第30話 空洞の中
杭でしっかり固定した縄梯子を、セスはゆっくりと降りていく。
「焦るなよ! 足を滑らせるな!」
石工の先輩たちが、ひと足ごとに声をかけてきた。
怒鳴られているようで、逆に心臓に悪い。
落ちれば、首でも折りかねない深さだ。
縄梯子を握るセスの指には、自然と力がこもった。
降りていくにつれ、空気が冷えてくる。
頭上から差し込む光も弱くなった。
ダクトが言っていたとおり、王肘尺で六つ分(約3.15m)ほど下りると、サンダルのつま先が平らな面に触った。
「降りました!」
セスは、頭上に向かって叫んだ。
「どうだ? 気になる点はないか?!」
頭上からダクトの声がする。
セスは、周囲を見回した。
縄梯子で降りてきた空洞の表面には、穿ち跡があちこちにあった。
岩盤の裂け目に自然にできた空洞ではなさそうだ。
打ち合わせで鉱夫のおじさんが言っていたように、掘削の跡がある。
ホル・エム・アケトの崩落により、空間を塞いでいた岩盤が剥がれ落ちたということなのだろうか。
空洞は思うより狭く、セスでも息苦しさを感じる。
石灰岩の壁はごつごつしていた。
油断すると皮膚を引っ掻いてしまいそうだ。
鉱夫たちが貸してくれた厚手の粗布の上下衣が、心強い。
「打ち合わせの通りに進めてくれ! 少しでも迷ったら声をかけるんだ」
ダシュル分隊長の野太い声が落ちてきた。
「はい!」
セスは大声で返事をし、革のベルトを見下ろした。
命綱と小袋が結わえ付けられている。
小袋には、火打ち石と石ランプが入っていた。
ここまで地下に潜れば、太陽の光はほとんど当てにできない。
視界を確保するのに灯りが必要だが、たいまつは燃やせなかった。
「たいまつは、息苦しくなるからな」
鉱夫のおじさんが言っていた。
「代わりに、これを使ってくれ。俺たちも現場で使う石ランプだ」
牛の骨髄を燃やす石ランプであれば、目に染みる煙も出ず、ある程度の空間が必要なたいまつと違って、かなり小回りもきく。
石ランプを足元に置き、セスは火打ち石をカチカチと鳴らした。
何度か空振りしたが、ようやく火が灯る。
周囲がぼんやりと明るくなった。
「では、横穴に入ってみます!」
セスが頭上に向かって叫んだ。
「無理するなよ!」
「慎重にな!」
ダシュル分隊長とダクトの声が重なった。
「横穴に入る前に、命綱を二回、軽く引いてみてくれ!」
鉱夫のおじさん(であろう)の声がする。
言われたとおり、セスは命綱を二回引っ張った。
「よし! 助けが必要な時は思い切り引っ張れ!」
「わかりました!」
打ち合わせでは、セスが横穴に入ったと同時に、小柄な鉱夫のおじさんが縄梯子を伝い、空洞の底まで下りてくることになっていた。
万が一の事態を考えての対策である。
「行ってきます!」
地上に向かって気合いの言葉を投げ、セスは腰をかがめた。
横穴は、ダクトが話していたように北西の方向へと伸びている。
四つん這いになり、手を伸ばして石ランプを先に置いた。
そこから四つん這いで石ランプの近くまで進み、石ランプが顔の下に来たところで、再び前方に滑らせて置き、四つん這いで進んでいく──。
それを五回ほど、くり返した。
横穴は徐々に狭くなり、やがて十四歳の小柄なセスでさえ四つん這いで進むのが難しくなるほどになった。
(調査隊はきっと、この辺りまでしか来ていないはずだ)
もう地上の音は何も聞こえない。
これほど地下に潜ったのは、生まれて初めてのことだ。
周囲には誰もおらず、自分の呼吸音しか聞こえない。
目の前には漆黒の闇が広がっている。
それでも、不思議と恐怖は感じなかった。
(この先には、何がある?)
好奇心が、セスを前に突き動かす。
進むにつれ、横穴の壁は容赦なくセスに迫ってきた。
四つん這いから、ほふく前進に切り替える。
石灰岩の表面は、ごつごつしている。
四つん這いは膝に痛みを感じたが、今度は肘がつらい。
それでも、セスは前に進んだ。
(この横穴は、どこに続いているのだろう?)
期待と緊張で胸が高鳴る──。
ところが、あっけなく横穴は行き止まりになった。
(え?)
セスは茫然と目の前を見る。
さっきまであった漆黒の闇が、今は消えている。
石ランプに照らされた石灰岩の壁が、横穴の終わりを告げていた。
(ウソだ)
目の錯覚かと手を伸ばしたが、やはり気のせいではない。
ダシュル分隊長が見せてくれた地図。
矢印が示していた空洞の下に描かれた実線と点線。
点線の先に──通路はないのだ。
(そんな……)
拍子抜けした気分だった。
どこかに繋がっていると思っていた。
空洞を調べるために、セスは調査隊に入った。
その空洞が行き止まりであれば、セスの任務もここまでということになる。
「大丈夫か?!」
後方から声が響いた。
くいくい、と命綱が揺れる。
セスの動きが止まったことを、鉱夫のおじさんが察したのだろう。
「はい!」
セスも全身を使って大声を出す。
このまま後ずさりするしかないのか。
どっと疲れを感じた。
留まっていても仕方がない。
先がなければ、引くしかない。
「戻ります!」
後方に向かって叫び、そろそろと後ずさりを始めた。
その時──。
セスの頬を風が撫でた。
はっとして顔を上げる。
湿気を含んだ微風が、行き止まりであるはずの壁から吹いていた。
その風は徐々に強さを増し、セスの前髪を揺らすほどの勢いになる。
「どうした?! 崩落か?!」
うろたえた声が響いてくる。
鉱夫のおじさんも風を感じたのだろう。
セスは返事をすることも忘れて、前方を凝視した。
(行き止まりなんかじゃない。この先にも空間があるんだ)
あの石灰岩の壁の向こうには、何かがある。
ひとまず地上に戻ろう、とセスは思った。
先に進むには装備が必要だ。
調査隊に報告し、対策を考えなければ。
石灰岩の壁をなぞる。
空気は、下から吹きあがっていた。
どこかにすき間があるのだ。
「大丈夫か?!」
鉱夫のおじさんがまた叫んだ。
「はい! 今から戻ります!」
叫んだセスは、指先に触れた石灰岩の欠片を握りしめた。
そのまま、ゆっくりと後退していく。
思わず笑みがこぼれるほどの高揚感が、セスの胸を満たしていた。




