第46話 ルカの計画
「帰ったよ!」
日干しレンガの戸口に駆け込むように入ると、椅子に座って書き物をしていたルカが顔を上げた。視線があった瞬間、セスの胸がひやりと沈む。
ルカは、かなり痩せていた。顔色も悪い。
頬も目も落ちくぼんでいて十歳とは思えないやつれようだ。
「お兄ちゃん……、おかえり!」
セスの心中を知らないルカは、満面の笑みになる。
「父さんも帰ってきた! 姉さん! 姉さん!」
奥の部屋にいるらしいムトを呼ぶ。
気配がし、ムトが飛び出すように出てきた。
今しがたまで横になっていたのだろう。
髪と衣服に乱れがある。
目の下の黒いくまが、憔悴を物語っていた。
(昨夜も発作で眠れなかったんだ……)
ダクトを見上げると、不安そうな視線が落ちてきた。
「それは? お土産?」
ルカは父と兄が抱えている荷物に興味津々のようだ。
「今日は魚にしよう。父さんが腕をふるうぞ」
食卓には、神官文字が記されたオストラコン(陶器や石の破片)が、所狭しと並んでいる。ダクトが背中に抱えていた籠を端に置くと、ルカが身を乗り出すようにして中を覗きながら、
「四匹も入ってる!」
と、嬉しそうに言った。
ルカの指は、葦ペンを握りしめたままだ。
「ハピ祭りだから帰ってきたの?」
やつれている割には、声に張りがある。
ダクトは「そうだよ」とうなずき、ルカの頭を撫でた。
「しかも二日間の休暇だ」
「すごい!」
ルカは、ゆっくりと椅子から下りた。
足にあまり力が入らないようだ。
「気分はどうだ?」
「悪くないよ。昨夜は咳が出たけど、もう大丈夫」
ムトが、ため息をついた。
「ラワシュ先生の薬が、最近あまり効かないみたいなの」
その声がかすれている。
「大丈夫だよ、効いてるよ」
「勉強熱心なのはいいが、根を詰めては身体に触るぞ」
「わかってる。でも楽しいんだ」
ルカの瞳は確かに輝いていた。
ダクトとセスが兵舎に向かった日は、ひどい落ち込みようで見送りにも出てこなかった。今日のルカは別人のように快活だ。
(クヌムと話をしたことで、気持ちの整理がついたのかもしれない)
セスは思った。
『文字を学べばいいと勧めておいた』
そうクヌムは言っていた。
ルカにとっては何よりの励ましになったはずだ。
「お兄ちゃんのそれも、お土産?」
ルカがセスの懐を指差す。
「もちろん!」
セスは抱えていた包みを食卓に置いた。
ムトも興味ありげに近づいてくる。
「開けてごらん」
ルカに促すと、嬉しそうに細い腕を伸ばした。
割れないように麻布にくるまれた重みのある中身は──
「カルトゥーシュのお手本?!」
ルカの小さな目が輝く。
「歴代の王名が全部書いてある! ナルメル王……アハ王……デン王……アネジイブ王……セメルケト王……ペルイブセン王……カセケムイ王……ジェセル王……セケムケト王……フニ王」
セスは目を丸くした。
四つも年下のルカが、歴代王のカルトゥーシュをすらすら読み上げている。
「それから、これはクフ王のお父さんのスネフェル王!」
ルカは両手を叩いた。
「すごいよ! 神殿に行かなくても、これで家でも勉強できる」
セスも嬉しくなった。
喜んでくれるとは思ったが、まさかここまでとは。
心なしか、ルカの顔に血色が戻ったようだ。
「ムトにも土産があるぞ」
ダクトが腰帯に下げた小袋から耳飾りを取り出した。
守護や幸福を呼ぶ色として人気の高いターコイズの耳飾りだ。
「素敵だわ。父さん、ありがとう」
恥ずかしそうに耳飾りをふっくらとした耳たぶに当てるムト。
自分の姉ながら、とてもきれいだとセスは思う。
セスが調査隊に入る前、ダクトが久しぶりに帰宅して四人で囲んだ食卓で、ルカが「姉さんに幸せになってもらいたい」と言っていたのを思い出した。
(ルカの言うとおりだ。姉さんは苦労してきた。幸せにならないと)
ふと、思い出した。
「あ、そうだった」
兵舎からずっと抱えてきた布袋から、セスは木製パレットを取り出した。クヌムから『ちゃんと弟に渡せよ』と言われて預かっていた木製パレットだ。
「神殿に忘れたんだろ? クヌムが──」
言い終わる前に、ルカが思いがけない素早さでセスの手から木製パレットを奪い、さっと身体の影に隠した。
ちらりと横目でムトの様子を盗み見ている。
セスもつられてふり返った。
ターコイズの耳飾りをつけたムトは、籠の中の魚をつつきながら、ダクトと笑顔で話をしている。
「どうしたんだよ」
「わざと神殿に置いてきたんだよ」
「……わざと?」
「うん」
ルカは、ちらりとムトを見た。
声を潜めて言う。
「明日、姉さんにオシリス神殿まで取りに行ってと頼んであるんだ。お兄ちゃんが持ってくるなんて……」
「クヌムが作業場に来て、お前に渡せと──」
「セス!」
ムトがセスを呼んだ。二人の弟は、はっとしてふり返る。
「魚を焼くから準備してくれる? お昼に食べましょう。夜はみんなでハピ祭りの屋台で食べようって、父さんが」
ルカが心配そうに眉をひそめる。
「でも、僕は遠くまで歩けないかも……」
「そのために父さんがいるだろう。肩車でも何でもしてやるぞ」
「僕だって、おんぶくらいできるぞ」
ルカの顔に花が咲く。
ダクトとムトが魚の下処理をしに出て行くと、ルカがセスに耳打ちした。
「木製パレットのことは黙ってて。姉さんには明日、オシリス神殿に行ってもらわないといけないから」
「神殿で何があるんだ?」
セスが訊くと、ルカはくすっと笑った。
「幸せになるための第一歩だよ」
十歳のルカはまだまだ子どもだ。
妙なことを言う。
仕方ない。つきあってやるか。




