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セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千
第10章 守りたい人

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第56話 ダシュル分隊長の後悔

 セスが、洞窟の中へと足を踏み入れた頃──


 第一の塔の前で、ダクトは測量士たちと図面を確認していた。

 つい今しがた、大きな地震が発生したのだ。


 運よく怪我人はでなかった。

 組んでいた足場も崩れてはいない。

 密道にいた作業員たちには、外で待機するよう指示をした。

 いつ余震が来るかわからない。


 やおら参道が騒がしくなった。


「監督官は?! どこにいる?!」


 距離はあるが、切羽詰まった気配が伝わってくる大声だ。

 声の主は、彼に間違いない。

 ただ事ではないと、すぐにわかった。


 天幕の影から身を乗り出すと、ダシュル分隊長が駆けてくるのが見えた。

 後ろには武装した十数人の兵士を従えている。


「ダクト!」


 これほど取り乱したダシュル分隊長は、クフ王襲撃事件以来だ。


「どうしました?」


 胸騒ぎを覚え、ダクトも駆け寄った。

 荒い息を吐きながら、ダシュル分隊長がダクトの肩をつかむ。

 周囲には、すでに人だかりができていた。

 不安と興奮の視線が、いったい何事かと二人に集まっている。


「落ちついて聞いてくれ」


 呼吸を整えるかのように、ダシュル分隊長はひと息ついた。


「さっきの地震で、第一班に事故があった」


 息を呑む音が連鎖する。


 今日、セスは第一班にいた──。

 背筋に冷たいものが走る。

 皮膚の下では熱い血が逆流するのを感じながら、ダクトは平静を保とうと、あえてゆっくり口を開いた。


「それほど大きな地震ではなかったはず。こちらは何とも──」

「横穴の一部が崩れた。中に、セスくんがいた」


 その言葉に、ダクトの表情が凍りつく。


「副監督官の話では、横穴は埋没してはいない。過半数は無事に脱出している。だが、通路の一部が崩落してしまった。セスくんが──」


 ダシュル分隊長が、息を吐いた。


「地下の帯水層に落ちている」


 ダクトが目を見開いた。


「それで、セスは?!」

「シェムウ監督官が彼を救出するため、すぐさま地下に飛び降りた。石工と鉱夫の四人も救助に向かったようだ」


 居合わせた者たちの表情が、困惑から恐怖へと転じていく。

 帯水層に落ちた──?

 救出作業は──?


「救出作業は、第一班の作業員とメドジャイ部隊で当たっているが、崩落現場から呼びかけても何の反応もない。六人全員が溺れているはずはない。きっと地下空間のどこかにいる」


 ダクトは唇を噛みしめていた。

 こぶしを震わせ、顔にはすでに色がない。


「……副監督官は、どこだ?!」


 ダシュル分隊長が叫んだ。

 恰幅のいい冶金師《やきんし》の男が、前に進み出る。


「ここからは、ダクト監督官に代わって指揮をとれ!」

「はい!」

「今日の作業はここまでだ。撤収《てっしゅう》していい」


 後方にいる兵士たちをふり返り、叫ぶ。

 

「お前たちはここで待機し、余震に備えよ!」

「はっ!」


 威勢のよい返答とともに、兵士たちはすぐさま配置についた。


「行くぞ」


 ダシュル分隊長が、ダクトに目配せする。

 セスの救出に向かうのだと、誰もが気づいた。

 だが、ダクトの足は動かない。 


「何をしている、行くぞ!」


 ダシュル分隊長に肩をつかまれたまま、ダクトは首を振った。


「監督官の私が、現場を離れるわけには」

「なんだと?」

「息子だからという理由で、ここを離れるわけにはいかない」


 ダクトの言葉に、ダシュル分隊長はまなじりを釣り上げた。


「見捨てる気か?」

「そうではない」


 ダクトは毅然と言った。


「ここにいる仲間たちは、みな家族から離れ、この仕事に命を賭けている。家族が心配であろうと帰ることはしない。私も同じことです」

「兄貴、バカなことを言うなよ!」


 石工の一人が叫んだ。


「非常事態なんだぞ!」

「そうですよ。どっちにしろ、今日の作業はここまでだ」


 副監督官である冶金師《やきんし》の男も首肯《しゅこう》する。

 それでも、ダクトは動かない。


「非常事態だからこそだ。私には責任がある」


 ダシュル分隊長が、ダクトの胸ぐらをつかんで引き寄せた。

 殴り合いが始まるのかと、誰もが息を呑む。

 

「きみは父親だろう」


 ささやくような声だった。

 ほかの者たちは「なんだ?」と顔を見合わせる。


「父親なら助けてやれ。任務など、どうにでもなる」


 ダクトは、苦しそうに顔をゆがめた。


「責任感の強いあなたらしくない言葉だ」

「責任感?」


 ダシュル分隊長がふっと笑う。


「私は、くだらん責任感のせいで息子を失った」


 青く澄んだ空で、鳥が鳴いた。


「息子は戦地で散り、責任を全《まっと》うした父親は今も生きている」


 二人の間を風が吹き抜ける。


「私の二の舞にはなるな」


 ダシュル分隊長の声が、ダクトの耳にこだまする。


「今ここでわが子を失えば、これまで情熱を傾けてきた仕事を、きみは憎むようになるだろう。同じ自分ではいられなくなる。同じ場所に立てなくなる。それでもいいのか? 失えば二度と戻らない。耐えられるか?」


 つかんでいたダクトの胸ぐらを、今度は激しく突き飛ばした。

 よろけたダクトに向かって大声で怒鳴る。


「何様のつもりだ?! お前の代わりなら、他にいくらでもいる!」


 ダクトを縛る枷《かせ》を断ち切るための、乱暴な叱咤だった。

 黙していた男たちが、次々に声をあげる。


「兄貴、俺たちも後から行くよ!」

「セスくんを助けるんだ!」

「私たちの子どもも同然じゃないか!」


 ダシュル分隊長が、ダクトの肩を押しやった。


「わかったか? わかったなら行けっ!」 


 ダクトは弾けるように駆けた。

 ダシュル分隊長が追う。

 参道へと駆けていく大きな背中を、男たちは祈るように見守る。

 大きな二つの背中が、あっという間に砂埃の中に見えなくなった──。


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