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セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千
第6章 推測と推察

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第37話 ご報告まで

 兵舎の中庭には、井戸がある。

 肌にまとわりつく汗と埃を冷たい水で洗い流せば、一日の疲れもとれる。

 夕食は、野鳥のシチューと大麦パンだった。

 乾いた喉に酸味のきいたビールがうまい。


 すっかり空が暮れた頃、調査隊の面々は共同部屋に集まった。

 打ち合わせが始まるのだ。


 セスは、部屋の端に置かれた丸椅子に腰を下ろした。

 いくら調査隊に入ったとはいえ、もとの身分は「見習い」だ。

 大人社会でうまく立ち回るには、あれこれコツが必要なのである。


 作業台のまわりに座しているのは、第一班と第二班あわせて総勢三十名のはずだが、今日は新しい顔ぶれがあった。二人の神官補佐もいる。


 きりりとした表情の神官補佐は、染みひとつない白い麻布を腰に巻き、薄手の肩掛けをまとっていた。装飾品は簡素な首飾りだけだ。

 彼らがセスの前を通った後には、香油の匂いが漂った。


 神官補佐の任務は、宗教的儀礼の監督や遺跡の聖性を保持するための活動である。遺物から古代の宗教観を読み解くのも大切な任務だ。


 二名増えただけなのに、広い共同部屋がかなり手狭に感じられる。

 誰もが無事に仕事を終え、興奮して見えるせいか。


「お疲れだった。事故がなくて何よりだ」


 ダシュル分隊長が、浅黒い顔をほころばせた。


「では、進捗状況についてまとめてもらおうか」


 小柄なおじさん──もとい、第一班を率いるシェムウが立ち上がった。


「では、私から第一班の報告を」


 疲れを感じさせない溌剌《はつらつ》とした表情だ。


「今日は横穴の拡張工事を行い、王肘尺《ロイヤルキュビット》で十(5m)ほど工事を終えました。昨日のような風の吹き出し現象もなく、順調に作業は進んでいます。明日は、測量士の皆さんに横穴に入ってもらい、突き当たりまでの正確な長さを把握する予定です」


 ダシュル分隊長が、満足そうにうなずいた。


「では、第二班の報告を頼む」


 立ち上がったダクトは、シェムウとは相反して神妙な面持ちだった。

 作業机の向かいに座している顔を見回しながら、


「まずは、第一班の皆さんに説明しておきたいことが」


 と、切り出した。

 ダシュル分隊長が、その言葉にうなずく。

 盗賊の侵入口のことだとセスは気づいた。

 密道の存在を知っているのは、今日現場にいた第二班だけだ。


「すでにご承知のとおり、過去に三大メルの化粧石をねらう輩が横行し、メドジャイ部隊によって一掃されています」


 ほとんど全員の頭がうなずく中、神官補佐の二人がきょとんとしている。

 無理もない。

 セスが兵舎に来た初日に、ダシュル分隊長が調査隊の面々に向かって話してくれた事件だが、その日、神官補佐や書記官は来ていなかった。


 状況がわからない神官補佐は、互いに顔を見合わせる。


「どういうことです?」


 隣に座っている測量士に小声で話しかけたものの、


「あとで説明しますから、静かに」

「そうですよ、打ち合わせを欠席したあなたが悪い」


 つれなく断られていた。

 隣の鉱夫たちも、質問は後にしてくれと相づちを打つ。

 仕方なく、神官補佐はダクトに視線を戻した。


「実は二年前、盗賊たちは第一の塔に密道を掘っていました」


 その言葉に、一瞬にして共同部屋の空気が固まった。


「な、なんだって?」

「密道?!」

「第一の塔に?」

「化粧石を剥がしただけじゃなかったのか?!」


 ダクトは続ける。


「今日は、その密道の内部を改めて調査しました。王肘尺《ロイヤルキュビット》二十(10m)ほどの地点に、巨大な赤色花崗岩があり、どうやらそこで盗賊たちは盗掘を断念したようです」


「まさか……」

「赤色花崗岩が……?」

「あの、その大きさとは?」


 誰かの問いに、ダクトが両腕を広げてみせた。


「ざっと見て、この幅です」


 背中に冷水をかけられたかのように、数人がのけぞった。

 信じられないというように首を振る。


「それほどの巨石が?」

「いったい、どうやって運んだんだ?」

「埋め込まれているということか?」

「何かを封印してあるのでは?」

「つまり、第一の塔は……」


 こほん、と咳払いが聞こえた。


「神殿である可能性が高いということです」


 声の主は、神官補佐の一人だった。

 無表情のまま、祝詞を唱えるような口調で続ける。


「赤色花崗岩には、聖域と汚穢《おわい》を隔てる力がありますからな」

 

 花崗岩の結晶には、大地の記憶がしみ込んでいると古来から言われている。とりわけ赤色花崗岩は、その美しさも人の心を惹きつける希少な岩石だ。血赤色の石肌には生命の神秘さえ感じる。


 赤色花崗岩が神殿や王の棺にのみ使われている理由は、熱やひび割れに強い耐久性がねらいだけではなく、穢れをはねのける力があると信じられているためだ。


「だが……三大メルは神殿に見えない」


 冶金師《やきんし》の一人が、ぼそりと言った。


「碑文もなければ彫刻もない。入り口すらないのが三大メルだ」

「確かに」

「神殿なら、祀っている神の名前くらい刻んであるだろう」

「そうだよな」


 同調の声が続く。


「いや」


 神官補佐は無表情のまま譲らない。


「かなり高い確率で、内部には聖なる空間があるはずだ」


 天文学者は宙に視線を泳がせ、鼻を掻いている。

 神殿とは思えない点には賛成ながら、いけ好かない冶金師《やきんし》の意見には同調したくないらしい。


「空洞はある」


 ダクトの声に、さらに緊張が走った。


「調べたんですか?」


 天文学者が目を輝かせた。

 ダクトはうなずく。


「赤色花崗岩を特殊な工具で叩いたところ、空洞音の反響があった。そこで、明日は──」


 そこで、ダクトは口ごもった。

 高窓の外から、野犬の吠え声が遠くに聞こえる。


「赤色花崗岩を迂回する横穴を掘るか、岩そのものを削ってしまうか、さらなる検証により方針を決める予定でいます」


 ダクトの声に、セスはためらいを感じた。

 どうあろうと、やはり父は遺跡に手をかけたくないのだ。


『どれも素晴らしい建築物だが、三大メルは別格だ』

『一度砕いた石は戻らない。だからこそ慎重に扱う必要がある』


 今でもきっと、そう思っているはず。

 遺跡が好きで遺跡調査官を志しても、任務となれば石斧を振り下ろさねばならない。神かもしれないし、人かもしれない創造者の「思い」が宿る石造物を、後世の人間の単なる好奇心で破壊してしまう行為は、果たして許されるものなのだろうか──。


 腰を下ろしたダクトの横顔を、セスは不安な思いで見つめた。

 

「それでは、私から重要な報告をする」


 ダシュル分隊長が、おもむろに立ち上がった。

 物々しい空気まで一気に立ち上る。

 重(・)要(・)な(・)報(・)告(・)とは?

 誰かが失態を犯したのだろうか。


「書記官から連絡があった。明日、クフ王が視察にお見えになる」


 ぎょっとしてダシュル分隊長を見たのは、セスだけではない。

 あっけらかんと報告するダシュル分隊長は、まるで明日の天気を発表するかのように清々しい顔をしていた。


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