第4話 地下にあるもの
首を失った獅子像が、沈みゆく太陽に赤く染まっていた。
日が落ちれば、気温は急に下がる。
砂漠から吹く風に、セスは肩をすくめた。
天幕を見やる。
父ダクトは、兵士長と書記官に呼ばれたまま出てこない。
灰色の布の奥は、誰もいないかのように静まり返っていた。
どれほど待てばいいのだろう──。
武装した兵士たちが、セスの前を通り過ぎていく。
石工たちの姿は、もうほとんど見当たらなかった。
父は罰を受けるのだろうか。
あのアブリという監督官は、罪人のように引っ立てられていった。
獅子像ホル・エム・アケトの首を落としたのだ。
重い処罰が待っているに違いない。
背後で、ピシッと音がした。
ぎょっとしてふり返る。
気温が下がれば、砂漠の岩は鳴く。
わかってはいても、あの事故の後だ。
首を失った巨像が呻いたように思えて、セスは身震いした。
布がすれ合う音がし、ふり向いた。
天幕からダクトが出てくるところだった。
「セス」
笑顔で、近づいてくる。
「待たせたな。帰ろう」
駆け寄るセスの肩を、ダクトの大きな手のひらがぽんと叩く。
聞きたいことは、山ほどある。
でも、今は何よりここを離れたかった。
長身の背中を追って歩く。
隼神の壁には、いつもより兵士の姿が多かった。
刺すような視線を感じつつ、緊張しながら門をくぐる。
ピラミッドタウンに入ると、心底ほっとした。
さっきまでの静けさが、まるで噓のようだ。
夕暮れの大通りは、人の波であふれていた。
壺を抱えた少年が、ビールはいかがと声を張り上げている。
日干しレンガの台に、女たちが焼き立てのパンを並べている。
豆の煮込みの匂いが、大鍋から立ちのぼる。
干し魚をぶら下げた老人が手を振り、客を呼び留めている。
セスは、急に空腹を覚えた。
ムトが持たせてくれた包みは、救助の騒ぎの中で開く暇もなかった。
「セス! おじちゃん!」
聞き覚えのある少年の声が、大通りに響く。
ふり返ると、幼なじみのパネプが小さな屋台の前で手を振っていた。
片方の手には、大きな魚がぶら下がっている。
パネプの家は農家だ。
今はナイル川の増水期で畑が水没しているため、一家総出で魚を獲り、種まきができる季節までそうして生計を立てている。
パネプの母親が気づき、手招きした。
「寄っていかないかい? ビールをおまけするよ」
セスが、訴えるような目で父を見上げる。
ダクトは笑い、セスの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「寄り道していくか」
パネプが満面の笑みで駆け寄ってくる。
気の置けない幼なじみとの会話に、事故の不吉さが薄らいだような気がした。
パネプの母親は、脂ののった魚に惜しみなくニンニクを効かせたグリル料理を振る舞ってくれた。そのうえ山盛りのパンと一緒に「屋台を建ててくれたお礼だよ」と、ダクトにはビールを、セスにはミルクをご馳走してくれた。
腹が満たされた二人は、パネプたちに別れを告げた。
まだ賑やかな大通りを離れ、家路をたどる。
「あのホル・エム・アケトだが、解体が決まった」
並んで歩きながら、ダクトがさらりと言った。
「父さんが担当することになった。明日から、お前も手伝ってくれ」
仕事を任されたということは──
「父さんへの罰はなかったんだよね?」
ダクトが頷く。
胸のつかえがとれて、セスはほっと息を吐いた。
「あの穴の話は、誰にもするなよ」
ホル・エム・アケトの足元に空いた大きな陥没のことだと、すぐにわかった。
「うん」
「姉さんにもだ」
「……わかった」
もちろん、誰にも話すつもりはなかった。
不吉というだけの事故ではない。
あの陥没には得体の知れない事情があると、セスは感じていた。
事故の直後、現場にいた石工たちはひとところに集められた。
大刀をちらつかせて現れた男は「今日の一件は他言無用」と言い放ち、書記官に住所と氏名を伝えるよう命じた。
『反すれば、即死罪とする』
腹に響いた彼の低音は、今もセスの耳に染みついている。
凡人らしからぬあの威圧感──。
「彼は、メドジャイ部隊の分隊長だ」
セスの心を見透かしたかのように、ダクトが言った。
メドジャイ部隊──治安と機密を司る王国最強の警備隊だ。
セスは周囲を見回した。
兵士たちの姿は見当たらない。
「……穴の下には何があるの?」
ダクトは答えない。
見上げたままのセスに向かって、ただ小さく首を横に振った。
その仕草の意味は『聞いてはならない』なのか『わからない』なのか。
ただ、ひとつ言えること──。
地下にあるものは『治安と機密』に関わるものなのだ。




