第21話 空洞
ダクトに揺り起こされ、セスは目を覚ました。
小窓から差し込む陽光が、すっかり柔らかくなっている。
「時間だ」
はっと身体を起こすと、簡易ベッドの横に籠があった。
パンとタマネギと壺が入っている。
「ゆっくり食べる時間はなさそうだ。帰ってから食事にしよう」
通路からダシュル分隊長が入ってきた。
「初日から、しかも兵舎で爆睡とは、なかなか度胸が据わっている」
ダシュル分隊長の目尻が、からかうように下がった。
入口には扉がない。
ぱっくり口を開けた寝顔を見られていたかもしれない。
セスの顔が熱くなった。
「今から現場に行くが、視察というほどのことはない。仕事ではないから、腹が減るようならパンを持って行くといい」
ダシュル分隊長は、そう言ってくれた。
空腹は感じなかったが、喉が異様に渇いていたので、壺のビールだけ口にした。
「行こうか」
ダシュル分隊長とダクトが、並んで歩いていく。
セスは、二人の後ろを少し遅れて歩いた。
昼前にダクトと通ってきた路地を、今度は三人で作業場へ向かう。
眠り込んでしまうまで聞こえていた岩石を砕く音が、響いていない。
ホル・エム・アケトの解体作業は、もう終わっているようだ。
新監督官のメゾンは酒好きで、陽が傾くのとほぼ同時に「今日は、ここまで!」と叫ぶ。今頃は屋台をめざし、隼神の壁門をくぐっているだろう。
セスの前を歩くダシュル分隊長とダクトは、他愛ない会話をしていた。
最近の天気はひどすぎるとか、ビールよりワインが飲みたいだとか、ハピ祭りには牛肉がふるまわれるから楽しみだとか、そういう類の話だ。
大人の会話を盗み聞きしないよう、あえて離れて歩いていたのに、セスは拍子抜けしてしまった。二人はかなり親しいようだ。
おそらく同世代だろう。
見た感じで言えば、ダシュル分隊長の方が少し年上に見えなくもない。
ダクトはかなりの高身長だが、ダシュル分隊長も負けない体躯だ。二人で並んで歩いていると、まるで崩落事故が起きる前に並んでいた二体のホル・エム・アケトのような威圧感さえある。
作業道を南下していくと、数人の巡回兵と何度もすれ違った。
すれ違うたび、彼らはダシュル分隊長とダクトに一礼する。
いいな、とセスは思った。
いつか二人のように、腕章をつける日が来るだろうか。
兵士たちに一礼されたら、どれほど誇らしい気持ちになるだろう。
そのためには、与えられた任務をしっかりこなさなければ。
砂道を踏むセスの足に、力がこもる。
ホル・エム・アケトの解体現場に近づいた。
案の定、石工たちの姿は見当たらない。
見習い石工の少年たちも、すでに後片付けを終えているようだ。
ダシュル分隊長とダクトが、セスをふり返った。
意を察して、セスが駆け寄る。
「ホル・エム・アケトの解体作業は、明日までだ」
ダシュル分隊長が言った。
「明後日からは、石工たちに代わって調査隊がこの現場に入る。名目は『ホル・エム・アケトの崩落原因を追究する』ことだが、さっき兵舎で話したように、きみの協力のもとで空洞を調べるのが目的だ」
ダクトの懸念を察しているのだろう。
ダシュル分隊長が、ぽんとダクトの肩を叩いた。
「私も息子をもつ父親だった。きみの心配はわかるが、安心してくれ。指揮官として必ず彼の無事を確保する」
──父親だった?
「さあ、暗くなる前に現場を見よう」
ダシュル分隊長が、獅子像の尾の部分へと先導していく。
崩落した北の獅子像は解体作業を経て、もう臀部しか残っていない。
歩きながら、ダシュル分隊長が説明する。
「石工たちに獅子像の後ろ足を解体させなかったのは、空洞から続く通路の存在を隠すためだった。解体作業を続ければ、さらなる崩落の危険があると伝えただけだが、疑う者はいなかったようだ。新しい監督官は大喜びしていたよ」
何がおかしいのか、ダシュル分隊長が豪快に笑う。
意外とこの人は笑い上戸なのかもしれない。
「まぁ、気持ちはわからんでもないがな」
ダシュル分隊長は、先頭を歩きながら続ける。
「あの悲惨な崩落事故を見た後だ。解体作業など早く切り上げたいというのが石工たちの本音だろう。……さあ、着いたぞ。ここだ」
ダシュル分隊長が指差す先を見て、セスは驚いた。
日干しレンガ一つ分ほどの大きさだった空洞が、今や小柄な人間なら身体を折ればもぐりこめるほどの大きさになっている。
立ち入りを規制する紐が、空洞の周囲にぐるりと張り巡らされていた。
危険を連想させる赤い布が、一定の間隔で結わえ付けられている。
もとから崩落の危険ありと聞かされている現場だ。
この警戒ぶりでは、解体作業をする石工たちも恐れをなして、空洞に近づこうとはしなかっただろう。
だが、ダシュル分隊長は違う。
規制線をひょいと持ち上げ、その向こうに入っていった。
ふり返り、セスに向かって手招きする。
「来てごらん。崩れはしない。安全は確認済みだ」
ダクトが規制線の奥へと入っていく。
セスも、続いた。
足元に空洞がある。
薄暮の日差しは奥まで届かない。
漆黒の闇が広がっていた。
「ここまでの作業は、お父さんが担当してくれた。ここから先は──」
ダシュル分隊長が、セスを見つめる。
「きみの出番だ」
獅子像の尾の根元に、ぽかりと口を開けた空洞──。
噴き出す湿気が風となり、赤い布を心もとなげに揺らしていた。




