第34話 あるはずのない物
「まさか……」
この言葉を口にしたのは、石工の先輩たちだけではなかった。
石の専門家ではない測量士たちでさえ、唖然としている。
赤色花崗岩。
非常に硬い石質であるのが特長で、鮮やかな深紅の色あいが高貴な雰囲気をかもしだすことから、花崗岩の中でもとりわけ最高級品として珍重されている。
問題はその産地だ。
赤色花崗岩が採れるのは、アスワンである。
三大メルがあるギザからアスワンまでは、八十イテル(900km)はある。あまりにも遠い。陸路はあり得ない。輸送の足を引っ張る砂漠を越える必要があるし、人力で引っ張るとなれば相当な時間がかかるだろう。
考えられるのは、ナイル川を使う手段だ。
だが、追い風であろうと半月近くは船に揺られる計算になる。しかもこれだけの巨大な赤色花崗岩となれば、乗せる船の大きさも型破りなものになる──。
「いったん外に出よう」
ダシュル分隊長の声で、アスワンに飛んでいた全員の意識が現実に戻った。
踵を返し、日差しが誘う入口へと向かう。
密道に入ってきた時とは違い、誰も口を開かなかった。
(あの赤色花崗岩を、どうやって運んだんだ?)
あるはずのない物が、あるべきでない場所にある。
誰しもの心に、どこか空恐ろしい気分がわき起こっていた。
間違いない。
三大メルは、人智を越えた神の遺構なのだ。
外に出たセスは、太陽のまぶしさに目がくらんだ。
薄目で周囲を見渡すと、兵士たちが建てたのだろう天幕が目に入った。
その周囲が、やけにきらきらと光っている。
白装束の集団だ。
ヴェールをつけた踊り子が三人、楽器を抱えた楽師が四人──。
(彼だ!)
背中に弦楽器を背負った長身の若者がいた。
花盛りの踊り子たちに混ざっていても、その中性的な美しさは抜きんでている。今日も黒檀のような髪を背中でひとつに束ねていた。
それに、忘れようにも忘れられないあの三白眼!
男くさい世界で生きてきた鉱夫のおじさん達は、見眼麗しい娘たち──実はそのうち一人は男なのだが──に、あんぐりと口を開けていた。
これまで辛口発言の多かった冶金師達でさえ、踊り子と楽師の一団の美しさには、文句のつけようもないようだ。
柄にもなく途方に暮れているのは、ダシュル分隊長だった。
あるはずのない赤色花崗岩より、楽師一団がここにいる理由がわからないと言いたげな表情である。
「おいおい、きみ達は……」
盗賊であれば恫喝するところだろうが、二十歳以上も年の離れた軽装の娘たちが相手ではそうもいかないらしい。
「調査の安全を祈願いたします」
セスには見覚えのある長身の踊り子が、滑るように歩いてきた。
ダシュル分隊長が制するより先に、踊り子たちがはらりと上着を脱ぐ。
褐色の肌があらわになった。
(……またか)
これからの展開は、簡単に予想がつく。
舞いやすさを重視した踊り子たちの衣装は、いたって簡素。
細い身体を覆うのは短い前掛けだけである。
たおやかに楽器が音色を奏で、踊り子たちの腰がくねる。
その瞬間、場の空気ががらりと変わる。
赤色花崗岩に度肝を抜かされた調査隊の面々は、予想外の光景に唖然としつつ、神の遺構の前で披露される神への奉納の舞にすっかり見惚れていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
奉納の舞が終わると、白装束の一団は風のように立ち去った。
まさに神出鬼没である。
「ここで調査することを、彼女たちが知っていたとは」
怪訝そうな顔をするダクトに、
「兵舎で、書記官が伝えたらしい。第一班の安全祈願も済ませたと言っていた」
ダシュル分隊長が答えた。
踊り子と楽師たちは、神官のように神に奉仕する人々だ。
活動の場は神殿や祭祀だけでなく、工事現場や被災地など多岐にわたる。
ここに現れたのは、特段不思議なことでもない。
太陽は、もう真上にある。
天幕の中で休憩をとった後、第二班の調査員たちは再び盗賊の侵入口から、それぞれの器材を抱えて密道へ入った。
石工の任務は、化粧石の内側に詰まれた石材の調査だ。
建築方法を推測する。
測量士は、石材の大きさと密道の傾斜を測定する。
使われた石材の数もおおまかに見積もる。
鉱夫と冶金師は、石材の種類と工具について調べる。
壁の表面に残った痕跡が頼りだ。
雑用を買って出たセスは、指示のとおりに動いた。
器材を運んだり、水筒を準備したり、油ランプに油を足したり。
密道の入り口から突き当りまで、休むことなく何度も往復した──。
「さあ、そろそろ引き上げようか」
ダクトが声をかけた頃には、セスはすっかり汗まみれになっていた。
「器材を片付けた者から兵舎に戻ってくれ。夕食の後で打ち合わせだ」
ほっとしたような返事があがる。
「お前は先に戻っていなさい」
運搬用のソリに器材を乗せているセスに、ダクトが言った。
「父さんは、みんなと密道の入り口を封鎖して戻る」
「わかった。……あ、わかりました」
「食事も先にとっていいからな」
言われてみれば、軽食も取っていない。
急に空腹を覚えて、セスは胃に手を当てた。
その仕草にまなじりを下げたダクトが、セスの鼻の頭をちょんとつつく。
「顔が真っ白だ。ちゃんと洗っておきなさい」
頬に触ると、ざらつきがある。
道理でくしゃみが止まらなかったわけである。
粒子が舞う密道を、行ったり来たりしたせいだ。
「頑張ったな。お疲れだった」
石工の先輩たちを従え、密道へ歩いていくダクトの背中を見送る。
ダシュル分隊長は、天幕の前で兵士たちに指示をしていた。
密道の入口を塞いだ後、きっと監視させておくのだろう。
運搬用のソリを引き、セスは兵舎をめざした。
疲労感はあったが、これまでにない達成感を感じていた。
おいそれとは立ち入れない遺跡に入り、誰でも見られるわけではない第一の塔の内部を見たのだ。笑顔にならずにいられようか。
「嬉しそうだな」
背後から声がして、セスは飛び上がった。
ふり返った参道に彼がいた。




