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セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千
第7章 事のなりゆき

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第38話 二年前の事実

 王の視察と聞き、あからさまにたじろぐ顔という顔。

 ダシュル分隊長は苦笑した。


「おいおい、王は視察にお見えになるだけだ。きみ達は演説するわけでも技のお披露目をするわけでもない。現場と作業状況を見ていただくだけだから、いつものように振る舞えばいい」


 そんなわけにはいかないよと言いたげな表情が、あちこちで揺れる。

 現人神クフ王だ。

 お姿を拝むどころか、声すら聞いたことがない。

 共同部屋がざわついた。


「あの……」


 手を挙げたのは、白いチュニック姿の歴史家だった。

 いつもの物静かな雰囲気はどこへやら、動揺が眉間のしわに現れている。


「さきほど『二年前、第一の塔に密道が……』と言われましたが──」


 訊ねてよいことなのか迷いのある顔で、


「事の次第を教えていただいても?」


 言葉尻が小声になりながらも、そう言った。

 ぴりついていた調査隊の男たちが、途端に反応する。


「確かに、それが気になっていた!」

「ぜひとも教えてください」

「二年前に何があったんです?」


 過去に三大メルの化粧石をねらう輩が横行していた事件を知らない神官補佐は、説明を無下に断った測量士を恨めしそうに睨みつつ、


「教えてください。前回の打ち合わせを欠席したのは、司祭から仕事を頼まれたせいなんです。致し方なくだったんですよ」


 と訴える。

 打ち合わせで、これほど声が飛び交うのは珍しい。

 彼らの胸にくすぶっていた疑問や、与えられた任務の裏側にある事の成り行きへの好奇心が、歴史家の思い切った発言で一気に弾けたらしい。


 わかったわかったと言うように、ダシュル分隊長が片手を上げた。

 我に返り、度が過ぎたかと一斉に口をつぐむ男たち。

 だが、ダシュル分隊長の表情には笑みがあった。

 

「保安に関わる話はできないが、事の次第を知ることで、任務への理解も深まるだろう。では、二年前からの経緯をかいつまんで話そうか」


 セスは腰を下ろした丸椅子を、こっそり前方へと動かした。

 一言一句、聞き逃してなるものか──。


「二年前の春、巡回中の兵士から一報が入った。三大メルの化粧石がはぎ取られているという内容だった。捜査の結果、界隈を荒らしていた盗賊一味の仕業だった」


 状況を知った神官補佐は、すっかり青ざめている。

 神の遺構と伝えられている三大メルの化粧石を剥がすとは、生皮を剥がされても文句が言えないほどのおぞましい暴虐行為にほかならない。


「すぐさま宮廷と軍が動いた。そして、ホル・エム・アケトと三大メルを守るためには兵士を巡回させるだけでなく、第一の塔のふもとに兵舎を増設し、メドジャイ部隊の分隊が常駐するべきだという結論に至った」


 天文学者の二人は、目を見開いている。

 はじめて耳にする内容ばかりだ。

 布を巻いた頭を、当惑した表情でぽりぽりと搔いている。


「はぎ取られた化粧石の下には、驚くことに密道を掘った形跡があった。そこで、遺跡調査官であるダクト石工監督官とシェムウ鉱脈監督官の二人に同行してもらい、内部を捜査したところ赤色花崗岩を発見したのだ」


「え?!」


 すっとんきょうな声が上がった。

 鉱夫の一人だ。


「赤色花崗岩のことを、シェムウ親方は知ってたんですか?」


 シェムウはとぼけた顔で、天井を見上げている。


「さっき一緒に驚いてたから、てっきり知らないもんだと……」

「すまんな」

 

 肩をすくめるシェムウ鉱脈監督官。


「機密事項だったもんで、みんなに合わせて驚いてみた」


 したり顔だ。


「それで、どうなったんです?」


 せっかちな性格の冶金師《やきんし》は、話の続きが待ちきれないようだ。催促するように両手をくるくる糸巻きのように回しながら言った。


 ダシュル分隊長が続ける。


「赤色花崗岩を発見した後、ただちに王に報告した。……といっても、私はただの分隊長だ。報告したのは部隊副長官だが。王は盗賊の入り口を封鎖するのではなく、保存のうえ監視せよとお命じになった」


「その理由とは?」


 天文学者が訊く。


「それは知らん。王に理由を問う者など、この世に誰もおるまい」


 ダシュル分隊長の答えに「確かにそうだ」と天文学者はうなずく。


「ダクト石工監督官が盗賊の入り口を封鎖し、我らメドジャイ部隊が三大メルの監視を続けて二年がたった。そして、あの崩落事故が起きたのだ」


 ホル・エム・アケト──北の獅子像の首が落ちた日。

 ギザ台地を揺らした衝撃を、セスはまだはっきりと思い出せる。


「崩落事故が起きる直前、兵士の中で『第一の塔は呼(・)吸(・)し(・)て(・)い(・)る(・)』と噂する者たちがいた」


 呼(・)吸(・)し(・)て(・)い(・)る(・)第一の塔──。

 セスの背中がひんやりと寒くなる。


「あの崩落で、ホル・エム・アケトの真下に地下空間があることがわかった。兵士たちが『第一の塔は呼吸している』と噂したのは、おそらく地盤や土台のすき間から吹き出していた風のせいだろう。だが、怪奇現象だと怖れる声も少なくない。そこで王はこの異変を調査すべく、調査隊を結成するよう命じられた」


 ここで、ダシュル分隊長はひと息ついた。鷹のような鋭い視線で、作業台から身を乗り出さんばかりの調査隊の面々を一目する。


「王は、地下空間を王墓の複合施設として造り替えるおつもりのようだ」


 セスの頭に痺れが走った。

 大人たちの口から、感嘆とも驚愕とも困惑ともとれる吐息が漏れた。


 三大メルのひとつ、しかも最も巨大な第一の塔を王墓に改築するだけではなく、王はホル・エム・アケトの下にある地下空間を、複合施設にせよと?


 盗掘者の目くらましとなる竪坑。

 豪華に装飾された石柱の間。

 壁画で飾った副室や副葬品を収める付属室──。


 そうなれば三大メルは、もはや神の遺構ではなくなるだろう。


 上下エジプトを統一したのは、伝説の王メネスだ。

 歴史家によれば、その偉業から四百二十年が経過しているとされている。


 子孫である歴代の王たちは、王の権威を保とうとあらゆる手段を講じてきた。聖なる神の遺跡三大メルを模倣し、同じ形状の(もしくはできるだけ近い形状の)王墓を建設しようとしたのも、その野望の一端である。


 ジェセル王とセケムケト王は、階段状のピラミッドを。

 フニ王、そしてクフ王の父であるスネフェル王は、真正ピラミッドを。


 三大メルを模倣はしても、これまで誰一人として手を付けず、その神性さを崇めるだけに留めてきたのだ。──畏れを知らぬクフ王が現れるまでは。


 そのクフ王が、明日視察に訪れるという。

 いつものように振る舞うなど、できるわけがない。

 ダシュル分隊長を除く誰もが、不安げに視線を泳がせていた。


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