第56話 ダシュル分隊長の後悔
セスが、洞窟の中へと足を踏み入れた頃──
第一の塔の前で、ダクトは測量士たちと図面を確認していた。
つい今しがた、大きな地震が発生したのだ。
運よく怪我人はでなかった。
組んでいた足場も崩れてはいない。
密道にいた作業員たちには、外で待機するよう指示をした。
いつ余震が来るかわからない。
やおら参道が騒がしくなった。
「監督官は?! どこにいる?!」
距離はあるが、切羽詰まった気配が伝わってくる大声だ。
声の主は、彼に間違いない。
ただ事ではないと、すぐにわかった。
天幕の影から身を乗り出すと、ダシュル分隊長が駆けてくるのが見えた。
後ろには武装した十数人の兵士を従えている。
「ダクト!」
これほど取り乱したダシュル分隊長は、クフ王襲撃事件以来だ。
「どうしました?」
胸騒ぎを覚え、ダクトも駆け寄った。
荒い息を吐きながら、ダシュル分隊長がダクトの肩をつかむ。
周囲には、すでに人だかりができていた。
不安と興奮の視線が、いったい何事かと二人に集まっている。
「落ちついて聞いてくれ」
呼吸を整えるかのように、ダシュル分隊長はひと息ついた。
「さっきの地震で、第一班に事故があった」
息を呑む音が連鎖する。
今日、セスは第一班にいた──。
背筋に冷たいものが走る。
皮膚の下では熱い血が逆流するのを感じながら、ダクトは平静を保とうと、あえてゆっくり口を開いた。
「それほど大きな地震ではなかったはず。こちらは何とも──」
「横穴の一部が崩れた。中に、セスくんがいた」
その言葉に、ダクトの表情が凍りつく。
「副監督官の話では、横穴は埋没してはいない。過半数は無事に脱出している。だが、通路の一部が崩落してしまった。セスくんが──」
ダシュル分隊長が、息を吐いた。
「地下の帯水層に落ちている」
ダクトが目を見開いた。
「それで、セスは?!」
「シェムウ監督官が彼を救出するため、すぐさま地下に飛び降りた。石工と鉱夫の四人も救助に向かったようだ」
居合わせた者たちの表情が、困惑から恐怖へと転じていく。
帯水層に落ちた──?
救出作業は──?
「救出作業は、第一班の作業員とメドジャイ部隊で当たっているが、崩落現場から呼びかけても何の反応もない。六人全員が溺れているはずはない。きっと地下空間のどこかにいる」
ダクトは唇を噛みしめていた。
こぶしを震わせ、顔にはすでに色がない。
「……副監督官は、どこだ?!」
ダシュル分隊長が叫んだ。
恰幅のいい冶金師の男が、前に進み出る。
「ここからは、ダクト監督官に代わって指揮をとれ!」
「はい!」
「今日の作業はここまでだ。撤収していい」
後方にいる兵士たちをふり返り、叫ぶ。
「お前たちはここで待機し、余震に備えよ!」
「はっ!」
威勢のよい返答とともに、兵士たちはすぐさま配置についた。
「行くぞ」
ダシュル分隊長が、ダクトに目配せする。
セスの救出に向かうのだと、誰もが気づいた。
だが、ダクトの足は動かない。
「何をしている、行くぞ!」
ダシュル分隊長に肩をつかまれたまま、ダクトは首を振った。
「監督官の私が、現場を離れるわけには」
「なんだと?」
「息子だからという理由で、ここを離れるわけにはいかない」
ダクトの言葉に、ダシュル分隊長はまなじりを釣り上げた。
「見捨てる気か?」
「そうではない」
ダクトは毅然と言った。
「ここにいる仲間たちは、みな家族から離れ、この仕事に命を賭けている。家族が心配であろうと帰ることはしない。私も同じことです」
「兄貴、バカなことを言うなよ!」
石工の一人が叫んだ。
「非常事態なんだぞ!」
「そうですよ。どっちにしろ、今日の作業はここまでだ」
副監督官である冶金師の男も首肯する。
それでも、ダクトは動かない。
「非常事態だからこそだ。私には責任がある」
ダシュル分隊長が、ダクトの胸ぐらをつかんで引き寄せた。
殴り合いが始まるのかと、誰もが息を呑む。
「きみは父親だろう」
ささやくような声だった。
ほかの者たちは「なんだ?」と顔を見合わせる。
「父親なら助けてやれ。任務など、どうにでもなる」
ダクトは、苦しそうに顔をゆがめた。
「責任感の強いあなたらしくない言葉だ」
「責任感?」
ダシュル分隊長がふっと笑う。
「私は、くだらん責任感のせいで息子を失った」
青く澄んだ空で、鳥が鳴いた。
「息子は戦地で散り、責任を全うした父親は今も生きている」
二人の間を風が吹き抜ける。
「私の二の舞にはなるな」
ダシュル分隊長の声が、ダクトの耳にこだまする。
「今ここでわが子を失えば、これまで情熱を傾けてきた仕事を、きみは憎むようになるだろう。同じ自分ではいられなくなる。同じ場所に立てなくなる。それでもいいのか? 失えば二度と戻らない。耐えられるか?」
つかんでいたダクトの胸ぐらを、今度は激しく突き飛ばした。
よろけたダクトに向かって大声で怒鳴る。
「何様のつもりだ?! お前の代わりなら、他にいくらでもいる!」
ダクトを縛る枷を断ち切るための、乱暴な叱咤だった。
黙していた男たちが、次々に声をあげる。
「兄貴、俺たちも後から行くよ!」
「セスくんを助けるんだ!」
「私たちの子どもも同然じゃないか!」
ダシュル分隊長が、ダクトの肩を押しやった。
「わかったか? わかったなら行けっ!」
ダクトは弾けるように駆けた。
ダシュル分隊長が追う。
参道へと駆けていく大きな背中を、男たちは祈るように見守る。
大きな二つの背中が、あっという間に砂埃の中に見えなくなった──。




