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セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千
第6章 推測と推察

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第35話 呪いなんてあるもんか

 あの楽師だ。

 数歩先の石柱に、もたれるようにして立っている。


 改めて見る彼は、かなり華奢《きゃしゃ》な体型だった。

 薄い肩の線から流れるように伸びた腕を胸の前で組み、長い脚の片方を石柱の土台に引っかけている。背中から、弦楽器《リュート》が顔を出していた。どこに行くにも肌身離さず持ち歩いているらしい。


 セスがしかめ面をしていると、彼はうっすらと笑った。

 そして、まるで舞うように軽やかに歩いてきた。

 もとから第一印象の悪い相手だ。

 セスは身構えた。


(絶対に怪しい)

 

 神に仕える身を装った他国の密偵かもしれない。

 ホル・エム・アケトで会った時もそうだが、音もなく現れる。

 さっきまで、まるで気配を感じなかった。


 第一の塔の参道を歩く者は、ほとんどいない。

 トト神殿やオシリス神殿のように、庶民が祈願に訪れることのない場所だからだ。セスの前後を歩いていたのは、巡回に出かける兵士くらいのものである。


 若者は、素焼きの壺をぶら下げていた。

 中身は何だろう。毒かもしれない。

 

「そんなに警戒するな」


 若者が言った。


「一介の楽師だ。よからぬ者ではない」

「名前を名乗らない人間なんて、信用できるもんか」


 セスが叩きつけるように言うと、


「クヌムだ」


 若者は、あっさりと答えた。


「クヌム?」

「ああ」


 セスは思わず、くすっと笑った。


「なんだ? おかしいか」

「クヌム神が由来?」


 クヌム神は、羊の頭に人間の身体をもった男神だ。

 水平に伸びた角をもち、粘土をこねて人間を作り上げたとされる創造の神である。ナイル川と水源を管理する偉大な神でもあるが──


「怒れば、洪水で僕たちを呑み込んでしまう神様だ」

「そのとおり。用心しろ」


 若者の口調に、怒りはない。

 どこか楽しんでいるように聞こえる。

 本名かどうかはともかく、彼は名乗った。

 メドジャイ部隊のダシュル分隊長にも、彼は顔を見せている。

 暗躍するような悪者ではないのだろう……きっと。

 

「調査隊に入ったのか」


 三白眼の瞳が、セスの引く運搬用のソリをちらりと見た。


「希望が叶って、なによりだ」


 セスは、ふんと鼻を鳴らした。


「『父が偉大だからといって、息子もそうとは限らない』けどね」


 作業場で彼が放った言葉を、そのまま投げ返す。

 覚えていたのかどうか、若者──クヌムはわずかに笑った。

 白い八重歯がちらりと見えた。


「こんな所で、何してたんだよ」


 怒ることでもないのだが、なぜか彼に対しては苛立った口調になる。


「もちろん、お前を待っていた」

「僕を? どうして?」


 腕組みを解いたクヌムは、懐から木製パレットを取り出した。

 どこかで見たような──


「それ……、僕が作った木製パレットじゃないか!」


 ダクトが家具を作って余った木切れを再利用し、セスが小刀で仕上げた木製パレットだ。ルカにあげた物なのに、どうしてそれを──?


「お前の弟が神殿に忘れていった。返してやれ」


 ぽかんとしているセスの鼻先に、ぐいと突き出す。

 奪うようにしてセスは受け取った。


「明後日《あさって》はハピ祭りだ。家に帰るのだろう?」

「弟を知ってるのか? どうして──」

「ルカは私の友達だ」

「……はぁ?!」

「出会ったのは、もう半年以上も前になる。お前の姉さんとも顔なじみだ。つい最近もオシリス神殿で会った」


 セスにとっては初耳だ。


「食うか?」


 クヌムが、腰に下げた袋からパンを取り出した。

 コプトパンだ。

 途端にセスの胃袋が唸りだす。

 焦ってお腹を押さえたが、音はしっかり漏れたらしい。

 白い八重歯を見せて、またクヌムが笑った。


 ぶら下げていた素焼きの壺を、ひょいと掲げる。


「さっきの礼にビールをもらった。私はいらない。やるよ」


 言いながら、石柱の脇をあごでくいっと示す。

 座って食えということか。

 言いなりになるのは癪に障るし、食べ物で釣られるようで嫌だが、ここで軽食をとりながら父を待つのも悪くないだろう。


 木製パレットを運搬用のソリに乗せ、石敷きの参道をゴロゴロと引く。

 セスが石柱の土台に座ると、クヌムも横に座った。

 その距離が意外に近くて、セスは少し離れて座りなおす。

 

 クヌムが差し出すパンを、セスは遠慮なく受け取った。

 素焼きの壺も、ひょいと手渡してくる。

 やけに気前のいい男だ。

 

 お礼を言うべきだろうが、どこか気恥ずかしい。

 ありがとうの代わりに、質問攻めにすることにした。


「いくつ?」

「ひとつしか持ち合わせはない」

「コプトパンの話じゃない。クヌムの年齢だよ」


 ああと苦笑して、クヌムは視線を落とした。

 

「十九だ」

「……ルカは十歳だよ」

「そうだな」

「九つも年が離れてるのに、友達になれる?」


 クヌムは怪訝な顔をする。


「友情に年齢制限はないだろう」

「だって、話が合わないはずだよ」

「合わないから、話すたびに新たな発見がある」

「そんなもんかな」

「そういうものだ」


 ふっ、とクヌムが笑う。


「お前の方が、よほど十歳に見える」


 セスがふくれ面をすると、また八重歯を見せて笑った。

 あっという間にコプトパンはセスの胃袋に消えた。

 ビールを飲んで、やっと人心地つく。


 参道の先を見やる。

 まだ、ダクトの姿は見えない──。

 

「あのさ……」

「なんだ?」

「奉納の舞をすれば、本当に神様は守ってくれるの?」


 神に仕える者に対して、まったく非常識な質問だ。

 だが、クヌムがどう答えるのか興味があった。


「祈らなければ、神は祟《たた》る」

 

 セスの胸が、どきりと鳴った。


 ──祟《たた》る? 呪うということ?


「神は荒ぶるものだ。クヌム神も洪水を起こす。守り神にもなれば、災いをもたらす厄神にもなる。だからこそ祀る必要がある」


 ふと、弟の姿が目に浮かんだ。

 病気がちなのは呪いのせいだと信じ、家庭の守り神であるベス神の名前を必死に書きつけていた姿が──。


「呪いなんてあるもんか!」


 口をついて出た言葉は、叫びに近かった。

 思いがけない大声に、セス本人がはっとなる。

 

「心配するな。神は呪わぬ」


 クヌムの声は冷静だった。


「神の祟《たた》りとは、人間の行為を咎めるものだ。悪とされる行動に対する報いとも言える。呪いというのは人の念だ。神聖さなどまるでない」


 セスは、クヌムの横顔を見つめた。

 長いまつげが頬に影を落としている。

 その瞳の焦点は、どこか遠くにある気がした。


 クヌムは、ルカの木製パレットを持ってきた。ルカと話すたび「新たな発見がある」とも言っていた。もしかしたら、ルカは九つ上の友達であるクヌムに、兄には言えない悩みを打ち明けているのかもしれない。

 ふと、そう思った。


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