第20話 与えられた任務
「この空洞……」
セスの目は、図面に釘付けになっていた。
矢印が示していた空洞の下に、通路らしきものが描かれていたからだ。
途中までは実線が引かれ、その先からは点線が続いている──。
「きみには、ここから先を調べてもらいたい」
ダシュル分隊長の太い指が、点線をなぞった。
(ここから先……?)
意外な言葉に、セスは顔を上げた。
(地下に潜れということ?)
ダシュル分隊長の表情から、先ほどの笑顔は消えていた。
太い眉の下の眼光が、セスを射貫くほどに鋭い。
「この子が……ですか?」
隣のダクトの声にも困惑がこもる。
「だが、あの空洞の大きさは……」
ダシュル分隊長は、深くうなずいた。
「そうだ。かなり狭い。狭いうえに暗く、ここから先がどうなっているのか、把握している者は誰もいない」
セスは、再び図面に目を落とした。
あの日のことを思いだした。
ホル・エム・アケトの背後に消えた白い影──楽師の若者だった──を追いかけた夕刻、獅子像の尾と地面が接するところに、小さな四角い穴を見つけた日。
穴は、日干しレンガ一つ分ほどの大きさだった。
腰をかがめて空洞に顔を近づけると、密封されていた湿気の流れを感じた。
その淀んだ風は、北の獅子像が崩落した事故で陥没ができた時に、地下から吹き上がってきた風と同じ匂いだった──。
「きみ達の不安はわかる。できれば、私としても子どもに任せたくはない。しかし、この空洞は大人が入るにはあまりに狭すぎるのだ」
その言葉に『そういうわけか』と腑に落ちた。
調査隊に召集されたあの日、セスの家にダクトとともに現れたのっぺりとした顔の書記が(ルカの筆致をほめてくれた人だから、別に悪口ではない)、セスの全身を確認しながらパピルスに何やら書き留めていた。
ダクトの推測どおり、背丈や身体の特徴を記録していたのだ。
空洞に入るにふさわしい体格かを判断するために──。
「さっきの、きみの質問に対する答えだが──」
ダシュル分隊長が、静かに言った。
「きみへの王命は、どちらにも当てはまる。つまり、ホル・エム・アケト崩落の原因を探ることが、空洞を調べることにつながり、その調査によって得た情報が『王の永遠なる家』を建設するための材料となる」
「先ほど『この子が選ばれるわけだ』とおっしゃいましたね」
ダクトが、唐突に尋ねた。
「この子を推したのは、誰なんでしょうか」
それは、セスも聞きたい。
見習い石工の少年なら、ほかにもいる。
なぜ、セスに白羽の矢が?
ダシュル分隊長は首を横に振った。
「それは、私も知らない。書記からそう伝え聞いただけだ。だが──」
ダシュル分隊長の目尻が、優しく垂れた。
「この子は機転が利く」
そして、からかうようにセスに言った。
「父親に害が及ばぬよう、あの質問をしたのだろう?」
(え? どういうこと?)
ダシュル分隊長が、また豪快に笑った。
「隠さんでもいい。きみのお父さんはバカ正直なことに、王墓改築の計画を家族に話してしまったと私に告白してきた。きみが計画を知っていることは、承知の上だ。もちろんバカ正直な告白を聞いたのは、この私だけだから心配しなくていい」
隣に座るダクトを見やると、気まずそうに頭をかいていた。
「夕方になったら、現場を案内しよう」
ダシュル分隊長は立ち上がった。
図面をくるくると丸め、赤い帯で巻きながら言う。
「実際に調査してもらうのは、明後日からだが、その前に現時点での状況をセス君に見てもらう方がいいだろう。時間まで部屋でくつろいでいてくれ。兵舎を案内してもらってもいい」
「調査隊は、今日はどこに?」
ダクトが聞いた。
「第一の塔だ」
ダシュル分隊長は、そのまま隣の武器庫へと入っていく。
中に管理兵がいるらしく、何やら指示をしている声が聞こえてきた。
「行こう」
ダクトが長椅子から腰を上げたので、セスも立った。
広い部屋(調査隊が会議を行う共同部屋だと、後になって知った)を出る前に、作業台をふり返る。図面の赤い帯が、高窓から差し込む光にまぶしく輝いていた。
通路には、相変わらず人の気配がない。
調査隊は第一の塔にいると、ダシュル分隊長が言っていた。
ダクトが案内してくれたのは、共同部屋の向かいの部屋だった。
警備兵がいる入口からは、いちばん奥まった寝室だ。
西側の角部屋で、ベッドは三台。
簡易ベッドが一台。
おそらく、これがセスの寝床だろう。
腰を下ろした。
ダクトは何も言わない。
周囲を見回した。
いたって殺風景な部屋だ。
もとは兵舎なのだから、こういうものだろう。
セスの肩の高さに小窓がある。
立ち上がって覗いてみると、中庭が広がっていた。
イセレが生えている。
イセレは、小さい鱗片状の葉が美しい植物だ。
砂漠でも根を伸ばすほど逞しい樹木だが、鑑賞用としても人気がある。
季節柄、薄ピンク色の花が咲き始めていた。
さすがに兵舎だから、鑑賞のため植えたのではないだろう。
イセレの枝を薬草と合わせれば、軟膏になる。
飲めば解毒に効果があり、胃腸や肝疾患の生薬にもなる。
兵舎の中庭で育てるにふさわしい植物だ。
イセレの茂みの先に、井戸があった。
洗濯物が干してある。
どれも大人の衣服ばかりだ。
作業場で大人たちに囲まれながら働いてきたけれど、調査隊にいる少年といえば、おそらくセスだけだろう。同世代がいない環境は生まれて初めてだ。
「父さんも、さっき僕の任務を知ったの?」
声をかけると、ダクトはうなずいた。
「ああ」
やはり不機嫌そうな口調だ。
「仮病でも使わせればよかった」
ダクトの表情は暗い。
大人が侵入できない空洞を、子どもを使ってでも調べさせる方針なのだ。
現場の状況は深刻なのかもしれない。
「夕方まで時間がある。軽食を用意してくるから、ここで待っていろ」
そう言って、ダクトが部屋から出て行った。
セスは、簡易ベッドに横になった。
むしろから乾いた太陽の匂いがする。
『調査隊に入り、名誉ある任務を遂行せよ』
書記の言葉を思い出す。
名誉ある任務というものには、危険がつきものなのかもしれない。
大丈夫。父さんがいる。
小窓から、午後の風が吹いてくる。
耳になじんだ岩石を砕く音が、遠い作業場から響いてくる。
巡回兵のかけ声が、心地よいリズムを刻む。
昨夜は興奮していたのだろう。明け方までほとんど眠れなかった。
真夜中にはルカが咳き込み、そのたびに目が覚めた。
不安と好奇心がせめぎあう夜だった──。
セスのまぶたが、ゆっくりと閉じていく。
日が傾くまで、そのままぐっすり眠りこんでいた。




