第24話 ルカの友達
至聖所から出てきた五人の神官は、それぞれ供物箱を抱えていた。
まだ十代と思しき若者たちだ。
身にまとう白いチュニックは、肌が透けて見えるほど薄い。
神殿は聖なる領域であり、心身ともに汚れは禁忌とされている。
清潔さを保つため、神官たちは全身の毛を剃らねばならない。
香油を塗りたくった肌が、天井から差し込む光にてらてらと光っていた。
神官の仕事は、年齢によって区別される。
ルカの前を歩いていく五人は下級神官の扱いで、格式ある儀式を執り行うことはまずない。彼らは神殿を掃き清め、人々が捧げる品々をあらため、飲み物や食べ物などの供物を欠かすことなく神像に供えるのが仕事だ。
弦楽器の音色が美しくこだましていた。
この音色は、間違いなく彼だ。
音楽をこよなく愛する彼の演奏は、ほかの楽師とは伝わる色が違う。
ラピスラズリ。
そう、神秘な輝きをもつ石のような色。
夜空を思わせる群青色に金色の斑点が浮かぶ──そんな音色だ。
彼の演奏を聴いていると、石柱の彫刻が生気を帯びて見えてくる。
止まっていた時間が流れだす錯覚を覚える。
ルカは、そっと目を閉じた。
美しい楽曲に耳を澄ます。
柔らかな調べに、心のささくれが解けていくように思えた。
彼──クヌム──と出会ったのは、このオシリス神殿だった。
年齢は知らないが、姉のムトより年上なのは確かだ。
最後に会ったのは、いつだったか。
増水期になると、ルカの体調は狂う。思うように外出もできないために、このオシリス神殿からも足が遠のいていた。
久しぶりに話がしたい。
演奏が終わったのと同時に、ルカは目を開けた。
石柱の向こうにある至聖所に目を凝らす。
聖なる区域である至聖所は、帳で覆われている。
視界を遮られ、奥の動きがつかめない。
よく見ようと至聖所に近づくと、二人の神官が足早に近づいてきた。
「どこへ行く?!」
激しい口調だった。
「え? いえ、ただ……」
神官は眉まできれいに剃りあげている。
眉がない顔は、どこか表情まで乏しい。
ルカは神官が苦手だ。
俗世離れしていて、人間らしい温かみがない。
「そこから先は聖域だ。祈りを捧げたら帰りなさい」
「あの、友達がそこに……」
「無礼な!」
声変わりしたばかりのかすれ声で、神官は怒鳴った。
「神への冒涜ぞ!」
ルカの小さな目が丸くなった。
冒涜? 至聖所の奥を眺めただけで?
「来なさい!」
神官がルカの腕をつかみ、石柱の間を引っ張っていこうとする。
「え? ちょっと待って!」
「来なさい!」
「僕はただ……」
あたふたしていると、
「久しぶりだな」
よく通る涼しい声が、列柱室の壁に反響した。
ルカと神官二人が、そろってふり返る。
黒いつややかな髪を背中でひとつに束ねた長身の若者がいた。
ひいでた額。すっと通った鼻筋。
楽師の衣装がよく似合う。
どこか異国の雰囲気をただよわせる褐色の瞳は、見る者を射貫く三白眼──。
彼の後ろには六人の娘たちがいた。
ヴェールをつけた踊り子が三人、楽器を抱えた楽師が三人。
いずれも美しい娘たちだが、クヌムの美しさも負けてはいない。
はじめて出会った時、ルカもムトも彼を女性と見間違えたほどだ。
「クヌム!」
ルカの表情が、ぱっと明るくなった。
二人の神官は目を丸くする。
「久しぶり! きみの演奏を聴いたよ。相変わらず上手だね!」
白い歯を見せて、クヌムは笑った。
「それはよかった。最近は練習が足りなかった」
「上手だったよ。最高だよ!」
ルカとクヌムの身長差はかなりあるが、互いの口調に高低の差はない。
かなり親し気だ。
若い神官二人は顔を見合わせた。
クヌムはルカに微笑むと、長身の踊り子をふり返った。
「友だちと話したいので、先に戻っていてくれますか?」
長身の踊り子はうなずき、五人の娘たちを従えて列柱室を出て行った。
二人の神官は、いつの間にか供物台の前に引いている。
何事もなかったかのように、人々の捧げものを供物箱にせっせと収めていた。
「喉が渇いてるんだ。水を飲みに行かない?」
ルカが言うと、クヌムはうなずいた。
親子ほども背丈の違う二人は、にこやかに言葉を交わしながら列柱室を抜け、中庭を通り、井戸のある外庭へと歩いていった。
アカシアやナツメヤシ、プラタナスといった木々が、揺れる葉影を地面に落としている。冷たい井戸水でのどを潤すと、二人は並んで木陰に座った。
「お姉さんは?」
クヌムの問いに、ルカは大げさにため息をついた。
「僕が一人でいると、いつもそう聞くんだね。そんなに気になる?」
「ああ、気になる」
クヌムはあっさり答えた。
「私は、彼女が好きだからな」
やれやれ、とルカは首を振る。
「わかってるよ。クヌムが、姉さんにひとめ惚れしてること」
「だが、彼女は相手にしてくれない」
クヌムは、天気でも語るようにさらりと言った。
「誘っても断られてばかりいる」
「仕方がないよ」
ルカは言った。
「前に話したよね? 姉さんは交際に慎重なんだ。焦っちゃダメだよ」
クヌムが笑った。
「わかった。きみのアドバイスに従うよ」
クヌムが、腰に下げた袋からパンを取り出した。
「コプトパンだ!」
「一緒に食べよう」
「うん!」
大きな口で、思い切りかぶりついた。
なじみのある大麦の香りが、鼻孔いっぱいに広がる。
クヌムがくれるパンには、砂がほとんど入っていない。
パン焼き釜が室内の奥まったところにあるからだろうと言っていたが、かなり大きな長屋に住んでいるのかもしれない。
「レリーフを見に来たのか?」
「うん」
香ばしいパンを咀嚼しながら、ルカはうなずく。
「レリーフを見てると、ほっとするんだ。……ただ、それだけ」
クヌムのことは友だと思っているが、深い話をしたことはない。
書記になる夢は、まだ打ち明けていなかった。
──笑われてしまうのが、怖いから。
臥せってばかりのルカには、友だちと呼べる仲間がいない。
オシリス神殿で出会ったクヌムだけを、唯一「友」と呼んでいた。
ただ、父も兄もクヌムの存在は知らない。
ムトが話さないでと言ったからだ。
顔を合わせるたび、熱心に彼女に声をかけてくるクヌムのことを話題にしてほしくないのだろう。
「嫌なことでもあったのか?」
クヌムの言葉に、どきりと胸が鳴る。
彼を友だと思っている理由が、これだった。
三白眼の彼の瞳は、心のわだかまりを容易に見抜く。
少しだけためらって、ルカは唇を開いた。
「……僕、生まれてこなきゃよかった」




