドジャイ部隊の巡回兵を除き、全員が砂丘を下り始めた。
言葉を発する者はいない。
ダクトに声をかける者さえいなかった。
うなだれる者、悔しそうな者、名残惜しそうにふり返る者。
ダクトは一人、その場に佇んでいた。
(セス、どこにいる?)
不安のせいか足腰に力が入らない。
背中や脇を流れる不快な汗が、余計に心をざわつかせる。
(キラ、教えてくれ。あの子はどこにいる?)
そのとき──
カーンカンカン、カンカンカーン。
幻聴ではない。
岩盤を叩くようなかすかな音が、ダクトの耳を刺した。
カーンカンカン、カンカンカーン。
カーンカンカン、カンカンカーン。
「……セス!」
ダクトは叫んだ。
砂に足を取られながら、ダクトを導く音に向かって駆けた。
「どうした?!」
ダシュル分隊長の声が背中から追ってくる。
返事をしている余裕はない。
『ここだよ、ここだよ』
かくれんぼをして遊んでいた幼い頃のセスとルカは、なかなか見つけてくれないと不安になり、この音でダクトを呼んだ。
カーンカンカン、カンカンカーン(ここだよ、ここだよ)
カーンカンカン、カンカンカーン(ここだよ、ここだよ)
どこだ! 待っていろ! 父さんが見つけてやる!
音を頼りに駆けつけると、第一の塔の南側に着いた。
辺りは砂丘ばかりで遺構らしき物は何もない。
「セス!」
叫んだ瞬間、音が止んだ。
ダクトの背筋が凍る。
「どこだ! セス?!」
耳をそばだてても、聞こえるのは風の音。
「セス! どこだ?!」
カーンカンカン、カンカンカーン。
カーンカンカン、カンカンカーン。
──真下だ!
やにわにその場にしゃがみ込んだダクトは、素手で砂を掘り始めた。
まるで気が触れたかのように、必死の形相で掘り続ける。
「見つけたのか?!」
ダシュル分隊長が、駆けつけた。
兵士や工員たちまで列をなし、息せき切って駆けて来た。
「ここを掘ってくれ!」
足元の砂地を指差す。
「ここだ! ここにいる!」
太陽が完全に沈み、大きな白い月が藍色の空に現れた。
それでも掘削の音はやまなかった。
総出で砂を掘り進め、月が真上に昇った頃──
巨大な石造りの係船柱が姿を現した。
かつてこの地に水辺があったことを示す遺構だ。
カーンカンカン、カンカンカーン。
屈強な兵士たちが三人がかりで石造りの水路蓋をこじ開ける。
ダクトは目を見開き、暗い水路の底をのぞき込んだ。
石工の七つ道具である石斧を振る少年の手が見えた。
「父さん!」
そこには、あどけない十四歳の息子の笑顔。
ダクトはたまらず水路の中に飛び降りる。
砂漠に響き渡るのは、男たちの歓声と拍手喝采だった。




