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セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千
第8章 嵐の前の静けさ

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第46話 ルカの計画

「帰ったよ!」


 日干しレンガの戸口に駆け込むように入ると、椅子に座って書き物をしていたルカが顔を上げた。視線があった瞬間、セスの胸がひやりと沈む。


 ルカは、かなり痩せていた。顔色も悪い。

 頬も目も落ちくぼんでいて十歳とは思えないやつれようだ。


「お兄ちゃん……、おかえり!」


 セスの心中を知らないルカは、満面の笑みになる。


「父さんも帰ってきた! 姉さん! 姉さん!」


 奥の部屋にいるらしいムトを呼ぶ。

 気配がし、ムトが飛び出すように出てきた。

 今しがたまで横になっていたのだろう。

 髪と衣服に乱れがある。

 目の下の黒いくまが、憔悴《しょうすい》を物語っていた。


(昨夜も発作で眠れなかったんだ……)

 

 ダクトを見上げると、不安そうな視線が落ちてきた。


「それは? お土産?」


 ルカは父と兄が抱えている荷物に興味津々のようだ。


「今日は魚にしよう。父さんが腕をふるうぞ」


 食卓には、神官文字《ヒエラティック》が記されたオストラコン(陶器や石の破片)が、所狭しと並んでいる。ダクトが背中に抱えていた籠を端に置くと、ルカが身を乗り出すようにして中を覗きながら、


「四匹も入ってる!」


 と、嬉しそうに言った。

 ルカの指は、葦ペンを握りしめたままだ。


「ハピ祭りだから帰ってきたの?」


 やつれている割には、声に張りがある。

 ダクトは「そうだよ」とうなずき、ルカの頭を撫でた。


「しかも二日間の休暇だ」

「すごい!」


 ルカは、ゆっくりと椅子から下りた。

 足にあまり力が入らないようだ。


「気分はどうだ?」

「悪くないよ。昨夜は咳が出たけど、もう大丈夫」


 ムトが、ため息をついた。


「ラワシュ先生の薬が、最近あまり効かないみたいなの」


 その声がかすれている。


「大丈夫だよ、効いてるよ」

「勉強熱心なのはいいが、根を詰めては身体に触るぞ」

「わかってる。でも楽しいんだ」


 ルカの瞳は確かに輝いていた。


 ダクトとセスが兵舎に向かった日は、ひどい落ち込みようで見送りにも出てこなかった。今日のルカは別人のように快活だ。


(クヌムと話をしたことで、気持ちの整理がついたのかもしれない)


 セスは思った。

 

『文字を学べばいいと勧めておいた』

 そうクヌムは言っていた。

 ルカにとっては何よりの励ましになったはずだ。


「お兄ちゃんのそれも、お土産?」


 ルカがセスの懐を指差す。


「もちろん!」


 セスは抱えていた包みを食卓に置いた。

 ムトも興味ありげに近づいてくる。


「開けてごらん」


 ルカに促すと、嬉しそうに細い腕を伸ばした。

 割れないように麻布にくるまれた重みのある中身は──


「カルトゥーシュのお手本?!」


 ルカの小さな目が輝く。


「歴代の王名が全部書いてある! ナルメル王……アハ王……デン王……アネジイブ王……セメルケト王……ペルイブセン王……カセケムイ王……ジェセル王……セケムケト王……フニ王」


 セスは目を丸くした。

 四つも年下のルカが、歴代王のカルトゥーシュをすらすら読み上げている。


「それから、これはクフ王のお父さんのスネフェル王!」


 ルカは両手を叩いた。


「すごいよ! 神殿に行かなくても、これで家でも勉強できる」


 セスも嬉しくなった。

 喜んでくれるとは思ったが、まさかここまでとは。

 心なしか、ルカの顔に血色が戻ったようだ。


「ムトにも土産があるぞ」


 ダクトが腰帯に下げた小袋から耳飾りを取り出した。

 守護や幸福を呼ぶ色として人気の高いターコイズの耳飾りだ。


「素敵だわ。父さん、ありがとう」


 恥ずかしそうに耳飾りをふっくらとした耳たぶに当てるムト。

 自分の姉ながら、とてもきれいだとセスは思う。


 セスが調査隊に入る前、ダクトが久しぶりに帰宅して四人で囲んだ食卓で、ルカが「姉さんに幸せになってもらいたい」と言っていたのを思い出した。


(ルカの言うとおりだ。姉さんは苦労してきた。幸せにならないと)


 ふと、思い出した。

 

「あ、そうだった」


 兵舎からずっと抱えてきた布袋から、セスは木製パレットを取り出した。クヌムから『ちゃんと弟に渡せよ』と言われて預かっていた木製パレットだ。


「神殿に忘れたんだろ? クヌムが──」


 言い終わる前に、ルカが思いがけない素早さでセスの手から木製パレットを奪い、さっと身体の影に隠した。

 ちらりと横目でムトの様子を盗み見ている。


 セスもつられてふり返った。


 ターコイズの耳飾りをつけたムトは、籠の中の魚をつつきながら、ダクトと笑顔で話をしている。


「どうしたんだよ」

「わざと神殿に置いてきたんだよ」

「……わざと?」

「うん」


 ルカは、ちらりとムトを見た。

 声を潜めて言う。


「明日、姉さんにオシリス神殿まで取りに行ってと頼んであるんだ。お兄ちゃんが持ってくるなんて……」

「クヌムが作業場に来て、お前に渡せと──」


「セス!」


 ムトがセスを呼んだ。二人の弟は、はっとしてふり返る。


「魚を焼くから準備してくれる? お昼に食べましょう。夜はみんなでハピ祭りの屋台で食べようって、父さんが」


 ルカが心配そうに眉をひそめる。


「でも、僕は遠くまで歩けないかも……」

「そのために父さんがいるだろう。肩車でも何でもしてやるぞ」

「僕だって、おんぶくらいできるぞ」


 ルカの顔に花が咲く。

 ダクトとムトが魚の下処理をしに出て行くと、ルカがセスに耳打ちした。


「木製パレットのことは黙ってて。姉さんには明日、オシリス神殿に行ってもらわないといけないから」

「神殿で何があるんだ?」


 セスが訊くと、ルカはくすっと笑った。


「幸せになるための第一歩だよ」


 十歳のルカはまだまだ子どもだ。

 妙なことを言う。

 仕方ない。つきあってやるか。



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