第37話 ご報告まで
兵舎の中庭には、井戸がある。
肌にまとわりつく汗と埃を冷たい水で洗い流せば、一日の疲れもとれる。
夕食は、野鳥のシチューと大麦パンだった。
乾いた喉に酸味のきいたビールがうまい。
すっかり空が暮れた頃、調査隊の面々は共同部屋に集まった。
打ち合わせが始まるのだ。
セスは、部屋の端に置かれた丸椅子に腰を下ろした。
いくら調査隊に入ったとはいえ、もとの身分は「見習い」だ。
大人社会でうまく立ち回るには、あれこれコツが必要なのである。
作業台のまわりに座しているのは、第一班と第二班あわせて総勢三十名のはずだが、今日は新しい顔ぶれがあった。二人の神官補佐もいる。
きりりとした表情の神官補佐は、染みひとつない白い麻布を腰に巻き、薄手の肩掛けをまとっていた。装飾品は簡素な首飾りだけだ。
彼らがセスの前を通った後には、香油の匂いが漂った。
神官補佐の任務は、宗教的儀礼の監督や遺跡の聖性を保持するための活動である。遺物から古代の宗教観を読み解くのも大切な任務だ。
二名増えただけなのに、広い共同部屋がかなり手狭に感じられる。
誰もが無事に仕事を終え、興奮して見えるせいか。
「お疲れだった。事故がなくて何よりだ」
ダシュル分隊長が、浅黒い顔をほころばせた。
「では、進捗状況についてまとめてもらおうか」
小柄なおじさん──もとい、第一班を率いるシェムウが立ち上がった。
「では、私から第一班の報告を」
疲れを感じさせない溌剌とした表情だ。
「今日は横穴の拡張工事を行い、王肘尺で十(5m)ほど工事を終えました。昨日のような風の吹き出し現象もなく、順調に作業は進んでいます。明日は、測量士の皆さんに横穴に入ってもらい、突き当たりまでの正確な長さを把握する予定です」
ダシュル分隊長が、満足そうにうなずいた。
「では、第二班の報告を頼む」
立ち上がったダクトは、シェムウとは相反して神妙な面持ちだった。
作業机の向かいに座している顔を見回しながら、
「まずは、第一班の皆さんに説明しておきたいことが」
と、切り出した。
ダシュル分隊長が、その言葉にうなずく。
盗賊の侵入口のことだとセスは気づいた。
密道の存在を知っているのは、今日現場にいた第二班だけだ。
「すでにご承知のとおり、過去に三大メルの化粧石をねらう輩が横行し、メドジャイ部隊によって一掃されています」
ほとんど全員の頭がうなずく中、神官補佐の二人がきょとんとしている。
無理もない。
セスが兵舎に来た初日に、ダシュル分隊長が調査隊の面々に向かって話してくれた事件だが、その日、神官補佐や書記官は来ていなかった。
状況がわからない神官補佐は、互いに顔を見合わせる。
「どういうことです?」
隣に座っている測量士に小声で話しかけたものの、
「あとで説明しますから、静かに」
「そうですよ、打ち合わせを欠席したあなたが悪い」
つれなく断られていた。
隣の鉱夫たちも、質問は後にしてくれと相づちを打つ。
仕方なく、神官補佐はダクトに視線を戻した。
「実は二年前、盗賊たちは第一の塔に密道を掘っていました」
その言葉に、一瞬にして共同部屋の空気が固まった。
「な、なんだって?」
「密道?!」
「第一の塔に?」
「化粧石を剥がしただけじゃなかったのか?!」
ダクトは続ける。
「今日は、その密道の内部を改めて調査しました。王肘尺二十(10m)ほどの地点に、巨大な赤色花崗岩があり、どうやらそこで盗賊たちは盗掘を断念したようです」
「まさか……」
「赤色花崗岩が……?」
「あの、その大きさとは?」
誰かの問いに、ダクトが両腕を広げてみせた。
「ざっと見て、この幅です」
背中に冷水をかけられたかのように、数人がのけぞった。
信じられないというように首を振る。
「それほどの巨石が?」
「いったい、どうやって運んだんだ?」
「埋め込まれているということか?」
「何かを封印してあるのでは?」
「つまり、第一の塔は……」
こほん、と咳払いが聞こえた。
「神殿である可能性が高いということです」
声の主は、神官補佐の一人だった。
無表情のまま、祝詞を唱えるような口調で続ける。
「赤色花崗岩には、聖域と汚穢を隔てる力がありますからな」
花崗岩の結晶には、大地の記憶がしみ込んでいると古来から言われている。とりわけ赤色花崗岩は、その美しさも人の心を惹きつける希少な岩石だ。血赤色の石肌には生命の神秘さえ感じる。
赤色花崗岩が神殿や王の棺にのみ使われている理由は、熱やひび割れに強い耐久性がねらいだけではなく、穢れをはねのける力があると信じられているためだ。
「だが……三大メルは神殿に見えない」
冶金師の一人が、ぼそりと言った。
「碑文もなければ彫刻もない。入り口すらないのが三大メルだ」
「確かに」
「神殿なら、祀っている神の名前くらい刻んであるだろう」
「そうだよな」
同調の声が続く。
「いや」
神官補佐は無表情のまま譲らない。
「かなり高い確率で、内部には聖なる空間があるはずだ」
天文学者は宙に視線を泳がせ、鼻を掻いている。
神殿とは思えない点には賛成ながら、いけ好かない冶金師の意見には同調したくないらしい。
「空洞はある」
ダクトの声に、さらに緊張が走った。
「調べたんですか?」
天文学者が目を輝かせた。
ダクトはうなずく。
「赤色花崗岩を特殊な工具で叩いたところ、空洞音の反響があった。そこで、明日は──」
そこで、ダクトは口ごもった。
高窓の外から、野犬の吠え声が遠くに聞こえる。
「赤色花崗岩を迂回する横穴を掘るか、岩そのものを削ってしまうか、さらなる検証により方針を決める予定でいます」
ダクトの声に、セスはためらいを感じた。
どうあろうと、やはり父は遺跡に手をかけたくないのだ。
『どれも素晴らしい建築物だが、三大メルは別格だ』
『一度砕いた石は戻らない。だからこそ慎重に扱う必要がある』
今でもきっと、そう思っているはず。
遺跡が好きで遺跡調査官を志しても、任務となれば石斧を振り下ろさねばならない。神かもしれないし、人かもしれない創造者の「思い」が宿る石造物を、後世の人間の単なる好奇心で破壊してしまう行為は、果たして許されるものなのだろうか──。
腰を下ろしたダクトの横顔を、セスは不安な思いで見つめた。
「それでは、私から重要な報告をする」
ダシュル分隊長が、おもむろに立ち上がった。
物々しい空気まで一気に立ち上る。
重要な報告とは?
誰かが失態を犯したのだろうか。
「書記官から連絡があった。明日、クフ王が視察にお見えになる」
ぎょっとしてダシュル分隊長を見たのは、セスだけではない。
あっけらかんと報告するダシュル分隊長は、まるで明日の天気を発表するかのように清々しい顔をしていた。




