第16話 四人で囲む食卓
まったく音沙汰のなかった父が、突然帰ってきた。
嬉しさのあまり、ムトもセスもダクトの腕に飛びつく。
「おかえり! 調査は終わったの?」
期待を込めたセスの問いだったが、ダクトは苦笑いした。
「残念だが、まだだ。門限までには帰らないと」
落胆のあまり、思わず口をとがらせるセスに、
「夕ご飯を一緒に食べられるんだから、それだけでも最高だよ」
姿勢よく腰かけたルカが、やけに大人びたことを言った。
ムトと顔を見合わせ、セスも苦笑いする。
久しぶりに囲む四人の食卓だ。
ルカの青白い頬も、油皿ランプの灯りに照らされて紅潮している。
家族四人で、食卓を整えた。
今日の夕食はご馳走だ。
自宅でこしらえた焼き立てのパン(蜂蜜たっぷり!)。
ダクトの手土産の干し肉が入った香草のスープ。
市場で手に入れた大きな魚──ナイルパーチ──には、クミンとコリアンダーを惜しみなくまぶし、香ばしく焼きあげた。
レタスときゅうりには、ニンニクオイルを添えた。
まるで、ハピ祭りがひと足先に訪れたかのようだ。
「最近、変わったことはないか?」
なみなみと注いだビールを喉を鳴らして飲み干したダクトは、子ども達の顔を覗き込むようにして言った。
「話したい事があれば、言ってみてごらん」
ダクトは、よくこんな風に話のきっかけを作ってくれる。
子ども達の母親が他界してからは、特にそうだ。
「では、子ども代表のムトから」
「子ども代表だなんて、もう十六なのに」
今度は、ムトが苦笑する。
「卒業できなくて残念だな。三十になろうと、お前は子ども代表だ」
ダクトは愉快そうに笑う。
父の笑顔があるだけで、家族のだんらんが華やかになる。
「向かいのメヒお婆さんとマトナおばさんが、私のパンを気に入ってくれて、毎日野菜と交換してくれるようになったの」
言いながら、目の前のレタスときゅうりを指差す。
「お姉ちゃんは、いろんな種類のパンを研究してるんだよ」
ルカが口をはさむ。
「そろそろお店を開くようになるかも」
「それはいい。土製かまどを希望して正解だったな」
調査隊の家族に配られたあの特別報酬は、それぞれの隊員の要望をもとに王が手配したものだと、ダクトは言った。
セスには、意外に聞こえた。
王は庶民にとって遠い存在だ。
話を耳にはしても、姿は見ることさえない現人神である。
歴代王の武勇伝ですら、セスには伝説にしか聞こえなかった。
神聖な守護獣であるホル・エム・アケトの顔を自分に似せて彫らせたり、増水期には農民を召集して葬祭殿や神殿を造らせたり、あり得ないほど強大な武力を保有し、宇宙の秩序を遂行する全能の神の代行者──それが、エジプトの王だ。
現代の代行者クフ王は、歴代王でさえ見上げるだけだった古代遺跡の三大メルを自らの墓室に改築させようとしている破天荒な王である。
そんな絶対的支配者であるクフ王が「円形の土製かまどを持ってまいれ」と命じる姿は……セスには想像すらできない。
「今度は、セスの番だ」
ムトの特製パンをかじりながら、ダクトが聞いた。
「変わったことはないか? 作業場で何か困ったことは?」
三人の視線が、セスに集まる。
ホル・エム・アケトの上からセスを見下ろしていた長身の姿が、心に浮かんだ。
「実は今日……」
そこで、なぜか言葉に詰まった。
あの状況は、あきらかに怪しかった。
楽師が迷うような場所ではない。
安全祈願の儀式なら午前中に終わっていたのだ。
まさか、解体されるホル・エム・アケトを見学していたわけでもないだろう。
でも、あの三白眼の瞳に邪気は感じなかった。
セスの誤解であるなら、あの若者に害が及びかねない。
しかも、ダシュル分隊長が作業場に現れた日、ダクトはセスに「ここにいなさい」と指示して獅子像の裏側を見に行った。
あの背後の穴を見せたくなかったのかもしれない。
ムトやルカの前で話してよいことかも、わからない──。
「どうした?」
ダクトの表情に、怪訝そうな色が浮かんだ。
「なんでもない。ただ……新しい監督官が合わなくて」
セスは、ごまかした。
嘘ではない。
本当のことだ。
「メゾンか」
ダクトは納得するかのように、うなずいている。
「確かにクセはあるが、腕は確かだ。目につかないよう離れていればいい。目立つ人間には難癖をつけずにいられない性格だからな。悪い奴じゃない」
ダクト自身も、彼の敵対心を感じているのだろう。
「ルカ。お前はどうだ?」
優しさのこもる眼差しで、ダクトは末の息子の肩をさすった。
「食べたい物でも何でもいい。言ってごらん」
「僕は……」
ルカは少し考え込んで、こう言った。
「お姉ちゃんに幸せになってもらいたい」
三人の目が点になる。
ムトは、ダクトと顔を見合わせた。
「……なんだよ、それ。ムト姉ちゃんだけかよ」
セスが不満そうにしかめっ面をすると、ルカが笑った。
「もちろん、みんな幸せにならないとダメだよ。でも、今は特にそう思うんだ」
ルカは、無邪気に微笑んだ。
「確かに、子ども代表は大変だからな」
ダクトが頷きながら、ビールの酒杯を掲げる。
「苦労しているムト姉さんのために、乾杯しようじゃないか」
「なんだか納得できないけど……、まぁいいよ」
「乾杯!」
四人で囲む食卓の賑やかなこと。
だが、セスの心は晴れやかではなかった。
近況を聞いてくれた父に、正直に打ち明けられなかったせいだ。
後ろめたさに加えて、あの若者の言葉が突き刺さる。
『気になるなら、立派な父親に尋ねてみればよい』
名前も知らない若者だ。
誰が言うとおりになどするものか。
僕の行動は、僕が決める。
──だが、世の中は意のとおりに進まぬものだ。
その夜、名残惜しそうに何度も振り返りながら、兵舎へと戻っていったダクトだったが、それから二日後、また日干しレンガの家へ戻ってきた。
今度は、神妙な面持ちで。




