↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千
第3章 出現

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/67

第17話 思わぬ召集

「帰ったよ」

 いつものように、ダクトはそう言った。

 いつもと違うのは、どこか暗さを感じる表情とその声である。


 夕食の片付けをしていたセスとムトは、駆け寄ろうとして足を止めた。

 父の後ろに、男が二人いる。

 兵士長の青い腕章を付けた男と石板を抱えた書記だった。

 太陽が沈んで暗くなった室内に、三人は無言で入って来た。


「ルカは?」

 ダクトが聞いた。


 後ろの二人を、一瞥もしない。

 礼儀正しいダクトには、どこか似つかわしくない仕草だった。

 不機嫌さが漂っている──。


 セスとムトは、互いに顔を見合わせた。


「もう寝たわ。食事の途中で疲れたみたい」

 

 増水期《アケト》の季節は一日の温度差が激しく、ルカはよく体調を崩す。

 今日も姉が止めるのも聞かず、文字の練習をしたのだろう。

 豆のスープに口を付けただけで言葉少なになり、少し横になると言って隣の部屋に入ると、そのまま眠ってしまった。 


「そうか。ちょうどよかった」


 ダクトは言い、後ろにいた兵士長と書記をふり返る。


「どうぞ」


 二人の訪問客に椅子をすすめた。

 ムトが慌てて、食卓の上のパン籠を棚に片付ける。

 油皿ランプの灯りが揺れた。


 室内を見回していた兵士長は「いや、結構」と短く言い、戸口まで歩くと腕組みをして外を睨んだ。

 ──まるで見張り番のように。


 書記の男は、促されるまま椅子に腰を下ろした。

 その視線が食卓の脇に向けられている。

 床の上には木箱があった。

 中には、ルカが使っている木製のパレットと葦ペンが入っている。


 木製パレットは、貴重なものだ。

 そもそも数が多くない。

 書記を目指す富裕層の子どもでも、石灰岩の欠片をよく使う。


 貴重である理由は、エジプトに樹木が少ないことにある。

 ビブロス(レバノン)の内陸まで行かなければ、針葉樹の広大な森はない。


 だが、たとえ労働層であろうと、ベッドや棚や椅子といった木製品を手に入れる手段はあった。富裕層が家具調度品を注文すれば、厚板や木片の使い残しが多く生まれる。ピラミッドタウンの通りには、そういった木片を売る店も多かった。


 手先の器用な男たちは、その切れ端で木工職人並みに棚や椅子などをこしらえたりもする。セスの家にあるほとんどの家具は、ダクトの手作りだ。


 ルカが使っている木製パレットは、ダクトが家具を作って余った木切れを、セスが小刀でなめらかに仕上げた物だった。表面にはいくつかのくぼみがあり、白漆喰も塗ってあるので、書いた文字を水で消すこともできる。


 書記の口端には、笑みが浮かんでいた。

 

(石工の家の息子が、木製パレットで遊ぶとは)


 そんな声が聞こえた気がした。

 ルカの夢は、確かに無謀かもしれない。

 それでも、他人に笑ってほしくはなかった。


 木箱を片付けてしまおうと、セスが足を踏み出したとき──


「見事だ」


 書記がうなずきながら、そう言った。

 

「実に美しい」


 セスと視線が重なった。


「きみの作品か?」

「え? ……いいえ」

「では──」


 書記の視線が、ダクトに向けられる。


「末の息子です」


 ダクトが答える。感情のない声だった。


「末の息子」


 書記は、その言葉をくり返した。

 ダクトの声と違い、噛みしめるような口調だった。


 セスは、ルカの木製パレットを見つめた。


 さまざまな鳥の形が並んでいる。

 それぞれまったく異なる意味を表し、異なる音があるという。

 何百もある文字を組み合わせることで、記念碑に刻む銘文になったり、作物の収穫量の記録になったり、医学文献になったりするのだ。


 膨大な知識が求められる書記だからこそ、社会的な評価も高い。

 そのため書記の中には、ほかの職業──泥にまみれて働く煉瓦工や生臭い臭いが消えない漁師、ブヨに刺されながら炎天下で働く農夫など──を、格下に見ておおっぴらに馬鹿にする者も多かった。

 

 高慢ちきな書記。


 セスがそう嫌うのは、彼らの鼻高々な態度をさんざん見てきたからである。ルカが病弱でさえなければ、「書記になりたい」という彼の夢を、なんとか止めようとしたかもしれない。

 

 セスは、目の前に座っている書記の横顔を見つめた。

 剃り上げた頭が、油皿ランプの炎にてらてらと光っている。

 裕福な暮らしを象徴するかのように、指にはいくつも指輪がある。

 ラピスラズリの大きな首飾りが、肉付きのよい首を飾っていた。


 その視線は、まっすぐ木製パレットに注がれている──。

 

「本題に」


 口を開いたのは、ダクトだった。

 書記の視線が、木製パレットからセスに向けられる。


「そうだった。これは失礼」


 書記は、懐からパピルス紙をとりだした。

 

「セスくん、ここへ来なさい」


 名前を呼ばれて、セスは驚いてダクトを見た。

 険しい表情のまま、ダクトはうなずく。


 ゆっくりと、セスは書記の前に立った。

 のっぺりとした顔の書記は、セスの全身を確認するかのように、視線を上から下まで滑らせては、何かをパピルスに書き留めていく──。


 ムトの不安が、セスにも伝わってきた。

 戸口では、相変わらず兵士長が薄闇の通りを睨んでいる──。


 やっと、書記の手が止まった。

 満足げにうなずくと、その目が再びセスに向けられた。


「私たちが、ここに来たのは王命によるものである。石工監督官であり遺跡調査官であるダクトの長男セスよ。王の『永遠なる家』の建設に、きみの力が求められている。調査隊に入り、名誉ある任務を遂行せよ」


 ──いったい、どういう事?


「任務の内容は現地で伝える。期間は四週間だ。任務に対応する時間には変動があるため、兵舎で寝泊まりしてもらう。守秘義務については承知しているな? また、きみの家族には特別報酬が与えられる」


 ムトが息を呑む音が聞こえた。


「父さん……」


 ダクトは答えない。

 書記は、パピルスをくるくると丸め、また懐にしまった。

 椅子から立ち上がると、ダクトに向き合う。


「息子さんと一緒に、明日の昼までに兵舎に入るように」


 戸口で待機していた兵士長と肩を並べ、そのまま通りへ消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。