第51話 前進あるのみ
ダクトとセスは、昼過ぎに兵舎へ入った。
門限は日が沈むまで、となってはいたが、ほとんどの調査員たちは午後にはぞくぞくと兵舎に戻り、明日から始まる作業の準備にいそしんでいた。
ハピ祭りを家族と過ごして活力を得たようだが、家族への思慕が増したようでもあり、石工の先輩も鉱夫のおじさん達も心なしか覇気がない。
「おいおい、しっかり頼むぞ」
共同部屋で夕食をとっていると、通路からダシュル分隊長が現れた。
後ろに書記を従えている。
書記の手にはパピルスの巻物があった。
何事だろうと注目が集まるが、ダシュル分隊長は素知らぬ顔で、
「休暇明けに気が滅入るようなら、作業が終わるまで帰省はなしだな」
と言い放つ。
「そりゃないですよ」
冶金師のおじさんが、かじりかけのタマネギを振って抗議した。
「仕事はしっかりやりますから、アピス牛の祭礼もどうかよろしく」
アピス牛の祭礼とは、聖なる牛アピスを祝う祭りのことである。
額や背中などに三角形やひし形などの変わった模様をもつ子牛が生まれると、神の顕現として盛大な祝祭を催す習慣がエジプトにはある。首都メンフィスだけでなく、小さな田舎の村でも祝われる地域の祭りでもあった。
「わかったわかった。そうしてもらえるように、ネフェル長官に頼んであげよう。子牛がいつ生まれるかは神のみぞ知るだがな」
ダシュル分隊長が豪快に笑う。
「明日からの作業も、二班に分かれて行うが──」
ダシュル分隊長が声を張り上げた。
「第一班第二班それぞれに、メドジャイ部隊が身辺調査をした工員が十名ずつ入ることになった。ここに名簿が届いている」
後ろの書記が、パピルスの巻物をこれ見よがしに掲げる。
「さらに今後の大規模工事に備え、調査隊とは別に作業班を編成することになっている。それぞれ三百人体制だ。監督官の数も増やさねばならない。そこで──」
ダシュル分隊長の視線が動く。
「シェムウ監督官とダクト監督官は?」
呼ばれた二人が返事をした。
「食事が済んだら執務室に来てくれ。隣の兵舎だ」
「はい」
「慌てなくていい。私も今から食事をとる」
「わかりました」
ダシュル分隊長が書記とともに「よろしく」と共同部屋を出て行くと、
「ダクト監督官」
作業机の向かい側から声がした。
見ると、シェムウ監督官が立っている。
なぜか頭に布を巻いていた。
まるで、測量士のおじさんのようだ。いつもと変わった雰囲気のせいで、ひと目ではシェムウだと気づかなかった。
「休暇はどうでした?」
パンを手にしたまま、シェムウがにこやかに近づいてくる。
小柄な体格もあって人懐こい仔犬のようだ。
「ゆっくりできましたか?」
「下の息子の子守りをしながら、のんびり過ごしましたよ」
ダクトが答えると、
「私もですよ。ずっと子守りでした」
シェムウが笑った。
「八歳になる下の娘は、美容師になりたがっていましてね。そのせいで……」
パンを口に放り込み、シェムウが頭に巻いた布を解いていく。
「見てください。甘やかしてしまって、このザマです」
いったい何が始まるんだ──?
集まった周囲の視線。
やがて、誰もが一斉に噴き出した。
頭頂部の髪がない。
剃刀を使ったのだろう、見事に剃り上げられていた。
共同部屋に、どっと笑いが起こる。
(わざわざ見せなくてもいいのに)
セスは笑いをこらえるのに必死だ。
豆のスープが喉につかえたふりをして、ゴホゴホと咳をした。
「練習台になりました」
「それは……大変でしたね」
ダクトの小鼻が、ひくついている。
懸命に笑いをこらえているのがわかって、セスはお腹がよじれそうだ。
「いいんですよ、笑ってください。どうせ沐浴すればバレますしね」
やれやれという顔で、シェムウはまた頭に布を巻き始めた。
かなり手馴れている風である。
布を頭に巻き終えると、空いていたダクトの隣の席に座った。
「休暇中は……、あいつの家族を見舞ってきました」
シェムウが言った。
「あいつ……ですか?」
「王に不敬を働いた……あの男ですよ」
セスは、はっとした。
脳裏に、弯刀を握りしめていた鉱夫の姿がよみがえる。
だらりと城門からぶら下がったさらし首──。
背中がぞくりとした。
シェムウは、寂しそうに苦笑して言った。
「部下だったあいつとは、家族ぐるみの付き合いだったんです。私が事情を何も知らなかったせいで、とんでもない事になってしまった」
「あなたのせいではありませんよ」
「それは、そうかもしれませんが……」
がっくりと肩を落とす。
「仕事を紹介したのは私ですしね。『うまくいけば調査隊に入れる。特別報酬をもらえる』と喜んでいたんです。素直な男だったのに、どうして……」
うなだれたまま、首を振る。
やりきれない気持ちは、そう簡単に拭えるものではないのだろう。
「唯一のなぐさめは、遺族の暮らしぶりです」
言いながら、誰かが残していったままの食器を指ではじく。
「病弱だった母親は収容所に入りましたが、医者の治療を受けられるようになり、薬を飲んでかなり楽になったそうです。二人の子どもは家畜を管理する役所に配属されて官奴婢になり、待遇も悪くはありません」
「そうだったんですね」
「クフ王の恩赦だそうです」
眉を寄せて、シェムウが言った。
「てっきり家族も死刑になると思っていましたが、クフ王は実に寛大な方だ。あんな事件があった直後に、ワインを下賜してくださったことで──」
「調査隊の士気が崩れなかった」
シェムウが、うなずく。
「辛い事件でしたが、前進あるのみと気持ちを切り替えました。過去には戻れませんからね。王のために精一杯働くだけです」
ダクトがシェムウの肩をぽんと叩いた。
「その意気ですよ。前進あるのみだ」
「ただ、ちょっと気になることがありましてね。ダシュル分隊長に報告しようと思っているんです」
「気になること?」
「ええ。収容所であいつの母親から聞いたんですが──」
シェムウが短い首をすくめる。
「あいつ、脅されていたようなんですよ」
「脅されていた?」
「ええ。酒場で声をかけてきた男からです。シナイの訛りがあったとか」
「シナイ人が、なぜエジプトの鉱夫を脅すんです?」
「わかりません。ただ、シナイには鉱山があるでしょう?」
ダクトが身を乗り出した。
「買収?」
「あり得ない話ではないと思うんですよ」
そして、同時に二人はセスを見た。
きょとんと見返すセス。
「そろそろ……行きましょうか」
ダクトが立ち上がる。
「そうですね。行きましょうか」
シェムウも立ち上がった。
「セス」
ダクトが屈託ない笑顔を見せた。
「悪いが、食器を片付けておいてくれないか。先に寝てていい。ダシュル分隊長との打ち合わせが長引くかもしれないからな」
「セスくん、明日はうちの班だったね。よろしく頼むよ」
二人は足早に共同部屋を出て行く。
ぽつんと残されるセス。
(脅迫? 買収って……いったいどういう事?)
今夜の寝つきは悪くなりそうだ。




